ヴェルンホーンの神官長

 以下の文章は、灰燼と化したヴェルンホーンにて数少ない生き残りである神官長の言葉を冒険者である私が書き記したものである。




 お主か、ワシの話を聞きたいという酔狂者は。魔王を討たんと足掻いたワシ等をあざ笑いに来たか?そんな事はしない?はっ、如何だかな。まあ良いさ、ワシ等の話を聞きに来る酔狂さに免じて、話してやるわい。


 ああ、お主が見つけたのか、あの手記を。読んだとも、今となってはあの娘の内に巣食っていた思いこそが正しかったのかも知れん。知った顔の内面など知ってしまうのは懲り懲りだが。……恋慕の情など人に知られたくは無かろうよ、年頃の娘ならば。何? 馬鹿を言うな、ワシの娘では無いわ。……どちらにせよ、既にこの世には居るまい。少なくとも、ワシの知る娘はな。


 さて、何処から話すべきか…。ワシ等がヴェルンホーンを作り上げたのは20年程前のことだ。当時の参加者は、ワシ以外は既に死んでおる。ヴェルンホーンの滅びを見ることもなくな。山地に近い平野部だ、その危険性は冒険者であれば分っている筈だ。ああ、皆、戦って死んだ。ワシが神官長などと祀り上げられたのは、単純にその当時からの住人と言うだけだ。……はっ、あの地では欲するべき権力などありはしない、あるのは責務と信仰だけだった。


 勿論、若かりし頃は…と言えども、ワシはまだ若い心算だが。だが、実際は年寄りの部類なのは知っておる。皆、若くして逝ってしまう……。話が逸れたが、ワシとて若かりし頃は体を鍛え、女神クロデアに祈りを捧げて暮らして来た。魔族の襲来も戦槌を振り回して切り抜けた物だ。今では女が使うような軽量のメイスを用いる程度だ。お主とて、年を経れば、その腰の剣も満足に振り……い、いや、なんでもない。


 ……クウェルクス公国に住まう事にした理由?単純だ、ワシは信仰を捨てたくなったからだ。この齢五十を過ぎた爺が、自身の人生を殆どを費やして来た女神クロデアへの信仰を捨て去る意味が、お主に理解できるか?大方の者は、ワシが命を惜しんでクウェルクス公国に逃げ込み、信仰を捨てたのだと思っているのだろうがな。


 ……確かに、ヴェルンホーンが灰燼と消えたのならば、ワシも死ぬべきかと思った。信仰云々は抜きにしても、あの地はワシ等の街だ。日々の生活のすべてがあの地で行われていたのだ。故郷と呼んでも差支えが無い土地だ。それが、全て灰になったのだ。この無念が他の土地の者に分かることは無いだろうな。


 それでも、生き残った理由を問うか? 酷な男だな。簡単な話しだ、ワシは女神クロデアに対する恨みで今は生きておる。人生を賭けて来た物を捨てるには、相応の出来事が無ければやらん。ましてや、女神に恨みを抱くなどとな。分るか? 分るのか? ワシのこの身を焼き尽さんばかりの憤怒が。この怒りがワシをクウェルクス公国に導いたような物だ。嘗てのワシならば、クウェルクス公国の行いにこそ怒りを覚えた筈なのにな。


 何をそれほど怒るか、か。最もな疑問だ。ワシ等は信じていた、選定の剣を用いた勇者が魔王を滅して、世に安寧を齎してくれると。だが、結果は如何だ? カンデラリオは、魔王に打ち勝ったが、剣がその内に消えて、魔王になったと聞いた。……ああ、カンデラリオに付き添っていた神官戦士が瀕死の状態になっても戻ってきて、ワシに教えてくれた。


 一部のクロデア教徒は、心を清く保っていれば、魔王にならないなどとほざいていると後から知ったわ。そうだ、ワシ等は知らなかった、選定の剣に選ばれた勇者が魔王に打ち勝った場合、その勇者が魔王となる等とは! 無知とは何よりの罪であるかも知れないな……。馬鹿を言うな! カンデラリオが! 我が息子が悪心を抱いて戦ったと言うか!


 ……ああ、そうだ、そうだとも。剣に選ばれたのはワシの自慢の息子だった。その息子が魔王になって、ワシ等が築き上げた街を、共に生活した仲間を滅ぼす姿は見たくなくてな、こうして逃げ出して今に至る。女神に恨みを抱く理由も、分ってくれるかね。


 ……どうせ、ワシも長くない。最後に魔王と戦い、派手に散った方が晩節を汚さなかったのかも知れんがな。カンデラリオの幼き日を思うとな、武器を向けられん。高熱を出して、虚ろな瞳で虚空を見詰めながらも、ワシの指を握って居てくれた事。やんちゃな少年となり、悪戯ばかりして叱り飛ばしていた事。そして、模擬試合でワシを打ち破ったあの日の事。思い出せば、目頭が熱くなる。……ワシは、所詮はその程度の人間だったと言う事だ。魔王になった、と聞けども息子に武器を向ける事は出来ん。


 公表するならば、好きにしろ。女神に恨みを抱いていた所で、然程生きる糧にはならん。今はただ、全てが虚しい。……少し、疲れたな。この辺で打ち切っても構わないか? ああ、そうか。それでは、終いだ。




 ヴェルンホーンの神官長であった者との会話は以上である。この会話を行った二年後に彼は病死したらしい。迷惑をかける相手も無いだろうとの判断で、今、公表する事とする。




そう手記を纏めると、私は思い出す。ヴェルンホーンの神官長だった男が最後に、私の身を案じるように声を掛けてきた、その内容を。


「お主は、魔王を殺しに行くのか?」


と。を注視しながら告げた事を思い出される。


 答えは未だ出ていない。

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