3人だけの文芸サークル
上条教授の授業は必ず、定刻より早く終わる。延長すると生徒に嫌がられるからだ。
タブレットやらアレコレをカバンにしまって、俺は立ち上がる。
(このまま漫画喫茶にでも寄って、バイトまでの時間を潰そう)
教室の後方出口から、廊下にスッと出た……ところまでは良かったけど。
見つかった。チビっ子に。
「駆駆くん!」
俺を呼び止める声がする。
同じ授業を真面目に受けていた、
パリッとした白シャツの上から、オフショルダーのブラウスを着ている。下はショートパンツに生足(ひきしまった太ももがステキ)。小柄な体より、さらに小さなリュック。
そんな西野さんは、小走りで、俺の近くまで来た。
オフショルダーは、鎖骨や肌が見えるからこそ良い……と、思うんだけど。その肌を、中に着こんだ白シャツで隠しちゃうのは、果たしてどうだろうか? でも、清潔感は凄く出てて良いな。
「駆駆くん、授業おつかれ! この後どうすんの?」
「バイト、かな。本屋の」
「あれ? いつも、バイトは夕方からじゃなかったっけ?」
「ん? まぁ、ね」
そんなあやふやな返答がまずかったのか、流れで、西野さんと一緒に、部室に顔を出すことになってしまった。
「バイトまで時間あるなら、部室寄ってこうよ! しおり先輩も、もう来てるってさ!」
西野さんは、かわいいんだけど、結構空気が読めないというか、押しが強いというか。
「はいはい、行こ行こ」
物理的に、腕を引っ張られた。
豊かとは決して言いづらい柔軟性胸部膨張体が、俺の腕に多少接触する(婉曲表現)。
学生だらけのだだっ広い「本部」キャンパスを、2人で反対側まで突っ切る。道に出てしばらく歩き、交差点を渡った先に、「文学部」キャンパスが見えてきた。その間も、西野さんに何度も腕を引っ張られた。
文学部キャンパス、通称「文キャン」もまた、やたら広い敷地に、緑が植えられていた。校門の所には、守衛さんのブースがある。
そんな文キャンの入口を「スルー」して、そのまま歩き続けると、緩やかな上り坂になる。文キャンのさらに裏手に、大学所有の大きな部室棟があり、その302号室が、我等がサークル「神話文芸亭」だった。
分かりやすく言うと、たくさんある文芸部の「うちの一つ」。
うちの大学は、1学年あたり1万人弱の学生が在籍する、マンモス私大。文芸サークルだけでも10以上はある。
例えば「ミステリ研」なんかは部員50人強の大所帯で、現役プロ作家もたくさん輩出していた。
「田中帝国」は、田中について研究する変わった文芸サークルで、田中縛りのある変わったサークルだった。
そんな中、俺が属する「神話文芸亭」は、「弱少」「まったり」「飲み強制無し」を
部室棟に入ると、熱風が充満していた。
空気が篭りがちな、コンクリート打ちっぱなし。薄暗い廊下を歩き、エレベーターで3階まで。302のドアを開けると、中は細長いスペースで、突き当たりに大きな窓があった。左の壁には俺より背の高い本棚がほぼ全面を占拠し、そこに、たくさんの蔵書が並んでいた。OBの寄贈本もある。
「あっ、……お疲れさま、2人とも」
先客がいた。読書中だった女性が1人。部屋の中央にある折り畳みの長机に、お行儀悪く両足を投げ出し、椅子でバランスを取っていた。
白スカートが若干はだけているのを気にしたのか、彼女は恥ずかしそうに、手にしていた本を長机に置いて、床に足をつき、居住まいを正した。ライムグリーンのシャツが爽やかだった。
「いおり先輩!」
俺より先に入室した西野さんが、ヘッドバンギングのように元気にお辞儀。
「長谷川先輩、えっと、どもっす」
俺も挨拶はちゃんとしたつもりだ。少し、どもり気味だった。だって、脚線美は、健全な男子には、精神ダメージやばいだろう?
