そう簡単にフラグは立たない
シーサイドステージの「カプリコン」は、そのスタートで少しもたついた。
始まる直前、雨がパラパラと降ったからかな?
裏方さんの準備が手こずっているようだった。
俺はにしのんに言う。
「天気予報、ハズレじゃなかったっぽいね」
「天気ー!
無宗教なはずのにしのんは、緩やかな階段状のスペースにしゃがみながら、両手を握りあわせ、神に祈るような仕種をしていた。
「(ー人ー)が」
「(ー人ー)ん」
「(ー人ー)ば」
「(ー人ー)れ」
顔文字つきの
中2病を多少
まぁ……そんなオリジナル邪神『アメノハレカス』を自作『座椅子の偉大なる種族』で登場させてはいたが。さすがに現実世界で呼び出せるものでもない。
誰の願いが誰に聞き入れられたのかはわからない。けど、パラパラ雨は止み、ライブは10分遅れで始まった。嬉々として立ち上がるにしのん。俺もつられて立ち上がる。一緒になって楽しむ。「カプリコン」はシーサイドステージを揺らした。
その結果。
大ラスの「ホットプレイズ」を見に行くための移動が、予定より遅れてしまった。
でもまだ、群衆には呑み込まれていない。俺たちと同様に移動しようとするフェス参加者の多くは、俺たちの後ろに居る。
「駆駆、急ごう!」
「はいよ、にしのん」
シーサイドステージは、入口に近いオープンステージ。そこから、最大規模のシャーウッドステージまでは、歩いたら15分はかかる距離だ。
どちらからともなく手を繋いで、俺たちは走った。
(俺の手、汗で、にしのんは気持ち悪く思わないかなぁ?)
なんて心配も、実はしたけど、その辺は
「あっ」
というにしのんの声と共に、繋いだ手の先から感じる「重さ」が、突然下へと移動した。腕が引っ張られる感覚。俺は慌てて足を止める。
「にしのん、大丈夫?」
「ちょっとすっ転んだ。あはは」
にしのんは、カモシカのような俊敏さで跳ね起き、また、駆け始めた。
「おっしゃ! はぁはぁ。 間に合った! はぁはぁ」
「ぜーぜー。にしのん、体力あるなぁ」
ラストのアクト「ホットプレイズ」は、圧巻だった。
モッシュも起こらない。染み入るような音。
他のステージから続々と集まって来つつある観客達。ある人は静かに立ち、ある人は草の上に腰をおろして、その音を全身で受け入れる。
雲が消えた。
風と、晴れ間。
そして風がおさまる。
夜になると、空気を伝う音は、よく伝わるようになるんだろうか?
天にある夜色グラデーションはドーム状になって世界を覆っているかのようだ。
夜色ドームは、音を吸い取る膜なのだろう。
そんな事を思った。
音が、会場の植物と、土と、空とに向かって飛んでいって、そこかしこに浸透していくようなイメージ。きっと俺らの体にも、同じように浸透しているのかもしれない。もしかすると、心にまで。
ふと横を見ると、何も言わず立ち尽くすにしのんの目尻には、うっすらとした水があった。雨ではなかった。それはひとしずくの水滴になり、やがてにしのんの、形のよい、やわらかそうな頬を、なでるように伝った。
俺は、自分の胸の奥が、きゅっ、と音を立てるのを感じた。
◆
わだち海浜公園の全体が、祭りの後の空気を
みな満足そうな顔で、会場入口の方へと歩き出す。
ライトの消えたステージ。
そこから少し離れた木々を背負うように、屋台がズラリと、大きな裸電球に照らされつつ並んでいて、売り子さんが「あいよ! フランク、半額だよー!」と、本日最後のかきいれ時を迎えていた。
にしのんは電池を使い切ったみたいに、草の上に、へたりと座り込んだ。
「楽しかったね」
と声をかける。
「うん」
と短く帰ってくる。
「帰りのバスの時間もあるし、そろそろ移動しよっか」
と、スマホの時計表示を見ながら俺が言うと、にしのんは、
「わたし、帰りたくないなぁ」
と言った。
(!!!!!)
漫画とかで学んだところによると、このセリフは「恋愛フラグ」のはずだ!
どうフラグ処理をすればいいのか? 「モテないさん」である俺にはまったく分からず、当然ながら脳がオーバーフローを起こした結果――。
短く
「お、おう」
と返した。
にしのんがその次に発した言葉で、あっさりと真相が判明した。
「あたしはもう少し、この余韻に浸ってたいよ」
あっぶねー!
フラグじゃなかった! フラグじゃなかった!
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