居住区 2

 ……退屈はまだまだ続いていた。


 変わらない作業、変わらない部屋、変わらない廊下、変わらかった。


 俺は、信心深い方じゃないが、きっと地獄の中のはこういうジャンルの地獄があるだろう。落ちるとしたらどんな罪だ?


「だからチャンスを対等にするためって名目だけど、それは球団側の話で、選手としては不条理なんだよ。ただ売名行為で参加する球団ならまだしも、他に取られたくないってだけで選ぶ、妨害ピックなんてのもあるから、根本的にドラフトは改革しなきゃならないんだよ」


 あぁ間違いない。落ちるのはダグだ。


 いつ終わるとも知れない流れ作業に、ケイの面白くはないが大事な話のネタが枯れ果て、面白くもなければ大事でもない野球の話を一方的に飽きることなく話し続けてるダグは、こいつの宗教ではどうだか知らないが、俺の神は有罪と言っている。


 はっきり言って、今すぐ黙らせたい。が、黙らせたら今度は静寂で、絶対精神をやる。


 なら、これは必要悪だと割り切るしかない。


 ふと、この声が敵を呼び寄せるのでは、とも思うが、そうれを言うならそれ以上に目立つであろう、このフヨフヨした灯りをなんとかしなければなるまい。


 ……まずい。今、気を抜いていた。


 ドアを開け、中が変わらず空っぽだったから良かったものの、何かあったら、間違いなく反応できなかっただろう。


 これは問題だ。集中力が切れてる。それも無自覚で、だ。


 今のところこんなだけど、入り口で敵がいるのは確認済みだ。最善を尽くすなら少し休まないとまずい。


 と、またドア以外が先に見えた。


 今度は二つ、中央への廊下と、外周に新たに現れたドアだ。そして外周のドアの上にははっきりと『トイレ』とある。


 言うまでもなく、これまでの個室にトイレはなかった。考えて見れば限られたスペース、汚れる場所はまとめて共用にした方が効率は良い。


 それに、キリも良いだろう。


「なぁ。そろそろここらで休憩を」


 と、俺が言い終わるより先に、バニングさんがズンズン進む。


 曲がり角も先の暗闇も無視してトイレの前に、今までの倍の速度で罠を探し、一人で納得して勝手に開ける。


「おい待て」


 慌てて止めて、先にトイレへ。


 中はなかなか広く、出るかは知らないが手洗いに蛇口、あとは全部個室で、ドアが開けっぱなしだった。


 試しに一つ覗いた便器は、いかにも未使用といった感じで汚れも匂いもなく、湿り気もなかった。トイレットペーパーは完備してあり、あと見慣れぬものとして柄杓の入った空の小さな壺が端に置かれていた。思うに、壺には本当は水が満たしてあって、それを掬ってかけて出したモノを流すのだろう。水洗だが、レトロだ。


 少なくとも俺の目には敵も罠も見えなかった。


 と、襟首を掴まれ後ろに引っ張られる。


「出て」


 強い口調、振り返ればバニングさんが、今までとは比べものにならないほど眼力で俺を睨んでいた。


「早く」


 短く小さく、なのに圧倒的な威圧感のある一言に、俺は何も返せず、ただ廊下へ出るしかなかった。


 バタリとドアが閉じられる。


「なんだよトイレかよ」


 ダグに言われてやっとそれに思い至った。


 あーーーそうか、やっぱり女性にあの樽は無理だったのか。


 ▼


 トイレの前は、最悪な場所だった。


 背後のトイレは袋小路と知ってるが、残り三方向からはどこから敵が来てもおかしくはない。しかもこちらからは闇の向こうは見えないのに、向こうの闇の中からはこの光は目立ちすぎるだろう。


