植物地区 3
…………目覚めて最初に見えたのは、ダグの鼻の穴だった。かなり鼻毛が濃い。
「お、目覚めたか」
ダグに言われながら身を起こす。
……今まで膝枕されてたことは忘れよう。
「……あれからどうなった?」
質問しながら体を調べる。
骨、筋肉、頭に痛みはない。肌も、擦り傷はあるが火傷の感じはなかった。
「ゴーレムは全部俺が倒した。豚には逃げられた。こちらはお前以外は無事だ」
「そうか」
簡潔な現状報告に簡潔に答えて、立ち上がる。
ここはまだ林の中だった。見える範囲には頭を凹ませ倒れたゴーレムが転がり、その向こうでは豚の逃走経路か、倒された木々が道のように続いていた。
……少し離れたところにバニングさんが立っていた。
「悪かったわね。まだか張り付いてたなんて思わなかったのよ」
「気にするな。あれは事故、クロスプレー、というよりは外野フライを取りにっての衝突だ。お互い夢中だったんだし、次はお互い気をつければ」
「なんでお前が勝手話進めてんだよ」
俺の一言にダグは肩をすくめた。
「仲直りの仲介だ。それに言いたいことは大体一緒だろ?」
「まぁ、な」
それだけ返す。
それで一瞬、バニングさんと目が合うが、これがかなり気まずかった。
「それで、これからどうする?」
「刀だ」
ダグの質問に即答して逃げた。
「悪いが俺は剣士だ。刀がないと満足には戦えない。回収できなきゃ足手まといが一人増えるだけだ。で、刀の刺さった豚は、追えるか?」
この質問に今度はバニングさんが肩をすくめ、それから地面を指差した。
そこには点々と血痕が、それと何やら肉片が、続いていた。その先には大きな血溜まりに、浮かんでるのは欠けた丸い鼻だろうか、他にも諸々が散らばっていた。
「どんな威力の魔法を打ったんだよ」
「まとめて口の中に入ったのよ。それで顔面の大半は弾け飛んだけど逃げられて、あのダメージで逃げられたのは驚きだったけど、それでも助からないでしょうね」
「なら死体から剥ぎ取りに行く、か、ケイは?」
「あいつならそこの影で吐いてるぜ」
ダグが指差したのは倒れた木の向こう、木の葉に紛れてドラム缶の煌めきが見えた。
「おしべめしべでキャーキャー騒ぐやつにはちーとばかし刺激が強すぎてな」
「まぁ、いきなりスプラッタはきついか」
「いやそっちじゃない。実は俺の回復魔法が特殊でな。口移しで体内に送らなきゃならないんだ」
「……ナンダッテ?」
ダグは応えず、目をそらす。
「……ジョウダンダロ?」
バニングさんもそっぽを向いて応えてくれない。
「オイッテ」
オエップ、とケイの嗚咽音だけが返ってきた。
▼
手ぶらでいるよりはマシと、ゴーレムからノコギリを二本、頂く。
ノコギリはノコギリであって、ギザギザの刃と薄い刀身、木や竹を切るにはうってつけだろうが、まともに打ち合えば簡単に折れるだろう。それでも豚の腹を切るには問題ない筈だ。
……ダメージがあったのは確かだし、それを助けるためにしたこと、役割とは言え、感謝こそあってもそれ以外をとやかく言うのは間違っている。そもそもファーストキスが鼻毛の濃いオッさんだったからってウジウジ切腹を考え続けてることこそが未熟なのだ。
それに過ぎたこと、まだ先はある。切り替えていかねばならない。
……なのに、ケイが露骨に距離を開けるのは傷つく。
折れた木々の間に流石に罠は無いだろうと並び替え、先頭は俺、次にダグ、距離を置いてケイに最後がバニングさんとなって豚を追う。
血の跡、折れた木、落ちてる骨片、それらが漂わせる悪臭を辿って、たどり着いた外壁の手前、石畳の道の向こうに水たまりが広がっていた。
水の幅は広く、俺の一蹴りで飛び越えられるかも怪しい。
その向こうの外壁には雫が伝わっている。それは遥か上から流れているようで、どうやら壁一面にできた雫が流れてきてここに溜まっているようだった。
そこに柵は見当たらないが、その代わりに点々とヤシの木らしき植物が生えてるのが見える。それと、少し離れた場所には扉と、そこへ渡れそうな橋もある。
そんなのが見渡す限りぐるりと、外壁に沿って伸びているようだった。
「ここは、浄水槽ですね」
消え入りそうな声でケイが説明する。
「植物が吸い上げ、吐き出された水分が光の熱で暖められ蒸気に、それが外壁に触れて冷やされて雫に、それらを集めてこうして水を浄化して飲み水を確保する仕掛けなんです。今では小型化したものが船上で利用されてるんですよ」
「まぁ、あれが無ければ、飲めそうね」
バニングさんが目線で指し示した先に、不自然な小山があった。そこから、血やら諸々やらが流れ出てる。
こと切れた豚だった。
……直接的ではないが、それでも手をかけた相手、それが頭から水に突っ込みこと切れてる姿は、見てて気持ちの良いものじゃなかった。
「きったないケツね」
バニングさんにはそういう気持ちはないらしい。
「ほら、さっさと回収してこいよ」
ダグは言うと、目を瞑り経を唱え始める。
屍に近寄りたくないからか、ここからは俺一人でやることになるらしい。
俺は黙って前へ、豚へと近づく。
……水面は、思ったよりも赤くはなかった。水に流れがないから撹拌されなかったのだろう。それでも水の中の豚の顔は見えない。ただ肩から上はまだ陸上で、刺さった刀も濡れずに掴めた。
ただし深く刺さってる。力を込めて引き抜こうと足をかけて引っ張るもびくとしない。
少し考え、袖をまくってから、持ってきたノコギリで傷を広げることにした。
脂ぎった豚肉はノコギリの刃によく絡み、かなり手こずったがなんとか抜けた。
血と脂でべったりな刀、清めるために水へとつける。
磨き、濯ぎ、綺麗になった刀に刃こぼれはなく、曲がってもなかった。
ホッと安心して鞘に納める……手が止まった。
「……おい、ちょっとこっち来いよ」
俺の声に誰も反応しない。
「いいから。大事な話だ」
強く言ってから視線を、水の底へと戻す。
赤く染まり、それでも透明度を保つ水の向こうに、落ち窪んだ眼窩があった。
人の頭蓋骨、それに連なる残りの骨々……それも、その数は一人や二人では済まない。
夥しい数の人骨が、水の底を埋め尽くしていた。
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