第34話 マスク美人

「マスク美人っていますよね」

 夜は居酒屋を営んでいる店で昼食をとっている時、同行していた若い部下がそんなことを言い出した。

「何だ、それ?」

「あの子、見てくださいよ」

 彼の指さす方向を見てみると、若い女性店員が他のテーブルの客に注文を聞いていた。この店でよく見る女性だ。目がクリクリしていて愛らしく、よく働き、愛想もよい。

 だが、毎日マスクをしている。花粉症なのか、飲食業だからなのか。

「あの子、結構カワイイでしょ? でもマスクを外すとブッサイクなんですよ」

 彼は意地悪く笑いながら、そう言った。

「不細工?」

「唇が太くて、少し前歯が出ていて、そんでもってホッペは真っ赤でニキビだらけ。友だちと夜に来た時に、マスク外している顔を見ちゃったんですよね」

 つまりはマスクをしていると美人に見えるが、外すとそうでもない(むしろ逆の)女性のことを指しているのだ。

(なんてヤツだ)などと部下に幻滅しながらも、私にも身近にそんな女性がいたことを思い出した。

「それじゃ、うちの家内もそうだな……」

 ふとそうつぶやいたら、部下は血相を変えた。

「なっ、何言ってんすか! 課長の奥さんは超美人じゃないすか!」

 社のパーティーに、妻を連れて行ったことがあった。それで彼は憶えていたのだろう。


 妻との出会いは、病院だった。ひどい風邪ひいて病院に行った時、待合室に居た彼女にひと目ぼれしたのだ。

 彼女は花粉症がひどく、マスクをしていた。私は知らなかったのだが、花粉というものは春先だけでなく、年がら年中飛んでいるらしい。杉花粉以外にもアレルギーのある彼女は、今も常にマスクを手放せないでいる。

 しかしマスクで隠れている部分以外は、本当に美しかった。瞳がパッチリ大きく、まつげも長い。スタイルもいい。そして口数は少なく、おとなしい。

 思わず声をかけてしまったが、目尻にできる笑い皺が愛らしかった。奥ゆかしく応えてくれる姿に、私はますます惹かれた。

 マスクを取った彼女が不細工だなんて考えもしなかった。

 最初のデートで食事をした時に見た彼女の素顔は、マスクをしている時とそう変わらなかった。むしろ小さく艶やかな唇が、彼女の美しさを際だてていた。

「マスク取っても美人だったなんて、課長は運がよかったんですよ」

「……」

 

「ただいま」

 帰宅してドアを開けて声を掛けたが、返事はない。

 だが彼女の大きな話し声は聞こえてくる。電話中なのだ。

「だっからねー、アタシ言ってやったんだよ。アンタに魅力が無いから、浮気されたんじゃねーの?ってサ。だってブスじゃん」

 そう言って、ゲハゲハ笑う。

 可憐なはずの口がガバッと開き、歯茎まで見せて、誰かの悪口を饒舌にしゃべりまくる。


――醜い。


「あの女、誰でもいいからヤレればいいんだよ。アッハハハ……えっ、花粉症? ああ、大丈夫大丈夫。今日は家を出てねーから。やっぱマスクしてないと、しゃべりやすくていいや!」


 やはり私の妻も、“マスク美人”だったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る