第6話

 場面は変わらず。ただし、かなりの時間が経過している。鉄吉の姿はなく、由里子さんは先の椅子に脱力状態で腰掛けている。目はうつろで無表情、口は軽く半開きである。博士の方はその彼女の目の前で、火の付いたろうそくをゆっくりと左右に動かしている。

「さて、自分が誰か分るかね?」

「わたしは……キノコ。キノコです。……わたしはキノコになりました」

 ノロノロと感情のこもらない声で話す由里子さん。もちろん、顔の表情にも動きはなし。

「よろしい。よい気持ちだろう?」

「……はい」

「ふむ。アマニタ・サピエンスは人の脳に寄生するのだが、最初の菌糸が張り込む際、おそらくは宿主の抵抗を抑えるためにある化学物質を分泌するのだ。この物質に晒された宿主は精神の働きが停止し、意志を失ってしまう。この状態の宿主に強い暗示を与えることで、なんでも意のままに出来るのだ」

 所謂いわゆる説明的台詞、それもかなり露骨な奴を終えた博士は、改めて由里子に向かい、

「分ったかね? では、もう一度言う。君はキノコだ。そして、わしはキノコの王だ」

「……はい。わたしはキノコ。……あなたはキノコの王です……」

「キノコはキノコの王に絶対の忠誠を誓わねばならん。如何なる命令にも従うのだ。自分の口で言ってみたまえ」

「……わたしはキノコです。キノコは、キノコであるわたしは、キノコの王の如何なる命令にも従います」

「よかろう。ではキノコの王よりの命令だ。おまえはこの屋敷から診療所に戻ったなら、あの男、城田とか言ったな。あの男を殺すのだ」

「……」

「どうした? 復唱だ。おまえはキノコだ」

「わたしはキノコです。キノコはキノコの王に従います。わたしはキノコの王に従います」

「では、あの男を殺せ」

「わたしは……城田さんを殺し……ます」

「もう一度」

「わたしは城田さんを殺します」

「あのバカ医者の前でだ。その後でおまえは自殺せい」

「はい」

 満足のため息を漏らした博士は腰を伸ばし、由里子さんは虚ろな眼差しで、その彼を見上げる。ふと好色そうな表情になった博士、

「立て」

 無表情のまま指示に従う由里子さん。わずかにふらつくのがまるで酔ってでもいるかのよう。

「ここに手と膝を突いて、四つん這いになってみせい……ふうむ。顔を上げて、わしを見ろ。ふふふ」

 清純派スターの貞操の危機に当然(残念ながらと言うべきか)、ここで邪魔が入る。ドアがいきなり押し開けられて、妙子が鉄吉ともつれるようにして入ってくる。状況を見て取った妙子、

「一体、何をなさってるんです?」

「見ての通りだ。この娘にもキノコになってもらった。――立て」

 最後の命令は由里子に向けたもので、彼女はまるで上から吊った、目に見えない糸に引かれたように立ち上がる。

「おまえもわしを手伝って、何度もしてきたことではないか」

「あの学生さんたちは自業自得。火に吸い寄せられる蛾みたいに、自分からあなたみたいな化け物の元に飛び込んできた。けど、このお嬢さんは別。お兄さんを探して、ここへ来たんじゃありませんか」

「わしの研究の邪魔と言うことでは同じだ」

「なんてことを。学生さんたちも、それじゃあ、あんまりです」

「うるさい」由里子さんを見て、「さあ行け」

「はい」

「ちょっと待って。由里子さん。あなた、何をするように言われたの?」

「わたしはキノコです」妙子に肩を掴まれても、そちらを見ようともしない由里子さん。暗唱でもするかのように、

「わたしはキノコの王の命令に従い、城田さんを殺します」

「なんですって! 博士! いくらなんでもやり過ぎよ」

「うるさい。鉄吉。この女を捕まえて、当分どこかへ閉じ込めておけ」

「わたしは城田さんを殺しに行きます」

「そうだ。殺しに行け。ハハハハハ」

「だめ。由里子さん。ダメよ」

 妙子の叫びも虚しく、由里子が無表情のまま、部屋を出たところでフェードアウト。

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