夢診断とコントロールの憂鬱

私は、昔から変な夢を見ます。目が覚めても内容を覚えていて、次の日もまた同じ夢を見たりします。

夢の中で私は鳥のように空を飛んだり、傘をさすと風に飛ばされたり、ホテルの床が抜けて落ち続けたり、釣り針が腕に引っかかってそのまま海中に引きずり込まれたり、とにかく碌でもない目に会うのです。そうして汗だくで目が覚め、しばらくの間、その碌でもない感覚だけを思い出すことがありました。お腹の中が浮き立つような感覚や、手の中のものがとんでもない速度で飛んで行き半身を持っていかれる力強さ、金属が腕の中に入り込み、骨に引っかかる痛み。これらの思い出したくない感覚が強く再現されては、一日がとても憂鬱になるのです。

それを避けようと思い、対抗手段を考えるようになりました。まずは良い夢を見る訓練。寝る前に素敵なことを考え、そのまま眠りにつくことで、美しい夢を見れば良い。私は好きな人と一緒に桜の坂を歩き、空はどこまでも晴れ渡り、桜の花はほのかに香り、カフェのテーブルの上にはおしゃれでヘルシーな、写真を撮りたくなるランチが並びます。ところが、夢のはじめが美しくても、後半になるといつもの混乱の中、好きな人に追われ、桜の花は無残に散って空は焼け落ち、テーブルの上のご馳走は立ち上がって復讐を開始する。結局のところ、夢をコントロールできなければ意味がないことがわかりました。

夢をコントロールするにはどうすれば良いのか。夢の内容をメモ帳に、覚えているストーリーと、見た映像をできるだけ詳細に記録していきました。そうしてその要素に意味付けをし、なぜその夢を見たのかを考えます。深く検討し、それなりに妥当性のある答えを導き出していきます。時にそれは、自分自身の過去や向き合いたくない内面との対決を意味しています。思い出したくない記憶を詳細にノートに書き出し、言葉の意味を検索して色のイメージや映像と結びつけ、逃げ出したくなるような恥ずかしさや、口に出してはならない欲望と対峙するのです。

するとどうでしょう。夢の内容を思い出すことができるのはもちろんですが、一度見終えた夢をその続きから見ることができるようになったのです。夢をアレンジし、見たことを覆して見ていないことを差し込み、見たことにする。明け方に自分の記憶を騙して、都合の良い記憶に差し替えていると言っても良い。私が身につけたのは、夢に対して嘘をつき、夢を盗み取る技術と言えるかもしれない。夢を騙すためには、夢のことを良く知る必要があったということです。ノートに書かれた研究結果は、日に日にその量や質を増していき、今は部屋を埋め尽くしてしまった。アウトプットと研究の量に比例して、夢のコントロールは大胆で緻密になり、毎晩構築される世界はどこまでも広く深まっていく。

困ったこともあります。3ヶ月くらいした頃から、私の目の前の人や景色が夢に現れた物語なのか、現実の友人の話なのか、私が体験している現実なのか、判別できなくなってきました。普通は自分の体験が最も緻密でリアリティのあるものになるはずなのですが、人は訓練次第で記憶と体験の密度を変えることができる、ということでしょうか。今の私には自分の体験と他人の体験、夢の中での体験は等しくリアリティがあり、それらを見分けることが難しいのです。自分の体験以外の想像や記憶は、どれも訓練次第で見え方を変えることができる。目の前に座って話す人と、水平線の向こうで眠りにつく人はまったく違う距離にいますが、頭の中の望遠鏡を駆使することで、はるか彼方の人を目の前に引き寄せるのです。それは身につけてしまえば簡単なことで、自分と他人、現実と夢、近くと遠くの境は曖昧になっていきます。自分で気づくことが難しいほどに。

私は恐ろしくなって、夢を記録することをやめました。

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