西野ー! 口!
街に出た。
予定は急に決まった。
俺が沖袋駅に着くと、広告が出ていた。
のれんのオバケみたいなのが、縦横無尽に天井を走っていた。
(これ……よく知っているやつだ)
マルヤマ書店の小説投稿サイト「カキスギ」から、ついに生まれたヒット作品『馬泥棒の異世界メルオク出品記』の、宣伝だった。
そのあらすじはこうだ。
馬を盗んでは異世界に行き、「メルオク」というネットオークションスマホアプリに出品する。
その異世界では馬が貴重らしく、高値(ただし、異世界の通貨)で売れる。
そこからどんどんと、この世界の物を異世界へ持ち込んでは、メルオクで売って利ざやを抜き、主人公が成り上がるお話。いわゆる「異世界せどり」系だ。
のれんのオバケみたいな駅前広告は、異世界側の銀髪ヒロイン「エネット」さんが、ニマニマしながら異世界ソロバンを弾いている絵だった。
(この「七七七」さんの絵が、滅茶苦茶いいんだな)
俗に言う「なんかヒラヒラした服」を着たエネットさんが、弾けるような線で、可愛く描かれていた。
最近コスプレとかでも、エネットコスをやってる人を良く見かける。俺にも大人気で、SNSで、
『エネットさんのコス、ヤバすぎる』と公言していた。
天井だけじゃなかった。
駅構内の柱という柱には、縦長の大型モニターが埋められていて、それらが表示するのもやっぱり、異世界メルオクのエネットさんの絵。駅全体を広告でジャックしている感じで、マルヤマ書店の「売るぜぇぇぇぇ!」っていう
(羨ましいな……自作にこんな挿絵を書いて貰えたら、すっごく嬉しいんだけどなぁ)
そんな感じで、天井やら柱やらをきょろきょろ見ながら歩いていたら、進行方向から聞き慣れた声がした。
「おっそいよー!」
突き当りの壁ぎわに、西野さんが立っていた。文芸サークル「神話文芸亭」の、同期の女の子だ。
後ろの壁に大きく描かれたエネットさんのソロバン(横)と、立ったちびっこい西野さん(縦)とで、十字を作るような感じで居た。
西野さんの今日は、濃紺の長ズボンにスニーカー。だぼっと羽織るような薄デニム色のダンガリーシャツ。袖をまくっている。ちびっこい体にあわないその服のサイズは、「お兄ちゃんから借りましたー!」感が出ているけど、西野さんに兄は居ない。
彼女は人混みを巧みに避けながら、小走りに駆け寄ってきた。もう一人の連れを、壁ぎわに残して。
「お休みだからって、寝すぎなんだよ」
「ごめんごめん。
俺はそう言って軽く頭を下げた。
昨日と同様、今日も肘の辺りを西野さんに引っ張られながら、すなわち高柔軟性の胸部膨張体の感触を少し感じながら、壁までたどり着く。途中、行き交う通行人に、何度かぶつかりつつ。
「一之瀬くん、おはよ」
長谷川先輩がピラッと手を上げる。今日のお
ってか!
服装より先にさぁ!
メ ガ ネ っ 子 だ と ! ? (驚)
「メ……」
危ない。口をついて出そうになった。
(先輩が眼鏡をかけたら、「知的可愛い美少女」に進化するに決まってんだろ!!!!! おめでとうございまーーーーす!!!!!)
待て待て、どうどう。俺の心よ。
肩から胸元に渡ってレースをあしらった、ノースリーブっぽい袖丈の白トップス。
すねぐらいの丈の、白と青の縦縞のフレアーワイドパンツ(ってか、末広がりのスカートに見える)。
きゅっと締まった腰には、ベージュのサッシュベルト。帯みたいなやつね。
で、ですよ。
手提げカバン。
細く白い二の腕。
細フレームの眼鏡。
萌 え 死 ぬ る !
