古からの使者

生田利一

プロローグ〜ある女冒険家の皮算用〜

洞窟の内部は静けさに満ちていた。暗闇が支配する世界。太陽の恩恵もここまでは届かないようだ。日の暖かさに代わって、冷気が存在を律する看守のように居座っている。

 手に持つランタンの光が無ければ、まっすぐに歩くことはできないだろう。この暗闇において、ランタンの灯りはひどく心細い。けれどランタンの許可証がなくなれば、たちまち看守たちに捕まって牢獄の住民にされてしまう。そんな気配がして身震いが起きた。この身震いが寒さのせいなのか、恐ろしさのせいのかは分からない。それでも許可証を無くさないようにと、ランタンの取っ手を握り直して慎重に歩きだす。


 看守は厳格に牢獄と外界を隔離していた。常に外敵に怯える草食の獣でさえ、この牢獄には留まろうとは思わないはずだ。自分から発せられた音だけが洞窟内に反響して、いつもより大きく聞こえる。

 天井からは雪解け水が染み出していた。水は厳しい環境において、仲間を求めるように身を寄せ合い、水滴となっていく。しかし大きくなった水滴は重力に気づかれる。重力の鎖に囚われた水滴は、順々に地面に落ちて行った。

 洞窟内の空気は水気を多く含んでいる。湿気を含んだ空気は、冷気を飲み込むことで近寄りがたい荘厳な雰囲気を醸し出していた。


 入口から10分ほど歩いたところで不思議な現象が目に止まった。天井からの水滴が、曲線を描きながら地面に落ちていく。ランタンの光に反射した水滴は、触れてはいけない何かを避けているかのようだった。


 氷の塊が洞窟の中央に鎮座している。


 足元を慎重に照らしながら進んでみると、水滴が避けているのではなく、氷の塊の外殻を伝わって落ちているのが分かる。

 氷の塊は洞窟内の高さとほぼ同じで、その大きさは神代の巨人を思わせた。老衰を迎えた巨人が、洞窟に背を下ろして、そのまま永遠の眠りについたかのようだ。氷の塊は透きとおり、洞窟の奥を見通すことができる。昔、ここから遥か遠くの場所で、恐ろしく澄んだ湖を覗き込んだ人々が、そのまま湖に囚われてしまうという話を聞いたことがある。その湖を凍らせたら、このような透明感の持つ氷の塊ができるのではないだろうか。


 氷の塊の中には男が囚われていた。


 民族衣装だろうか、珍しい服を身につけていた。全体的にゆったりとした作りになっており、狩人や冒険者が好むような服ではない。腰から足元にかけては腰布が伸びて、腕には装飾品が複数付けられていた。全体的に気品が感じられる。この男は生前良い生まれだったのかもしれない。清潔な住まいに美味しい食事。王族や貴族のような生活。しかし彼の表情からは、そのような幸福な生活の片鱗さえ伺うことはできない。黒髪から覗く表情はひどく焦っていた。片腕は上に伸び、なんとかこの状況から脱しようともがいている。


 男は冷たい棺の中で何を考えているのだろうか。足早に来た道を戻りながら考えていた。

 出口の明かりが見えるといつもの気分が戻ってくる。冬が終わり、春の暖かさが感じられる。冬眠明けの動物たちのあくびが聞こえた。その声を聞いている内に、私の頭は彼が古物商でいくらで売れるのかについて考えていた。

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