04 カノジョの部屋へ

「あそこまで跳ぶぞ」


 ヴィナンさんがしれっと指さした先は、二階の窓だ。

 石とレンガで造られた立派なお屋敷。ヴィナンさんの家だというが、いま僕たちは正門を迂回して塀を越え、植栽の茂みの中に隠れている。


「跳ぶ、って。めちゃくちゃ高いじゃないですか。ムリですよ」

「やる前から諦めてどうする」


 彼もとい彼女のくっきりとした目が睨んでくる。

 身を寄せているから普通に顔同士も近く、何故だか妙にいい匂いまでするものだから、思わず心臓バクバクだ。


「まず私がやってみせるから、ミサオは真似してみなさい」

「あの、先行するなら、上からロープなりカーテンなり垂らしてくれると助かるんですけど」


 ヴィナンさんはむう、と数秒考えた後で、提案を呑んだ。


 *


「ここはアオイタツ列島連合に所属するズィミ島。アオイタツではそれぞれの島が独自の国になっているんだ。そして私は、ズィミの民を護る任を帯びている『ヴィナン軍団』の長だ」

「民を守る……警察とか軍隊みたいなものですか」

「ケイサツ?」

「犯罪者を捕まえたりするアレですよ」

「ああ、治安維持も我々が担っている。君の故郷ではケイサツと呼ぶのか」

「故郷……まあ、はい」

「妙に歯切れが悪いな」

「その、実感が無いんですよ。ボク、気がついたらあの河のほとりに居たんです。それまでは日本の東京に居たはずなのに」

「ニホン、トーキョー? 知らない土地だな」

「……ボクもアオイタツなんて初めて聞きました。とにかく、どうしてこの世界に来たのか覚えてないんです」


 世界、と言ったのはヴィナンさんにはスルーされたが、大事な部分だ。

 おそらくここは、異世界。昨日までボクが生きていた場所とはまったく違う場所だ。


「なるほど。記憶がない。しかし、意識はある、と。これは……得体の知れぬ何かが、君に働きかけたのかもしれないな。そうであれば、却って納得がいく」

「?」


 アイシャドーをのせたような瞼を閉じ、ヴィナンさんはひとりでうなずく。

 ボクが首をかしげるのを見て、すまん、と一声かけて言葉をついだ。


「先だっての現象だ。私の鎧が輝き力を増し、そして私が……こうなった」


 言って、がば、と鎧の胸当て部分をはだけてみせる。

 赤面して顔を背けるボクに構わず、ヴィナンさんはどこかワクワクとした様子で話を続ける。


「私は、これは君の仕業だと考えているんだ」

「ボクの!?」

「心当たりはないかい?」


 たしかに、あの時、変な声が聞こえてきたけど。

 どうやって“念じれば”、どんな“機能が使えるか”、直感的に理解できたけど。


 心当たりはない。ボクは超能力者でもなんでもない、ただの高校生だったのだから。


 悩む僕を見て、ヴィナンさんが凛々しい顔に笑みを浮かべる。


「君自身にも分からない、か」

「え、どうして……」

「顔に書いてあるさ。安心したまえ。君を責めるつもりなんてないんだ、ミサオ。いずれにせよ、疲れたろう。ひとまず今日は私の部屋で休みなさい」


「え――あの、ちょっと!?」


 目の前の美女は、はだけていた鎧をそのまま脱ぎ始めた。

 あっという間に褐色の肢体が露になり、写真でだって見たこともない美しいプロポーションが間近で見せつけられる。


「ま、ま、まずいですってヴィナンさん!」

「何がだ?」


 素肌に白いバスローブみたいなものを羽織ったヴィナンさんは、長い銀髪を後ろで括りながら小首をかしげる。


「だ、だって、今のヴィナンさんは仮にも、じ、じ、女性! ですし! さすがのボクとしても、こんな美人と同じ部屋で一晩過ごすなんて言うのは――!」



「まずくはなかろう。女同士なのだから」



「…………何て?」


 女、同士。

 何言ってるのこの人。


 あ、向こうも何言ってるのこいつ、みたいな顔してる。


 仕方ない。一応確認しておくか。





 ――――なかった。



「ええええええ!? な、な、な、ない! ないってことは、お、お、お、お、お、女! 女の子になっちゃってるよ、ボク!!」

「……そうか、君も同じクチだったのか。しかし、そこを確認するまで気がつけないとは難儀だな」


 うろたえるボク。ヴィナンさんの憐れみと呆れの視線がしみる。


 突然続きで気が動転していたのもある。

 けど、ボクの場合は顔立ちもそんなに変わっていないし、胸も別段大きくなっていないから、今まで気がつけなかったのだ。


「ボクまで女になってるの、知ってたのなら教えてくださいよ!」

「ん? 君は私と会った時から女子だったからな」


 てことは、この世界に来るときに何かあったのか……しかしそれよりも、せっかく女の子になったのに気がつかないほど容姿がパッとしていない事実がつらかった。


「ふむ、この女の体のことも考えなくてはな。私も君も、どうにかして、皆にばれないうちに元に戻らねば……」


 二人してベッドに腰を下ろしたところで、ドアがバーンと開け放たれた。


「大変だぜヴィナン団長!」


 慌てた感じで飛び込んできたのは、赤い髪の若い男。

 テニスとかやってそうな爽やか系の顔立ちで、毛先をアソばせている。

 両腕に銀の籠手を着け、腰に剣を帯びるファンタジーな出で立ちもサマになっているイケメンだ。


「キーロがここに妙な奴らが入って行った、って! なぁ、だんちょ……う? 誰、おたくら」


 青年はようやく、呆然とするボクと腕を組んで彼を睨むヴィナンさんに気がついたようだ。


「もしかして団長のコレ? あ、こっちの指だっけ? んー、ん、そうか。二人いるから親指と小指立ててこうすりゃいいのか? いや、でも片方は団長と釣り合うかなー」


 青年は両手の指をキツネのでき損ないみたいにしながら、若干失礼な考えも口に出して悩み始めた。


「っとと! いけね、直接訊けばいいよな。それで、おたくらは一体――」


 青年が言い終わるよりも早く、座っていたベッドから一瞬で彼の懐に踏み込んだヴィナンさん。

 迷いない右ストレートで、赤い髪のイケメンを殴り飛ばした!


 クリーンヒットをもらったイケメンは部屋の入り口から吹っ飛んで、廊下の壁に背中を打ち付けた。


 ずる……と壁にもたれたまま崩れ落ちるイケメンを、ヴィナンさんは腕組みして見下ろしている。


 ここから、どうするつもりなんだろう。

 蟹と戦う時に思ったけど、この人、なにも考えていない可能性もあるから怖い。


「こ、この……」


 左頬にいいのを貰ったイケメンが顔を上げる。

 彼はダウン直後にも関わらず、パッと立ち上がると、姿勢を正した。


 ファイティングポーズじゃなく、“気を付け”の姿勢に。


「この……パンチは……! ヴィナン団長ッスか!?」


「皆を集めろ、レッド」


「ウス!」


 ヴィナンさんの一声で、レッドと呼ばれたイケメンは鉄砲玉のような速さで階段を駆け降りていった。


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