遺跡の町マーガナ1
嗅ぎ慣れた消毒液の匂いで目が覚めた。窓からの風で白いカーテンが揺れている。ちらりとカーテンの隙間から差し込む日の光に顔をそむけると、いくつかのベットが並んでいた。
「痛い。全身余すとこなく痛い」
壊れかけの人形。そんなセリフが頭に浮かぶ。骨は折れていないようで、身体はかろうじて動くのだが、頭の中ではギシギシと音がなるようだった。過去の経験上、全身打撲と火傷で全治3週間くらいだろうか。
頭が起きてきて思考が戻ってくると、ここに運ばれる前の記憶が蘇ってくる。さきほどあった『ある不思議な体験』にしてみれば被害は笑ってしまうくらいに軽い。なにせ熊が燃えてドコーンだ。いや燃えてる熊がドコーンの方が正しいか。どちらにせよ夢みたいな話だが、全身の痛みが真実だと証明している。
「あら、気が付いたのね」
「うわああ」
「起きていきなり悲鳴だなんてまったく失礼ね。」
背後から声を掛けられて、心臓が止まると思った。そこには替えの包帯を持った白衣の女性が居た。体型がふくよかというかずんぐりむっくりだったので、先程の体験がフラッシュバックしてしまった。どうやらトラウマを一つ抱えてしまったらしい。
「申し訳ない先生。恐ろしい目にあったものでつい神経が過敏になっていたみたいです。この包帯も先生が巻いてれたのでしょうか?治療していただきありがとうございます」
まず礼儀あれと気合を入れて上体を起こし、会釈しながら言った。
「丁寧でよろしい。まあこの時期の炎熊に襲われたらしょうがないか。生きて帰ってこれて儲けものね。包帯を替えるから上着を脱がせるよ」
炎熊とはあの狂暴で、人の命を雑草を潰すくらい簡単に奪おうとするあの熊の名前だろうか。そんな簡単な名前より『全身に炎を纏っていて近づくとほぼ死ぬ熊』くらいの名前でもいいのではないだろうか。浮かんだ言葉はくま系女医の作業を邪魔してはいけないとの思いから口を出ることはなかった。古い包帯をとり、透明な液体を塗り、新しい包帯を巻いていく。柑橘系の香りがする液体がひんやりとして心地良い。こなれた動作がくま系女医の経験の深さとここでのけが人の多さを物語っている。
「これはアルハの実の中からとれるの。砂漠で採れる実で火傷には効果ばつぐんよ。その分輸送料でお値段はするけどね」
くま系女医は匂いを嗅いでることが分かったのか、片目を瞑りながら言ってきた。小悪魔系、いや子熊系の仕草だ。確かによく見れば小熊に似た愛嬌のある顔だ。きっと人気のある治療院に違いない。だがこんなに親切に治療され、高価な薬まで使ってもらい手持ちは足りるだろうかと不安になってきた。財布には国から支給された旅費がほとんど使わずに残っているが、治療院の費用は言い値だ。その昔には治療費が払えず、医者に元の傷を付けてくれと言った笑い話があるくらいなのだ。包帯も巻き終えたところで正直に相談してみよう。
「手持ちが少々心もとないのですが、いかほどになり……」
そこでふと部屋の中を見渡してみる。
荷物がない。よく考えれば服もない。装飾品の類もなければ、財布もない。背中を冷や汗が流れる。服の内ポケットに入った封書は命に変えられない大切な物だ。王族の封蝋がされたそれを無くせば悔やんでも悔やみきれない。
「くまさんっ!」
「えっなに私のこと!?そんな名前じゃないのよ。私はベ……」
くまさんここは許してほしい。俺にはいま余裕がない。
「俺の服と荷物はどこですか?」
「あなたのものはさっき全部タリーちゃんが持っていったわよ。助けてあげたお礼に全部もらったって言ってたけど。お宝、お宝って楽しそうだったわ。」
「あいつ……やりやがった」
拳を握りしめて怒りを堪える。今の状況から彼女に助けられたのは確かそうだ。お礼の一つや二つするのは構わない。謝礼を弾んでもいい。だがいくらなんでも普通身ぐるみ全部を剥いでいくだろうか。
昔話にも世話になった貧しい村を救うために着ているものを売って食料を買った聖者の話があるが、その聖者だって寝ている間に持ち物を売られたら怒るはずだ。例えそれが結果的に村を救うことになってもだ。自発的にやるのとやらないのではまったく違う教訓を教える話になっていただろう。
「くまさん彼女がどこに行ったかわかりますか?」
「くまさんじゃないんだけど、たぶん古物商じゃないかしら。ここ遺跡の街でお宝といえばやっぱり歴史的に価値のある物よ。お宝はほとんどが古物商で取引されるわ」
「お願いします。場所を教えて下さい」
「いいわ。ここを出て右にまっすぐのところよ。三つめの交差路の先ね。入り口に壺のマークがある立派な建物だからすぐわかるはずよ」
ぐっと腕に力で状態を起こし、次に両足を地面についた。心配そうなくまさんを横目に入り口に向かう。興奮してるためか痛みは感じない。
「くまさんありがとうございました。必ず戻りますので」
そう言ってから走り出した。後ろからくまさんじゃないんだけど、と声がしたような気がした。満足に自己紹介もしていないので戻ったらきちんと謝ろう。治療院の入り口を出ると途端に町の活気が感じられた。野菜やら果物が並ぶテントが立ち並ぶ。そこをブルーンに牽かれた行商の荷台が通る。
タリーとは先程の不思議な体験でであった少女の名前だろう。燃えている熊は恐ろしくあったが、稲妻を走らせる剣を持っていた少女もまた不思議だった。神話の世界に紛れ込んでしまったような錯覚を覚える。妖精に夢を魅せられている方がまだ納得できる。しかし体の痛みがそれを否定していた。ここがどこなのかを含めて分からないことが多過ぎて頭が混乱する。
「まずはタリーから荷物を取り戻す。それ以外はあとからでも構わない」
目的を明確にし、頭の中から浮かんでは消える疑問を振り払い集中力を高める。行き交う人を避けながら古物商への道を急いだ。
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