夏の終わり

 屋外大好きっ子のにしのんが、ズラリと並ぶ出店へとダッシュした。

 レモン柄の浴衣に、髪を後ろでお団子にして。


「お団子が、お団子を買ってるよ」

「あはは、ほんとだね」

 俺の横で笑っている長谷川先輩は、藍色に花柄の浴衣。


 大学の長い夏休みも、もうそろそろ終わりだ。

 

 花火会場は人でごった返していて、にしのんとはぐれてしまうアクシデントもありつつ、到着した。


 本屋のバイト代で、有料席を予約していた。

 ブルーシートに、ごろーんと横になる。女子2人については、ブルーシートの上に、持参の縦長シートをそれぞれ載せてから。


 浴衣を汚させたくないし。


「川の字みたいだね」

 真ん中に入った、ちびっこいにしのんが言う。

 それをヒントに、「シ」だとか「ツ」だとかを3人で表現して笑った。


 ブルーシートは、四隅を銀色の、「?」の形をした金属ピンで留められていた。なので、ごろごろやってもブルーシートはズレない。


 虫よけを、長谷川先輩から借りる。


「あっ! じゃがバタの屋台が復活した! ちょっと見てくる!」

 にしのんが言って、ダダダッと走っていった。


「どう、一ノ瀬くん、執筆の状況は」

 長谷川先輩は、走り去るにしのんを見てふっと笑ってから、そのままの目線で、俺に聞いた。


「そうですねぇ……」


 長谷川先輩とにしのんから、応援をもらった。

 マルヤマの編集者、安東さんから、ヒントももらった。


 けど、どう書いていいかが分からない。


 SNS「シュットドン」の方では、御大おんたいさんに相談することが多かった。

 しかし、レベルが違うというか……。

 要求されるハードルの高さというか……。


 マルヤマ大賞の落選後に、投稿サイト「カキスギ」に公開した処女作『座椅子の偉大なる種族』。それを改稿して、一歩先に進みたいとは思っている。


 けれど、例えば「今日書き足そうとした1000文字が、そのハードルを超えているか?」というと、自己評価ですら全然落第で。


(誰に向けて……か)

 そこも定まらないまま、書いては消し、書いては消し……を繰り返す、停滞状態に陥っていた。


「まぁ……進んではいます。対象読者を誰にするのか? っていうアドバイスを、こないだのイベントで、もらってきたので」

「そっかぁ。一ノ瀬君も、そこで悩むんだね」


(あれ?)

 先輩は、ちょっと意外なことを言った。


「きっとそのうち、スイッチみたいなものが入るよ。そこまでの辛抱だね」

「あの……先輩。小説、詳しいんですね」


 先輩は、ハッとした表情で言った。

「いや……いちおう文芸サークルですし」


 にしのんが、屋台付近で、知らない男に絡まれている。またナンパか。


 の出番かな?


「い、一ノ瀬くん、行ってきたら?」

 先輩はそう言って、ちょっと慌てた様子で、屋台の方を指さす。


 俺はブルーシートから腰を少し浮かした。

 が、にしのんはいつものサバサバした感じで、ナンパさんをあっさりとあしらっていた。


 そのあしらいっぶりに安心したのか、長谷川先輩は、こんどは落ち着いたトーンで聞いてきた。 

「にしのんとは、最近どうなの?」

「どうって、何がです?」

「いや、お似合いだと思って」

 目線が合うと、長谷川先輩はニコっとした。


「そうですかぁ? あいつ、やたら俺につっかかって来ますけど?」

「あはは、それだけ距離が近いってことじゃない。いいと思うけどなぁ?」

 先輩は笑った後、少しさびしそうな顔をした。


「にしのん、凄くいい子だよ?」

「それは同意ですね。可愛いくて、元気で……モテるだろうなぁ」


 その証拠となるシーンが、まさに今、屋台付近で展開していたし。


「あ、はい。表情で、よくわかりました」

 くすくすと笑い始めた先輩。表情から、何を読まれたんだろうか?


