居住区 3

 追加の新キャラに声も出ない。


 それでも俺は、構えを崩さないまま、この骨面を観察する。


 骨面の面の骨は、獣の頭のもののようだ。前に長く伸びた上顎、鋭い牙、穴の空いた眼窩からこめかみ部分にそって革の紐を通して縛っているようだ。


 当然骨面の顔は隠れて見えない。だが首から下はかなり肌を露出していた。


 まるで水着か下着のような革のシャツにズボン、足は裸足で、見える肌全てが浮き上がるように白かった。それに隠しきれてない胸のふくらみから性別は女、それもまだ少女だろう。その手足は細く、長く、なのに程よく鍛えられている。


 そしてその手が握る得物は、槍とも剣ともとれる長物だった。


 全長は、普通の背丈の骨面と同じぐらい。その内半分が革を巻いた柄に、残り半分が諸刃の刃となっている。そして間に鍔はない。


 骨面は他に何も身につけてはいない。荷物も、目印の赤い布も、照らす灯りもだ。


 ただ面と服と武器だけの女、警戒するには十二分だった。


 一方の骨面も、警戒しているのか近ずいてこない。覆面の亡骸の前に棒立ちで、ただ黙ってこちらを観察していた。


 ……動きのないまま時だけが流れる。


 こういう時に交渉するのはケイの役目だろう。それに遠い相手ならまたダグが攻撃すればいい。なのに二人は動かない。


 何してるのか、振り返りたい衝動もあるが、それ以上に、この骨面から目が離せなかった。


 それだけ、あの一太刀は見事だった。


 一切の淀みなく振り切られた斬撃、このヘケトの動体視力を持ってしても見切れなかったそれは、あまりにも速く、鋭く、何よりも美しかった。


 同じ剣士として、あの迷いのない一太刀に、嫉妬を隠しきれない自分がいた。


 なのにこちらから踏み込まないのはプロ意識か、未熟さゆえか、臆したか……考えても答えを出そうとは思わなかった。


 と、骨面が弾かれたように振り返る。


 現れた闇の先をしばし見つめ、それからこちらを見て、そして音もなく闇の中へと消えていった。


 足音少ない身軽な動作、だがそこに名残惜しさを感じたのは気のせいだろう。


 ふぅ、と息を吐き、構えを緩める。


 戦わずに済んだ。


「追わないんですか?」


 今更口を開いたケイに振り返る。


「追うかよ」


 ダグが代わりに応える。


「相手の正体はおろか数も不明だ。待ち伏せもありえるし、何より腹下しがまだ中だ」


 そう言って親指でトイレを指差した。


「セオリーなら、ここは一度戻って報告だな。特に相手はどっちとも武装してた。最優先で伝えないとな」


「ならバニングさんに声かけるか」


 俺の言葉に、ダグはバカにしたような目で見てくる。


「お前なぁ。女のトイレ急かすとかどんだけデリカシーがないんだ。そんなんだとプロに行ってもファンクラブどころか後援会すらできないぞ」


「知るかよ。少なくとも敵地のど真ん中でふんばってるやつにデリカシーとか関係ないだろ」


「まぁそれでも待ってやろう。せめて流す水音がしてからだ」


「あ、でもここのはあらかじめ持ち込まないといけないタイプだったはず……」


 ケイが言いかけて押し黙った。


 それだけ今度ははっきりと聞こえた。


 足音、それも沢山の、大人数の足音が、こちらに近ずいてきた。


 俺が改めて構え直すのとほぼ同時に、最初の一人が闇から現れた。


 姿形は、最初の首をはねられた緑の覆面と瓜二つだった。


 それが二人、三人、なんて生易しい単位でなく、びっちりと詰まった行列として現れた。


 当然手には竹槍が、その斜めの断面をこちらに向けて突き出していた。


 明らかに敵意のある行進の前に、最初に切り倒された頭も体も竹槍もまとめて踏み潰される。


「あっちも」


 ひきつるケイに言われてあっちがどっちか瞬時にわからなかったが、あっちもどっちもびっちりだった。


 これから行こうとしてた闇の先からも、すでに通り過ぎた闇の先からも、全く同じ、背丈すらも揃った緑の覆面の集団がこちらに行進してきていた。


 三方向竹槍迫る。


 囲まれたら最後だ。俺は機動力を発揮できずに圧殺される。


 その前にこちらから一方を、来た道のに切り込んで切り開くしか手はない。


 ……だが未熟、俺はまだ、味方を見捨てる非情さを、持ち合わせてなかった。


「何やってる速く入れ!」


 ダグに怒鳴られ急いで続いてトイレへ入る。


「どうするですか!」


 ケイが泣きそうに叫ぶ。


「バリだ! バリケード張ってしのぐしかない!」


 ダグが怒鳴りそこら一帯のドアを棍棒で叩き砕きながら入り口へと積み上げていく。


「なんでてめーら入って来てんだよ!」


 この後に及んでわかってないバニングさんまで怒鳴ってきやがる。


 座るのは一番奥の角、漏れ出る灯りですぐにわかった。


 俺は黙ってバニングさんの入ってる個室のドアを蹴破る。


「てめ殺すてめ出てけ殺すまじ殺す!」


 顔を真っ赤に、股の間を手で押さえてるバニングさんの相手をしてる間もない。蹴破ったドアを担ぎ出して出入り口へ。


 重ねたドア、砕けた便器、下敷きにされたケイ、簡易のバリケードはあっけなく押し退かされた。


