第5話
場面は診療所の裏手。木立の間に入り込んで遠くの海を由里子が見ていると――。
「誰です?」
「あら。恐い顔をなすって」由里子の背後から現れたのは妙子嬢。
「先ほどはうちの先生が失礼をしました。あの通り、厄介な人なんですよ」
「いえ」
屈託のない妙子に対して、表情の硬い由里子さん。
「失礼します」
「お待ちになって」
思わせぶりに彼女がハンドバッグから取り出したのは、折りたたまれた一枚の紙ッ切れ。どうやら、ノートからちぎり取られたものらしい。
「これは?」
「読んでごらんなさい」
「……六月十日。憧れていたこの島に、とうとう僕はやって来た……これは! これは兄さんのノートですね」
「あなたのお兄さんから預かってきました」
「やはり、兄は、兄はあそこにいるのですね」
「でも、閉じ込められているわけじゃありません。お兄さんは自分の意志であそこにいるんです」
「どうして?」
「それはお兄さんから直接お聞きになったらいかが?」
「兄に会わせてくれるんですか?」
「私はそのために来たのです。でも、一つだけ」
「何です?」
「お兄さんはあなただけなら会うと、言っています。要するに他の人には絶対に会いたくないそうです。他の人には知らせることもダメと言ってるんです」
「知らせてもダメ……」
「あなたがお一人だけで、城田さんたちには相談はもちろん、知らせることもしないで、黙ってわたしに付いてくると言うのなら、お兄さんに会わせて差し上げます。お嫌なら、この話は忘れて下さい」
ニンマリと笑う妙子と、追いつめられたような表情になる由里子。
「どうなさいます?」
ここで画面が一転して診療所内に戻り、
「ああ、由里子さん。どこへ行ってたんです?」
「いえ、ちょっと……。その、空気を吸いに……」
「そうなんですか」
「あれえ」と二見。「また出かけるンですか?」
「ええ……」
そう言って由里子は城田の顔を見つめるのだけれど、何かを感じた彼が動こうとする、その瞬間に彼女は部屋を出て行ってしまう。
釈然としない城田らが顔を見合わせたのを最後に、画面はフェードアウト。
フェードインした先は、既に洋館の内部の模様。
「どうぞ、そこに腰掛けてお待ちなさい」
案内されたのは窓のない、殺風景な洋室。部屋の中央にアンティークの机があり、その上にノートが置いてある。それに気付くと素早く手に取った由里子さん。
「六月十二日。日付が飛んでいる?」
「しばらくお待たせするので、それでも読んで、待っていてくださいな」
するりと部屋を出た妙子がドアに掛けた鍵の音がカチリと響き、それでハッとなった由里子さん。ノートから顔を上げると、慌ててドアを揺すぶるものの、頑丈そうな扉はびくともしない。
「閉じ込められてしまった……」
悄然と机の前に腰を下ろした由里子さん。ノートを開いて読み始める。
「六月十二日。僕は間違っていた。眠宮寺博士は僕が思い描いていたような人ではなかった」
ナレーションは最初由里子の声で始まり、やがて真一の声が被さり、最後は真一の声が取って代わる。同時に画面もモノクロに変わり、あの鉄格子の部屋で苦悩する真一の画に換わる。
「あのおぞましい事件は、博士の敵対者によるでっち上げなどではなかったのだ。博士にとって、僕ら学生は同士でも同盟者でもなかった。単なる実験動物だったのだ。昨日、僕はそのことを思い知らされた」
虚ろな眼差しでハガキを書く真一と、それを嗤いながら見つめる博士。
「昨日、僕は博士に奇妙な胞子を力ずくで、吸引させられてしまった。その直後、僕は意思の力を完全に失い、博士の言いなりとなって、この島を離れて、北海道へ向かうと言う内容のハガキを書いてしまった。幸いその状態は長くは続かなかったが、これでこの島へ僕を探しに来る人はいなくなった。正気を取り戻した僕にそのことを指摘して笑う博士はまるで悪魔だった。城田! 君は正しかった。どうして、僕はこんな男を崇拝してしまったのだろう」
鉄格子の向こうの空を見上げる真一のカット。
「六月十三日。身体がひどくだるく、そして眠い。誰かが囁く声が聞こえる。囁きはずっと続いている。けれど、話している内容までは分らない。すごく遠くからの声のようにも思えるが、僕の頭の中で囁かれているようにも思える。博士はそれが彼の言う知性を持った菌類、アマニタ・サピエンスの声だと言う。本気で言っているのかは分らない。もはや、彼の瞳に僕が見いだすのは狂気だけだ」
上の方に向けた、不安げな眼差しをあちらこちらと彷徨わせる真一のカットと、狂ったように嗤う博士のカットがフラッシュバック。
「気が付けば僕はその囁きに耳を傾けてしまっている。それどころか呪文のように、口ずさんでさえいるのだ。ああ、僕はどうなってしまうのだろう」
座り込んで、遠くの声に耳を澄ませている真一のカット。
「六月十五日。今日、右手の甲に染みのようなものを見つけた。服を脱いで調べてみると、体中に出来ている。痛くも痒くもないが、触れてみると、身体の奥をかき回されているような不思議な感覚が生じる。これは何なのだろう。僕と同時にこの斑点に気付いた博士は嬉しそうに笑った。恐ろしい」
顔を洗っていて、手の甲の染みに気付く真一。シャツを慌てて脱ぎ捨てた真一は、姿見の前に走り、体中が異様な斑点に覆われていることに気付く。
「六月十八日。恐ろしい」
体中の斑点が異様に膨れあがっている。まだここでは顔は映さない。
「六月二十日。もはや、誤魔化すことは出来ない。斑点から生えてきたこれは、キノコだ」
異形の突起に覆われ、グロテスクに変形した手のアップ。
「六月二十五日。僕はキノコになってしまった」
ジャアアーンと効果音が鳴り響くと同時に、キノコ人間と化した真一の顔のアップが一瞬鏡に映し出されて、直ぐさまカットアウト。カットインするのは、悲鳴を上げて、ノートを取り落とす由里子さんの画。
「こんなことが。こんなことが本当に、兄さんの身の上に」
そんなことを呟いている由里子さんの背後で、部屋の扉が音もなく開き、カメラがドアから入ってくる。カメラはそのまま、何も気付かない彼女の背中に近づき、
「あっ。な、何を? 何をするんです」
鉄吉が羽交い締めに由里子さんを椅子に押し付ける。その彼女の前方に回り込んだ博士の方は奇妙な器具を手にしている。器具を構成するのは不気味なキノコを封じ込めたガラス瓶とその上部から伸びるマスク、それとポンプの役目を果たすらしい握り玉である。
「君も科学の進歩に大いなる貢献をするのだよ。兄と同じに」
「放して。お願い。放して!」
もちろん、放すわけはない。博士は彼女の口と鼻をマスクで覆うと握り玉を押し潰す。ガラス瓶の中ではキノコからもうもうと胞子が舞い上がって――。
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