第23話 私の番号
一一六番が点灯しない。
私は病院の待合室にいる。
大きな大学病院の、会計の順番を待つための広いスペース。百人は座れるであろうソファが壁に向けて設置してあり、その壁には音が出ない大きなテレビジョンと電光掲示板が掛かっている。
その日の診察を終えた患者は、会計受付で番号票を渡される。しばらくして電光掲示板にその番号が現れると、それが会計の準備ができたという合図。掲示板の下にある自動支払機で会計を済ませば、患者は帰宅することができるのだ。
私の番号は一一六番。だいぶ経つのに、点灯しない。
広い待合室は静かだ。待っているのは私ひとりだけ。
(忘れられているのかも)
前にもあった。その時は受付に「遅すぎる」と申し出て解決した。また受付に聞きに行こうと思ったものの、職員が見あたらない。別に急いではいないけれど、いい気分でもない。
(ここまで忘れられるのも珍しいわね)
自分の存在の薄さを痛感する。
思い起こせば、物心ついた頃から目立たない子どもだった。友だちとかくれんぼをしても、最後まで探してもらえずにみんな帰ってしまう。家族旅行の時ですら、駅のホームで置いてけぼりにされた。
「あの子、本当は幽霊なんじゃないの?」
そんな陰口を叩かれて、いささか傷ついた。
けれどそれがきっかけで、自分が何故ここに存在しているのかを、私は見失うようになった。「私は、本当は死んでいる?」と、本気で思うようになってしまった。
息詰まるような静けさの、広い待合室。テレビは無音のまま、病院のインフォメーション画像だけを繰り返し映し出している。
ふと思いついた。
(……呼ばれないのは、もう死んでいるから?)
そう、この病院で死んだのだ。
健康診断でがんが見つかり、この大学病院で精密検査をしていた。
怖くて面倒な検査の数々。
なんでこんなことになったの?
診察が終わったらここで会計するために待たされる。
一刻も早く帰りたい。
けれど帰り際には次の診察予約をする。
そして再び訪れて、受診して、会計をして帰る、その繰り返し。
病院のインフォメーション画像は、もう何度見ただろう?
やがて私は、帰れなくなった。
死んだから。
ここで待っていても、いつまでも私の番号は呼ばれない。
私はもう家に帰れない――
気がつくと手の平が汗ばみ、鼓動が激しくなっていた。
――鼓動。私は生きている。
「ふふっ」
小さく声を出して笑った。おかしな想像をしたものだ。
手に持っている番号票を、再度確認した。これは「116」ではなく「911」。誤って番号票を逆さに見ていた。前にも同じことがあった。番号が呼ばれないと受付に言って、そう指摘された時は恥ずかしかった。
(ばかね。しっかり治療したじゃない)
確かにがんだった。けれど早期発見で完治できた。
告知された時は目の前が真っ暗になったけれど、その後私は、世の中にはもっとおそろしいことがあることを知った。事件、事故、天災。病気で死ぬより前に、それらで呆気なく死んでしまうことだってあると。
だから私は、精一杯生きることに決めたのだ。
電光掲示板に九一一番が点灯した。私の番号。
帰ろう。
私はソファから立ち上がり、出口に向かった。そして防護服を丁寧に着込んで、死の灰が降る街を歩いて家路につく。ボロボロになっている番号票は、大事にポケットにしまった。
この病院には非常時用発電機があり、完全に営業を停止した今も灯りが消えない。電光掲示板も、ランダムにいろんな番号が点いては消える。いくつか故障して点かない番号もあり、一一六番もそのひとつだ。
たくさんの人が亡くなった。政府もすでに機能していない。
そんな中、何故自分が生き残っているのか? 何故生きているのか?――生きる意味を見失った時に、私はここを訪れる。
ここに来れば、私の番号があるから。
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