どうどう、どうどう。
努めて冷静に見ると、心なしか、先輩の顔には疲れの色があった。
「遅れてすみません、待たせちゃいましたね……」
俺はさっきよりも大きく頭を下げる。
「あはは。別に大丈夫だよ」
長谷川先輩の眼鏡の奥の、上まつ毛と下まつ毛とがくっついた。口角が少し上がった。
……。
……。
一応、ここに至る経緯なんだけど。
正直な所、小説の「次」を書ける気が、全くしなかった。
遅く起きた俺は、日課の「1日300文字練習」もサボって、ゲームをしていた。
俺なんかが小説書かなくたって、面白いものを書くやつはいっぱいいるし。
とにかく、つかれた。
何の気なしに確認したスマホの
『ミッション発動。午後にダイスをゲットしにいくから、駆駆くんも来て!』
慌てて家を出た。そして今に至る。
「急すぎるよ。集合指示がさぁ」
と、俺は西野さんに言う。
「しょうがないでしょ! いおり先輩が、『今日がいい』って、突然言い出すんだもん」
西野さんは、あごをしゃくれ気味にして、そう応えた。
「えっ、そうなんです?」
俺の声はちょっと大きかったかも知れない。
「一之瀬くん、ごめんね。にしのんも、今日なら空いてるみたいだったし。ついでに寄りたいところもあって」
「なるほど」
そんな感じで3人で集まって、百貨店「西緩バンズ」に向かう。
さすが土曜の午後。人でごった返している。ふははは人がごみのよ……やめておこう。
俺が先頭になって、後ろに女性陣2人って感じで、人混みをかき分けるように進む。後ろで2人は、楽しそうにお喋りをしている。
あそこの雑貨屋さん、改装したんだね! とか、この映画、気になってるんですよいおり先輩、とか。
途中、2人組のナンパに声をかけられ、「まにあってまーす」と軽くあしらう後ろの2人。何が? 容姿的にも、2人がナンパされるのは理屈では分かるけど、ちょっと嫌な気がしちゃうの、なんでだろ。
「一之瀬くん、このへんの本屋で、バイト始めたんだったよね?」
「です。あそこの2階の、ブックス・マルファってとこで。まだ慣れて無くて、怒られる事も多いですが」
「最初はそんなもんだよ」と、先輩。
「今度こっそり、見に行っちゃうかなぁ、仕事してるとこ。ふひひ」と、西野さん。
「あはは、バイトの邪魔しちゃ悪いよーにしのん」
西緩バンズに到着した。
店の前では、「執事劇団員」ってのがライブをやっていて、長谷川先輩がそれに釘付けになったり。「ねぇねぇ、一之瀬くんも、スーツ着ようよ」と突然言い出して、俺を困惑させたり。
店に入ったら、かわいいトイ・プードルが居て、こんどは西野さんが釘付けになったり。「駆駆くんも、白いモフモフを着ようよ」と俺を失笑させたり。
各駅停車のように進みつつも、無事、ダイス売り場に辿りついた。
さすがの品揃え。
4面ダイス、6面、8面、10面、12面……。バラ売りだけじゃなく、ちゃんと、TRPG用のセットも売られていた。
「駆駆くん、あのさ? これ、どの目が出たか、全然わかんないよ?」
西野さんは4面が気になったみたいだ。緑色の4面ダイスを右手に持ち、俺の鼻先へ突き出した。
「うん、どう使うのかわからないね」
俺の後ろから覗き込むようにして、長谷川先輩がそう言うのも、もっともだ。甘みを抑えた、石鹸に近い、さわやかな香水の香り。胸元が少し気になったのは秘密。
4面ダイスは、普通の6面ダイスみたいに、転がした後の上面に数字が出るわけじゃない。
「4面は、下で数字を読むんですよ」
そう言って俺は、4面ダイスを西野さんから手渡ししてもらう(ちょっとだけ手が触れた)。空調の涼しさの中、西野さんの柑橘系の、ほのかな香りと共に。そして、売り場のテーブルに
「はい。これ、『2』を意味します」
「ええー! なんで? なんでよ?」
「ごめん、私もちょっとわからないかな」
「ほら」
テーブル上の4面ダイスを、親指と人差し指で上からつまみ、くるくると、横に回してみる。
「テーブルで隠れていないどの三角形を見ても、白文字の『2』って刻印が、下側に来ているでしょう? だからこの場合、『2』って読むんです」
「うえええ! ほんとだ!」
「えっ? ということは、『1』とかも、そうなってるの? 一之瀬くん?」
「そうですよお?」
俺はニンマリとして、4面ダイスを置き直した。
白文字の『1』が描かれていていない正三角形の面を、テーブルにペタリと貼り付けるようにして。
くるくる。再び横に回す。
「おわわわわ! どっこもかしこも! 『1』が下に来てる!」
西野さんが大仰に驚く。
「ほんとうだね……」
と、長谷川先輩は感心したように、緑テトラを観察している。眼鏡のツルに、左手を添えながら。
4面ダイスを考案した人は天才だと俺は思う。
俺は2人に、ダイスの目の読み方を紹介しただけだ。
この程度で喜んでもらえるなら、うれしい限り。
ありがとう。4面ダイスを考案した人。
……ありがとう、しのぶ。ごめんよ。
西野さんは、いまだに4面ダイスに食いついている。何度もソレを転がしては、「すげえ!」「すげえ!」「必ず同じ数が出るよ!」と興奮している。
長谷川先輩はその横で、「ほんとうだね!」と、ニコニコしている。
その光景は、とても仲のよい姉妹のように見えた。
「わたし、これ買う! 4面ダイス! 2、3個! カワイイやつを!」
西野さんの鼻息が、「女子としてヤバイのでは……?」と言いたくなるほど荒くなって、それを見た長谷川先輩が苦笑していた。
「にしのん、女子、女子。女子っていう概念を、忘れてるよ?」
「へへへ。いおり先輩、あたしはこれでいいんですよ!」
と、胸を張る。
俺は言った。
「まぁ……クトゥルフTRPGでは、4面ダイスは、あまり使わないらしいんだけどね」
西野さんは、目をまんまるに見開き、口を三角にして
「まじかよ!」
と言った。
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