「先輩は、どうなんです?」

「私? 気になる人なら……いる感じかな」


「ええー!?」

 驚きすぎて、ブルーシートがズズッと動いた。その四隅が銀色の「?」形ピンで留められていたにも関わらず。


「ち、ちょっと、一ノ瀬くん驚きすぎだよ。こっちがビックリしちゃうよ」

「だだだだって、先輩みたいな綺麗な人に、想われている奴がいるなんて、もう、ふざけんなそいつですよ! 羨ましすぎ! SAN値正気度がごっそり削られちまいますわ!」

「おおげさ。おおげさ。私モテないし」


「それはない! だんじてない! ない! ぜったいに!」

 拳を握って力説する俺。


「ここに来る間も、何回もナンパに寄ってこられてたじゃないすか」

「いやあ……、ああいうのは……ねぇ? 興味ない人から言い寄られても、困っちゃうし……意味ないよ。まぁ、私の方の気持ちは、気付いて貰えない感じなんだけどね」

 と言って苦笑しながら、先輩は夜空を見上げた。まだ花火は始まっておらず、星の瞬く空だった。頬から顎、首に至って藍色の浴衣へと収まるしなやかな曲線が、芸術品のようだった。


「くひひ、鈍感な奴め。だがそれがいい! 俺にもチャンスが回ってくるかもですからね。ひひひひひ」

 怪しげに哄笑こうしょうしてごまかそうとしたら、先輩は爆笑していた。


 ひとしきりわらった後、しばしの沈黙が、ブルーシートの上にあった。ブルーシートの外は、喧騒。

  

「あの、先輩。ぶしつけな質問なんすけど」

「なに?」

 後ろ手をブルーシート上に載せ、体重をかけた姿勢のまま、首だけ、こちらにクイッと向ける先輩。


「誰なんです? その羨ましい奴。俺の知ってる人っすか?」

 先輩は一瞬、真顔になった。陶磁器のような、透き通った感じ。そしてその陶磁器に、笑顔という液体が満たされる。


 ブルーシートに後ろ手に投げ出していた俺の左手に、ほんのかすかに、何かが当たるというか、かするというか、そんな感触。


 長谷川先輩は、体を少し前に起こした。ブルーシートに載せられていた先輩の右手が、しゅっと三日月のような曲線を描き、その右人差し指が、先輩の口の前に立てられる。


「ないしょですー」

 

(ないしょか……くそ、マジで誰なんだよそいつ)


 少しして、にしのんが、焼きもろこしを3本持って返ってきた。


 その後ろから、さっきのナンパ男が、距離を取りながらついてくる。

(懲りない奴だな……)

 しかし、連れが居ることが判明して諦めたのか、ナンパ男は、きびすを返して人混みに消えていった。


「いおり先輩、はい」

「ありがと、にしのん」

 1本のもろこしが、にしのんから長谷川先輩に、丁寧に手渡された。


「駆駆、ほれよ」

 別の1本のもろこしは、俺に向かって軽く放り投げられた。あわててキャッチする。


「にしのん、扱い全然違うじゃん!」

「へへっ、あたりまえじゃ!」


 そんなこんなで、花火が始まる。


 大輪の花が、連なって、夜空に咲く。

 歓声が聞こえる。ブルーシートの上からも、外からも。


 3人で、少し斜めの川の字になりながら、その花々を愛でる。 


「花火師さんって、冬はどうしてるか、知ってる?」

 長谷川先輩が聞いてきた。


「オフシーズンだから、花火を作ってるんじゃないですか?」

 にしのんが言った。


「南半球に行って、花火をあげてるんだって」

 先輩の答えはこれだった。


「そっか! 北半球とは、季節が逆だからっすね?」

 俺が聞くと、


「そうそう」

 先輩は微笑した。


「駆駆、意外と賢いじゃんか」

 にしのんに肩を強くもまれて、痛い痛い。ちびっ子のくせに、握力が結構あるんだよな。


 会場に、曲が流れた。

 外国では、花火ショーと音楽とを、融合させるのが当たり前らしい。


 実験的に、それを取り入れた演出のようだった。


「綺麗……」

 と、見とれる、花火よりも綺麗な長谷川先輩。


「BGMとマッチしてて、良いよね。盛り上がるわー!」

 と、テンションが上がる、可愛いにしのん。


 そんな光景を間近で見ながら、思った。


(今って、充分に幸せなはずなんだよなぁ。本当ならば……)


 夏は終わる。

 もうすぐ、新しい季節が始まる。

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