汚水処理区 1

 ここは故郷の沼地に似ている。


 風もなく、じめじめと湿って暖かな空気が肌を潤わせる。


 ただ違うのは臭い、漂う悪臭だ。故郷も臭いところは臭いには臭いが、ここのはカビの臭ささだ。


 真っ暗な中、飛び回る魔法の灯りは、星よりも蛍を思わせる。


 ここに入ってさほど時間は経ってないはずだが、ほんの少し空腹を感じた。


「振り向いたら殺すからね」


 バニングさんに脅され、壁向きなおる。


 正面は外側の壁、黒カビの模様、それと今しがた滑り流れてきた穴があった。


 穴は、こうしてみるとなかなかのサイズ、普通に通路にできそうなサイズだが、今は諸々の瓦礫に埋まって完全に塞がっていた。その隙間からはみ出てるのは覆面の手足、一足遅ければあそこに俺らもいたかもと思うとゾッとする。


「この穴、いくらなんでもトイレにゃあ広すぎねぇか?」


 ノーテンキな感じでぼそりとダグが呟く。


「不思議ではありませんよ。ここは地下で、この施設は何年も利用するように設計されてるんですよ? そのためには保守点検は必須ですし、壊れたなら修理が必要で、そのためには入って直せる空間がないと」


 ケイが律儀に答える。どっちが前だか知らないが、壁を向いてる方が擦れてピッカピカなってる。


「それに小さな穴を掘るのも難しんだよ」


 なぜだかバニングさんも混じる。


「単純に土を掘るのも運び出すのも人の手で、なら人が入らないといけないでしょ? だから狭いと入れないし、後でまた埋め直すのも面倒だからね。そこで三流は手を抜くもんだから隙ができる。まぁここの場合は入られたらおしまいって開き直ってるのかもしんないけどさ」


「んな説明よりさっさとおぱんつ履けよ」


「もう履いたわボケ!」


 ダグに怒鳴り返したバニングさんの声が響く。響く。響く。


 ……ここは、かなり広い空間が広がってるようだ。


 履いてる、という言葉に振り返ると確かにバニングさんは履いて普通になっていた。


 その後ろに広がるのは薄暗い。辛うじて室内の角が見えるか見えないかレベルだ。


「Huc undique aequaliter totum illuminante」


 理解できない呪文、バニングさんより新たな光が産まれ、飛んで広がった。


 遍く煌めきは正に星、瞬時に産み出された星空を、正直美しいと思った。


「バカかお前は。こんな派手に光らせたら敵呼んでるようなもんだろが。数減らせ減らせ。半分は戦力外通知だ」


 情緒のないダグの言葉だが、言ってることは正しい。


「バカはあんたよ。こんな大量に流れてきて何の音も響いてないとでも? どうせバレてんなら開き直ってビカビカ照らして先に見つけやすくした方がいいでしょが」


 バニングさんも負けじと言い返し、さらに光を広げる。


 見えたのは割れた樽、錆びたスコップ、その他雑多な残骸が転がっている。それに水たまり、その水源は天井からの雫のようだった。


 ここは、思ったよりも広くない部屋だった。


 レンガらしい天井がアーチ状に張られていて、そこを雫が這って水溜りを作っている。壁にはランプを引っ掛けておく用のフック、そしてまん丸にくり抜かれたような、筒状の通路がぽっかりと開いていた。直径は俺の背丈で三人分、ダグなら二人分といったところか、床は歩きやすくするためか、金網みたいなので平らにしてある。


 その筒の先は深い闇、反響してたのはここらしい。


「上に、戻りましょう」


 落ち着きを取り戻したケイが言う。


「戻るったってどうやって? トイレの穴は見ての通り塞がってんのよ」


「中央です」


 バニングさんの質問にケイは即答する。


「上下の移動は中央に集約されてます。そこに行けば、というよりそこからしか上には上がれないはずです」


 ここを唯一知ってる人間が言い切るのだ。従う他ない。


「先頭はバニングさん、次は俺で、ケイ、最後がダグって順番だな。敵との遭遇は可能な限り避け、隠れ、見つかったら逃げて、戦うのは最後の手段。逸れたら置いてくが、上に戻れたら探索隊を出す。待ち合わせは、戻れるかは知らないが、ここで、という感じでいいか?」


 俺の無難な提案にしばしの沈黙。


「この灯りじゃバレバレの隠し球だが、概ねそれで構わないぜ」


 ダグが応えると続いてバニングさんも頷いた。


「お任せします」


 ケイの言葉を皮切りに、俺たちは並んで歩き始めた。


 ▼


 まさに下水道、といった感じだった。


 湿気って滑った床、カビと何かに覆われた壁、綺麗かどうかもわからない雫の滴る天井、違うのは臭いがマイルドなのと、ネズミがいないことだ。


 ここを歩けば嫌でも思い出されるのは軍隊での実地訓練、及び本番だ。水陸両用の強襲部隊であるヘケト隊は、いつもこんな所に派兵されてた。


 今から思えば楽しい思い出もあるにはあるが、それ以上にそこで死んだ戦友ことばかりを思い出す。


 ……それが、戦争だった。


 死んだ友を思い出すなんて、未熟を通り越してご隠居の域だが、こればっかりは慣れることができなかった。


 と、バニングさんが立ち止まり手を挙げる。


 合図、警戒、立ち止まり、息を殺す。


「Conditiones praecedentes album」


 バニングさんの呪文で光の一つが先へと飛ぶ。


 ……照らし出されたのは十字路、それを横断するかのように並ぶ三人の人影だった。


 色が茶色く汚れてるという以外は先ほどの覆面ゴーレムと瓜二つな三人組、それぞれ手にスコップを、背中に樽を背負っている。見た感じ、こいつらは諸々を搔き集める用のゴーレムらしい。


 そしてこいつらは、バニングさんの光が見えてないようだ。いや、闇の中を移動できてるのだから、正確には光に関係なく見えている、となるだろう。なんにしろこちらに興味はないらしく、そのまま行ってしまった。


 完全無視、という感じだった。


「本来ゴーレムなんてあんなもんよ」


 バカにしたようなバニングさんの声、緊張感はない。


「そもそもゴーレムって、事前に命じられた呪文、プログラムってんだけど、その通りにしか動けないの。そしてプログラムの量には限界があるし、当然増えれば手間も魔力もかかる。加えて、見たところあれは……液状のものを運ぶようみたいだし、余計なプログラム入れる余裕はないんでしょう。流体弄るのって存外プログラム必要だしね」


「詳しいんだな」


 ダグの賛美にバニングさんは肩をすくめる。


「ゴーレムに関しては趣味のレベルよ。それでもトレジャーハンターとして断言できる。あいつらは、こちらから手を出さなきゃ無害なはずよ。それにここが防衛施設なら、こんなところまで入られたらもう詰みでしょ?」


 バニングさんは、らしくないチャーミングな笑みを見せてから、また先に進みだした。


 俺たちは無言で後に続いた。

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