 そのまま数の力でグイグイ中へと流れ込んでくる。


 後はない。付け入る隙間もなく、警告の言葉もなく、躊躇も慈悲もないだろう。


「助けて! そのために雇ったんですよ!」


「三千本安打するまで死んでたまるか!」


「わかった! わかったらせめて履くまでまってて!」


 ケイ、ダグ、バニングさんが叫び喚く。


 そしてトイレの一番奥の角、バニングさんの個室の中まで追い詰められてしまった。


 迫る緑の覆面はみっちり隙間なく、いや頭上のわずかなスペースだけはある。


 ならもうヤケだ。頭上に飛んで息が切れるまで斬りまくってやる。


 覚悟し、踏み込んだ瞬間、揺れた。


 ガギンともバキンともミチリとも聞こえる、あるいは重なって聞こえた音と共に、天井が跳ね上がった。


 ……いや、床が抜けたのだった。


 造ったやつはトイレにこれだけの人数が一度に入ることを予想してなかったみたいだが、同じぐらい、俺たちはトイレの下にこんな広いスペースがあるとは予想してなかった。


 体感として一階分ほどの落下、ついた底は斜めで当然滑る。そうして下る先は、さらに下へと滑り下る暗い暗いトンネルだった。


 「どうなんてんだてめらあ! ら! あ! ぁ!」


 バニングさんの怒声がどこまでも木霊した。


 ▼


 先の見えない下り坂、真っ暗なトンネルの最前線を滑るのはバニングさんだ。


 便座に座ったまま、逆立つ髪をなびかせて、股の間に手を置いて隠しながら、クルクル回り、滑って行く。さすがにその目は涙目だった。


 その次に滑るのがダグとケイだった。


 正確には横に倒れたケイに跨ったダグだった。


 ケイは斜めの床にダイレクトに触れてるらしく、滑る速度が上がるにつれて接触面からの火花が大きく光る。そこから上がる、悲鳴のような金属音に、他のあらゆる音が消されていた。


 乗ってるダグは頭上にバットを振り回し、満面の笑顔で完全に楽しんでいた。


 ……その次は、俺たちが乗る瓦礫だった。


 大量の床と壁と便器、重なり混ざり、急激に滑るそれらはさしずめ激流を流れる筏だった。


 風を斬る速度で滑る滑る。激流ならば落ちても溺れて岩にぶち当たるだけだが、ここではすりおろしされて滑る下に巻き込まれるだけだ。


 現に、緑の覆面は多くが巻き込まれ、残ったものも転げ落ち、瓦礫に飲まれて引き裂かれて瓦礫の一部に埋まった。


 皮肉にも滑る勢いが臭いを置いてけぼりにしてくれる。だが、心に残るものがあった。


「なぁ、こんな状況だ。ちょっと休戦しようぜ」


 風に消されたか、俺の言葉は届かなかったらしい。


 緑の覆面は躊躇なく竹槍を突き出してきた。


 不安定な足場、跳べば戻れない。好まないが足を踏ん張り刀で迎え撃つ。



 ヘケト流剣術『地鏡』



 肩幅より少し広めに足を広げ、内に挟むように力みながら体の軸を足と足との間で左右に揺らし、捻り、いなす。下半身を安定させながらの回避の構えは、不安定な船上での戦いに産み出されたものだが、技としては正直まだ未完成だった。


 そんな俺へ繰り出されるのは鋭い突き、だが幸い竹槍は竹、強度では鋼の刀に劣っていた。


 一閃、下から跳ねた刃が竹の穂先を輪切りに斬り落とす。


 だが覆面は怯まない。ただの棒となった竹槍を今度は振り上げての打撃、これを正面で構えてた刀の腹で横へといなし、返す峰打ちで小手を叩いた。


 衝撃に片手を放したところへ雑に蹴り上げ、槍を蹴り飛ばす。


 不安定な場で片足上げる悪手、それでもいい感じに決まった攻撃で、覆面の手から離れた竹の棒は天井に当たって後方へと流れていった。


 勝負あり、決着、ならば引くのが定石……なのに覆面は、素手で飛びかかってくる。それも両手を広げげ抱きしめるように、だ。


 捕まれ押し倒されて転がり落ちれば当然、ミンチだ。


 クソが!


 悪態を飲み込んでの一太刀、内から外への横一線、忌々しいほどに綺麗に走った斬撃に技名などない。


 それでも、緑の覆面の右腕と首を跳ね飛ばすほどに鋭かった。


 手応えなど覚えたくもない。


 人を、ましてや敵を斬るのに嫌悪感とは、未熟の極みだ。


 刀を振るい汚れを落としながら、己がなし得た決着を見下ろす。


 斬り伏せた覆面の残り、その切断面、こぼれ落ちてるのは、血よりも硬い何かだった。


 それは何か、刀を嗅ぐ。


 鼻腔に届いたのは土の臭い。つまりこいつは土の塊、恐らくはそれを魔力で動かし兵とする。すなわちこいつはゴーレムだった。


 軍用に量産されたのは見聞きしてるが、人の形まで小型化されてるのは初めて見た。


 だがこれで諸々の疑問が解ける。


 ……それ以上に、人を斬らずに済んだと思う自分がいた。


 正に未熟だ、と苦笑しながら刀を納める。


 と、滑る速度が落ちている。


 振り向いて見ても見えるのは闇、だが、この先がトイレの底だと思い出した。


 ……人を斬るよりかはマシだが、それでも好ましくない行き先だった。

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