 休むなら、今まで見て来たいくつもの部屋のどれかの中が、と思ってたんだが、一人残しての移動は問題外だった。


 ……それにしても、バニングさんのトイレは長い。


 女性のトイレがどんなものか想像するのもアレだし、聞き耳立てるのもアレだし、声をかけて急かすのもアレだ。


 残された道は野球の話に聞き入るしかなかった。


「バッティングフォームを意識して素振りしてると下半身の筋肉が鍛えられて便秘しにくくなるんだぜ」


 ……野球もトイレから離れきれないでいた。


「みなさまは普段、どう済ませてるのですか?」


 ケイからの素朴な質問、その実態はデリケートでなおかつ汚い話、なので、答えにくい。


「んなもん、そこらにしちまえばいいんだよ」


 野球好きには関係ないようだ。


「人の体も自然の一部、出されるものも自然の一部、全てを自然に返すが摂理というものよ」


 違った、宗教屋には、関係ないようだ。


「それは、このような地下施設、でもですか?」


「当然。匂いがへばりついて取れないが、まぁおれの家じゃないしな」


 ガハハと笑うダグ、こんな下品なやつと一緒と思われたくない。


 …………と、その笑いがぴたりと止んだ。


 違和感、ダグを見れば初めて見るような真面目な顔つきに、気を引きしめてダグの目線を追う。


「なんです?」


 ケイの質問を最後に沈黙、息を止め、耳をこらして聞こえてくる音は、三つ。


 微かな水の音と唸り声は後方トイレの中から、だが、最後の足音は、ダグが見つめる中央への廊下の、闇の先からだった。


 その足音はだんだんと大きく、近いて来る。


 身構える。


 最大限の警戒、一足飛びの構え、ふんばってるバニングさんに声をかけてる暇もなく、そいつは現れた。


 灯りの間合い、現れたそいつは、人、なのだろう。


 形は、人の形をしていた。


 基本は黒いタイツだ。それに緑色の手袋とブーツ、そして首まで隠す緑色の覆面をしている。覆面の穴は目のとこだけで、それも黄色く光ってるように見える。


 そんな外見の人の姿が現れて、ゆっくりと、こちらに歩いてきていた。


 その動きはぎこちない。目印に渡された赤い布もないし、何より手に持つのは、竹槍だった。


 硬い竹の、幹でいいのか? それをやりの長さに切って、先端を斜めに切っただけの武器、安く簡単に作れるが、相手が生身でも一突きでダメになる。そんな竹槍をわざわざここまで持ってくるとは思えない。


 それに竹が広がったのは戦時中、生える速さと丈夫さから植竹されたのが始まりなはずだ。なら、ここにあっても問題ない。


 つまり、こいつは、ここの人間と思われる。


 元老院か護衛の方かは判別できないが、敵ではない。敵ではないと伝えなければならない。そういう交渉役は間違いなくケイだろう。


「あれ」


 口に振り返った時、視界に引っかかったのは大きく振りかぶったダグだった。


 高く上げた足で大きく前に踏み出し、縦に切り付けように腕を振りぬいて、投げた。


 投げやがった。


 速球、白い玉は、真っ直ぐ伸びて緑色の覆面にめり込んだ。そのまま大きく仰け反り後頭部を床に打ち付ける。そこからころりと転がりおちた白い玉が、闇の方へと転がり消えた。


 実に見事な先制攻撃だ。


「何やってんだでめぇ!」


 思わず怒鳴りつけるもダグはこっちを見ない。笑みも消えて真剣な眼差しを緑色の覆面へ向けていた。


「あれ、人じゃないぜ」


「あぁ?」


「俺もヒーラーの端くれ、人体は見慣れてる。だがあれは、関節や筋肉の動きは人じゃない」


 真面目な顔できっぱりと言い切るダグ、だがどうも信用できない。とりあえず攻撃するバカはどこにでもいるからだ。


「……なら、俺はどうだ? 俺らヘケト族は手の指の関節が一つ少ないんだぜ」


 ダグはわかりやすく目をパチクリさせる。


「……お前らは、なんだ、例外だ。実際人だし、仲間だし、それにこれまでの会話とかで暑い野球魂がだなぁ」


「嘘だ。関節は親指以外は二つづつ、水掻き以外はお前らとだいたい一緒だ」


「お前、嘘は良くないんだぞ。フェアプレイはスポーツマンシップの基本だろが」


 なんやかんやと言い訳を並べるダグ、その程度の観察力で人じゃないとか、笑えない。


 …………だけど、人じゃないのは間違いないようだった。


 竹槍を杖にして、正にしなるように体を持ち上げ、体を戻す姿は、グニャグニャで、まるで骨がないように見えた。


 少なくとも、俺の知ってる人間は、あんな動きはできない。


「……なんだよ、あれ」


 思ったことを呟いただけの言葉は質問になっておらず、だからなのかダグもケイも応えなかった。


 反応に困ってるこちらへ、緑色覆面はグニャグニャの体を揺らしながら迫ってくる。


 ただ確実なのは、こちらが一撃入れたこと、それで敵対してしまったことだ。


 なら、斬るだけだ。


 鞘に左手を添え、右手でそっと柄をなぞる。


 迷いを捨てて一太刀に集中する。


 だがあれとの間合いはまだ遠い。俺の一蹴りじゃあやや届かない。もう少し引き寄せてからだ。


 …………あと一歩……あと半歩…あと爪一つ。


 今、とつま先に力を込め蹴り出る刹那の前に、覆面の首が飛んだ。


 音もなく天井に当たって落ちる首、少し遅れて倒れる体、その向こうに立つのは、骨の面の剣士だった。

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