部室の先客は、このサークルの部長、
長谷川先輩は、こんな弱少サークルに居るのは、正直おかしい(容姿的な意味で)。大学のミスコンとかに出たら、優勝できちゃうんじゃないか? と思える程、整った顔立ちと、スタイルをしている。
マンモス私大の弱小サークル故に、まだ見つかってないけど、いつ「長谷川先輩目当て」の男衆が、このサークルに押し寄せてきても、正直おかしくないと俺は思う。
「いおり先輩、何を読んでたんですか?」
西野さんが聞く。
「あ、これ?」
長谷川先輩は、一旦机に置いた本を、再びひょいっと取り上げて、こちらに表紙を見せてきた。ラノベだった。
マルヤマ書店発行の、『異世界にぶつかったらトラックに転生した件』というタイトルの文庫だった。
その表紙の絵柄は、トラックがサイドミラー状の両手にそれぞれ剣を持ち、美少女化した椅子を背中の荷台に載せせたまま、敵に突撃しようとしているシーン。勢いのある線で描かれていた。
2トントラック(主人公)を迎え撃つ敵も、表紙の左側に小さく描かれていて、その正体は「フッソ」というガソリンスタンドだった。
長谷川先輩はちょうど、バトル描写のところまで読み進めていたようだ。
「今、お話が盛り上がって来たところなの。主人公のトラックが、
「芸術は爆発なんですよ! いおり先輩!」
と、西野さんは目を輝かせた。オフショルダーのブラウスが、少しだけずり下がった。
「で、ですね」
ちょっと思う所もあって、ややどもりながら、俺は言った。
そのラノベ、先日読んだから俺は知っている。
というかその本、俺がこのサークルに寄贈したやつだ。
そのあらすじは、こうだった――。
ある日、主人公であるモテない男子大学生、
地表に激突した異世界からリア充カップルを助けた結果、主人公が代わりに死んでしまい、現実世界でトラックに転生する。
そんな話。
「異世界あるある」というより、異世界転生モノの「トラック」と「異世界」の概念を逆にした感じの異世界大喜利系。
主人公の火野君だけじゃなくて、異世界と衝突した作中人物は、現実世界において、ドラゴンに転生したり、椅子に転生したり、剣に転生したり、魔法に転生したりする。そのため、お話が進むにつれて、普通の現実世界が徐々に「ファンタジー世界」みたいに変貌してきて。
異世界にわざとぶつかって慰謝料を請求する「異世界当たり屋」なんかも出没するようになってきて。
終盤、主人公であるトラックが、衝突した相手を異世界へと転生させるトラックスキル、「
空から飛来する巨大な異世界に、主人公である
「この世に来といて『いらっしゃいませ』じゃねえよ、異世界が! いらっしゃるな! 他の異世界にブッ飛びやがれ!」
……この辺のくだりは、まだそこまで読み進めていない長谷川先輩には、まだ話すわけにはいかないな。俺はお口をチャック状態でいた。
あー。
あと、
『逆擬人化は、お好きですか?』
という帯が、長谷川先輩が手に持つその文庫にかかっている。
「これ、文体が軽くて読みやすいよ、一ノ瀬くん。人がトラックとか椅子とかに転生しちゃうってのが、よくわからなくて面白い感じかな」
と言って、長谷川先輩は笑った。この笑顔を見て、即効で恋に落ちちゃう男子校生、たくさん居るだろうなぁ、とか思ってしまう。
「イスですかぁ?」
西野さんは若干引いていた。椅子だけに?
なんでそんなに引くのか尋ねたら、西野さんは人の椅子化(逆擬人化)にあまり良い印象がないらしい。
「わたし、歳の離れた従兄弟のちびっ子がいるんだよ。その従兄弟の家でさ、深夜テレビなんだけど、『チェアーズ』っていう逆擬人化キャラの男が、幼女を上に乗せて、興奮しながら踊ってて。あれ、ほんとまずいと思う。教育上」
言って、西野さんは顔を左右にぶるぶると振った。オフショルダーのブラウスがまた少しずり下がった。
それを見て、俺は気付いた。
(なるほど。大きなサイズのオフショルを買っちゃったのか。インナーとして白シャツを重ね着しておかないと、確かに危険っていうか、男性陣には美味しいっていうか、そんな感じだよね)
口には出さずに俺は無言。
それと、流れ的に、落選した俺の長編処女作が「座椅子の話」だって、西野さんには言いづらいよなぁ……。
「まぁまぁ。現実の話じゃないし、深夜帯なんでしょ? にしのん」
と、長谷川先輩が、西野さんをとりなしていた。
俺も同感だ。
西野さんも、長谷川先輩に向けて、「まぁ、そうですね」と言って、へへっと笑った。
「それより、一ノ瀬くん?」
話が途切れたところで、長谷川先輩が、俺の方を向いた。
長髪が揺れる長谷川先輩の顔は、なにやら「ニヤリ」としていた。
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