第31話 行動予定表
「田中は“メイド館”、鈴木さんは“学園町三の二”。そんでもって課長は“ハネムーン”……んんっ!」
口に出していた。
あわてて咳払いをしてごまかしたが、幸い聞いていた者はいなかった。
オフィスの、私の席から見える行動予定表。これには課員のその日の予定が書き込まれている。誰がどこへ出かけ、何時に帰社とか直帰とか、はたまた欠勤など。
ある日、その予定表におかしな文字が浮かんでいることに気がついた。
田中の欄には最初「秋葉原、十七時帰社予定」とあった。そしてそのすぐ横に「メイド館」とも書かれていた。
秋葉原に田中の得意先企業があるのは知っていた。しかし「メイド館」などという名前ではない。だから帰社したヤツを呼び止めて聞いてみた。
「なあ、“メイド館”って何?」
「なっ! お前どうしてそれを!」
「だって、行動予定表に書いてあるじゃん」
「はあ? ねえよ! 書くわけないよ!」
どうやら、その文字は私にしか読めないらしい。つまり、田中は商談で秋葉原に行ったのだが、ついでに“メイド館”というメイド喫茶に立ち寄っていたのだった。さぼっている店を言い当てられたヤツの動揺はすごかった。
“学園町三の二”の隣、三の一には、鈴木さん担当の営業先がある。三の二には漫画喫茶があり、外回り中、そこでさぼることがあるのだという。
要するに、ひとには言えない本当の目的地が浮かび上がるらしいのだ。
こんなふうに店名だったり住所だったりして、その法則性はわからない。
そして課長の“ハネムーン”は、ラブホテルの名称だ。前は“坂上五丁目三番地”と出ていた。検索したらホテルの名前が出てきた。
一応“客先”とは書いてあるが、私は知っている。
不倫相手と会っている。相手にメールを打っているのを、背後から見てしまったことがある(会社のメールをそんなことに使うとは!)。相手はキャバ嬢らしい。
この課長、見た目は優男なのだが、私がこれまで会った中では最低の人間の部類に入る。女性社員へのセクハラ・パワハラは当たり前。派遣社員やアルバイトに手を出し、訴えられてもチンピラを連れてきて、脅して黙らせる。仕事もできない。ただ社長の娘婿なだけだ。
不倫していることをばらしたら、ヤツは失脚するだろう。しかしいかんせん、証拠がない。実際にそのホテルに行って確認したわけでもないし、一社員でしかない私にはどうしようもなかった。
ある日の終業間際、ふと予定表を見ると、課長欄には“長安寺”、私の欄に“天国”という文字が浮かび上がっていた。
天国?
天国とはどういうことだ? まさか、私が死ぬということなのか? そして“長安寺”で葬儀が営まれ、課長が参列するとか?
震えが止まらなくなった。これまで予定表に浮き出た文字が外れたことなど無いから。
私は怯えながら会社を出て、家路についた。気をつけて歩いていたつもりだが、そこへ猛スピードの車がつっこんできて――
「兄さんはほんっといい人だ。さ、飲め! ドンペリも開けるか!」
数時間後、私は銀座の高級クラブにいた。
両隣に若い綺麗どころをはべらせ、目の前のテーブルには噂でしか聞いたことの無い高価な酒の数々。対面のソファに座る厳つい顔の男は、上機嫌だ。
車がつっこんできたものの、うまいことよけることができた私は、擦り傷で済んだ。だから警察へは行かなくてもいいと言ったところ、ここに連れて来られた。運転していたのは、大きな暴力団の幹部の息子なのだそうだ。
(そっか。ここのことだったのか)
店の名前は、“クラブ・ヘヴン(天国)”という。
私が夢のような時間を過ごしている頃、課長は“長安寺ビル”という建物の二階にある、弁護士事務所にいたらしい。
数々の証拠を前に、自分の妻と義父である社長に睨まれながら。
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