可変肖像のニャルラトホテプ


 長谷川先輩は、ちょっとした秘密基地を見つけたんだそうだ。


 駅から北に進んだ俺たちの目の前には、登りのエスカレーターと歩行デッキ。その先に、NNDXという立派な複合ビル。


 エスカレーターでデッキへ上がる。

 行き交う人の流れは、NNDXビルのへと向かうのかほとんどである一方、俺たち3人は、NNDXビルの右側へと進む。


 NNDXと、南北に走る電車の高架線とに挟まれた、縦長の少し薄暗い領域。

 そこには観葉植物と、大きな椅子とが、一直線にずらっと並んでいた。


「はえー。駅前なのに、人居ないですね、ここ」

 にしのんが言った。


「なんか、ここ、涼しくないですか?」

 俺が言った。

 南から、つまり俺らの後方からビル風が吹き付けて、夏だというのに結構涼しい。にしのんの、赤花柄ガウンの裾がパタパタとひらめいている。


 駅から歩いて2、3分。にもかかわらず、駅前の喧騒けんそうが消えた。


 不思議な空間がそこにあった。

 人が通らない。まるで、邪神の力で、人類が消滅したかのように。


 でも、右に視線をやると、ちょうど俺の目の高さに、駅のホームが映り込む。電車の発車メロディも聞こえた。電車にはたくさんの人が乗っていて、「よかった。人類が消滅したわけじゃなかった」って、心中でこっそり安堵の、中二病な俺。

 

 駅ホームのさらに奥には、どこぞのIT企業の高層ビルが、「どうでい! 一面、ガラス張りでござい!」と自己主張していて、その隙間から、土橋カメラの「橋カメ」の文字だけが見えた。


「いいでしょ、ここ。ちょっとした、夜景の穴場な感じで」

 長谷川先輩が言った。


「いいですね」

 俺はそう言って、椅子にどかっと寝っ転がった。木製の正方形の、4人くらい座れそうな大きな椅子だ。座椅子ではない。


 その椅子の空きスペースに、女性陣2人もちょこんと腰掛けた。


 おしゃべりは女性2人におまかせして、俺は夜空を見る。

 NNDXビルの上層階はビジネスフロアになっていて、まだお仕事をなさっているのだろうか、煌々こうこうと光を放出していた。その光が、空の闇に溶け込んでいくようで。


 俺はしばらく、ぼーっとしていた。


「ふふっ」

 長谷川先輩の小さな笑い声が、俺の頭の上の方から聞こえた。俺は起き上がる。


「のんびりできたみたいで、よかった」

 そういって先輩は微笑んだ。黒髪が揺れる。

「ほんとほんと」

 言ったのはにしのんだ。予想通り先輩から「ダジャレ? 一ノ瀬くんの、二の舞いになるよ」と笑われていた。


 ……


(なんか、いいなぁ)


 そう思った。

 そして気付いた。2人は、俺をリラックスさせてくれようとしてくれたのかなぁ。部室で、微妙な表情を見せちゃったからなぁ。


 こういう時って、「ごめん」より、「ありがとう」の方が良いんだよね? たしか。漫画知識によると。ちゃんと、お礼言った方がいいよね。


 ビル風がおさまった。


「ありがとう」

 俺は、2人に言った。腹式呼吸の、良い声で言った。


 しかし、その感謝の言葉は、けたたましい爆音にかき消され、2人には届かなかった。


 ブブブブブブブブブブーン!!!!!


 ブブブブブブブブブブーン!!!!!


(なんだよ! このタイミングで)

 そう思いながらデッキの下を見ると、小さなレーシングカートが5台、まるで蜂のオバケのような、けたたましいエンジン音を立てながら、左から右へと、一斉に通過して行った。


「な、なんだろう……今の」

 にしのんは、ポカンとしてソレを見下ろした。


「なんか、凄いモノが、いっぱい通り過ぎて行ったね……」

 長谷川先輩は呆然としていた。


 俺は、はぁーっ、とため息をついてから、2人に教えた。

「あれは、ニャルラカートですね」


「「ニャルラカート?」」

 女性陣がハモる。


「はい。クトゥルフ神話の邪神『ニャルラトホテプ』のコスプレをして、レンタルカートに乗り、街の注目を集めるという、今流行はやりの遊びです。外人の神話好きさんとかが、よくやってるみたいで」


「えっ? そんなのが流行ってるの? ……にしのんは知ってた?」

「知らないですよ先輩! いいんですかね、あんな事して」


「邪神ニャルラトホテプは、顔がなく、千もの異なる顕現けんげんを持つと言われている存在です。だから、そのコスプレだって、ほら」

 俺はそう言って、下の道路を指差す。


 ブブブブブブブブブブーン!!!!!


 ブブブブブブブブブブーン!!!!!


 さっきのカート5台がUターンして、こんどは右から左へと、一斉に通過して行った。

 

「なんじゃありゃ」

「バラバラだねぇ……見た目も、何もかも」

 女性陣2人は、この世ならざる者を見たかのように、ポケーっとしていた。


「ニャル様は元の姿をそもそも特定できないから、肖像権の違反にも、なりづらいらしいですよ」

 俺はたまたま、ニュースで見て知っていた薀蓄うんちくを、少しだけ披露した。


「「お、おう……」」 

 2人はやはり、唖然としていた。

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