植物地区 2
誰も彼もが口を閉ざして、息を飲んでいた。
それだけ、豚はデカかった。サイズだけなら入り口にいたあの石の大蛇といい勝負ができるだろう。
この林の木は二階建て相当の高さだが、それに負けないほどに豚はデカい。その体ははちきれんばかりに肥え太り、枝に擦れるたびにタプタプと揺れている。その肌は病気なのかジュクジュクと透明な液が滲み出ていて、とても健康そうには見えなかった。ヒクつく丸い鼻に、俺ぐらいなら一口で飲み込めそうな大きな口は半開きで、何よりその目が、白濁していて、真っ当ではないとありありと示していた。
そんな巨大豚は、前足で向こうの木の根を掘っていた。
「……おそらくは、養豚の豚が逃げ出したのでしょう」
誰も訪ねてないのにケイが勝手に説明しだす。
「豚は生命力が強く、なんでも食べ、上質な肉と脂がとれます。この閉鎖空間では貴重なタンパク源です」
止めろ、と言いたいが、それもうるさくなりそうで声も出ない。
「餌は生ゴミや残飯、あとは……言いにくいのですが、トイレから流れてきた諸々も与えてたかもしれません」
「なんだあいつ、出した諸々も食うのかよ」
ダグ、食いつくな。
「トイレの横に豚小屋があるのは地方では珍しくありません。もちろん衛生的には万全とは言えませんが、ゴーレムを介すればその点はクリアできるでしょう」
「だってよ」
「だから何よ」
バニングさんも加わって、小声ながら緊張感は皆無だった。
一方の豚の方は、体に対して短すぎる足を懸命に動かし、土を掻き出していた。そして現れた山芋を掘り出し、そいつを土こと飲み込んでいる。
害は、ないかもしれない。
「ならさっさと」
行こう、と言い切る前に抜刀、同時にバニングさんを蹴り倒した。
硬い足応え、バニングさんはぶっ飛びケツから落ちた。
彼女の顔を見るより先に火花が散った。
俺の兜割りと打ち合ったのは片手サイズのノコギリ、振り下ろしたのはピンク色のゴーレムだった。
いつの間にか敵対し、いつの間にか近づかれ、いつの間にか筆がノコギリなり、いつの間にか頭を引き裂かんと振り下ろされてた。
大問題だ。
ターゲットが俺じゃなかったとは言え……いや俺じゃなかったからこそここまで反応できなかったのは、未熟としか言いようがない。
それでもなんとか挽回しようとノコギリを弾きながら、今度はゴーレムの腹へ、今度は一切の手加減なしのヘケト族蹴りみまった。
こんな蹴りに技名などない。
単純に前へと押し出す形の蹴りは、作用反作用の法則に則り、ゴーレムは動かず、軽い俺の方がぶっ飛んだ。
それでもゴーレムはふらつき、間合いがとれた。
一蹴りの距離を一蹴りで戻り、懐に潜り込みながら横薙ぎを放つ。
ヘケト流剣術『西風』
助走を乗せた斬撃こそがヘケト流剣術の基本だ。
その基本にのっとった、なんてことはない、一蹴りで踏み込んでからの斬撃、上下左右に東西南北を当てはめてるだけだ。
右から左への斬撃、軌道は若干跳ね上がり斜めとなってるが、北西風、とは呼ばないだろう。
こんなくだらないことを思い出しながら放った一太刀は、それでもピンクのゴーレムを腰のあたりから輪切りにできた。
切断面から土をこぼしながら倒れるゴーレム、その向こうからさらなるゴーレムたちが迫っていた。
見たところざっと、十かそこら、脅威ではあるが絶望とは程遠い数だ。
「ぶぎょあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
突如の咆哮が全てを震わせる。
見れば、豚が、こちらを向いて、その巨体を揺らし突進して来るところだった。
大地を踏みつけ、丸い鼻を下げ、贅肉を揺らしながらの突進は、間を隔ててた木々を掠れるだけでねじ切って見せた。
その白濁した眼差しが見るのはなぜだか俺一人だ。そのまままっすぐこっちに来やがる。
これを正面から受けるのは問題だらけだ。
左へ、と見た先にケイがまだいた。わかってなくての棒立ちだろう。
右へ、と見た先にはバニングさんがいた。大して強く蹴った覚えもないがまだ立ち上がれてない。
どちらへ跳んでもどちらかが逃げ遅れる。
どちらへ飛ぶべきか、どちらを見捨てるか、どちらを信じるか、答えが出る前に豚の鼻が突き上げられた。
回避不能、それでも刀を引いて受け止めては見たが衝撃と同時に体が跳ね飛ばされた。
上下もわからず錐揉みながら背中より背後の木の枝へぶつかり、それらさえもへし折れ、突き抜け、どう、と地面へ俺の体は落ちた。
受け身もない。刀を手放さなかっただけまし程度、未熟だ。
なんとか立ち上がる俺の目の前にさらに加速した豚が迫っていた。
だが今なら左右に足手まといはいない。
中腰姿勢から右へと蹴り跳ぶ。
豚はそれを追い方向転換、だがやはり巨体ゆえ小回りは効かないらしい。
ならやれる。
さらに蹴って右へ右へ、追いつけない豚の側面へ、そこで切り替え一気に詰め寄る。
ヘケト流剣術『旋風』
相手の旋回力を脚力で無理矢理上回り、ゴリ押しで背後を取るこの技は、未熟な俺では対人で使えるほどの技量はない。が、この豚になら十分通用するだろうし、実際通用した。
放つは腰だめの突き、狙うは脇の下へ、突っ込む。
衝撃、停止、血の匂い、確かな手応え。
突き出し突き刺さった刃はさしたる抵抗も感じさせずに鍔の近くまで深々と埋まった。
「ぶぎょあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
さらなる絶叫、溢れ出る血と何かの液、そして豚の突進は加速した。
豚は……倒れず死ななかった。
……脇の下は動物の急所のはずだ。ここから刺せば骨を抜けて肺、心臓、太い血管を傷つけ殺せる。少なくとも弓使いからはそう習った。
そこに刺して死ななかったのは嘘を教えられたのか、この贅肉が鎧となってるのか、はたまた刺さったままの刀が傷を塞いでいて出血しきれてないのか、どれかだろう。
思考する俺をへばりつけたまま豚は加速し、目前の木へと突っ込んだ。
刺さる枝、引っかかる枝、うっとおしい枝それらをまとめて押し折り幹を折る。
緑の葉を撒き散らしながらも豚の暴走は収まらなかった。
躍動する筋肉、揺れる贅肉、滲み出る汗と血とが目に入ってきて滲みる。
鍛錬してるとは言え、ヘケト族の握力は弱い。こうしてひっついてられるのも時間の問題だ。
ならばせめて刀を抜こうと足のかけて踏ん張る。
「ぶぎょあああああああああああああああああああああああああああああ!!!」
さらなる絶叫に飛び散るよだれ、滲み出る流血がさらに目に滲みるばかりだった。
「こっちよバカぶた!」
ヒステリックな叫びはバニングさんだ。
それに引き寄せられるように豚は方向転換、大回りして元に戻る軌道へと進路を変えた。
そして数本木々をへし折った先にバニングさんがいた。
つり上がった目、突き出された杖、その周囲に浮かぶ無数の魔法の灯りたち、その姿は、言ってはなんだが幻想的だった。
「Ut occidere sus beat!」
絶叫、同時に飛来する灯りたち。光の尾を引いて迫り当たり弾けたその威力は、豚を俺ごと吹き飛ばすに十二分だった。
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