第22話 カラダの記憶

「いたっ!」

 右腕をぶつけた。すると打ったことによる痛みだけでなく、切ったような鋭い痛みも起きた。

 ただぶつけただけ。ブラウスの腕をまくってみても、そこにはつるりとした肌があるだけで、切り傷どころか腫れてもいない。

(どうしたんだろう?)

 少し前に、交通事故に遭った。

 自転車に乗っていた私は、いつもは必ず停まる場所で停止するのを忘れ、大きな車道にそのまま飛び出してしまったのだ。

 ちょうど右手から大きなトラックが来ており、衝突は回避したものの、私はガードレールとトラックに挟まれ並走する形になった。トラックが減速していたことと、私が自転車ごと倒れなかったのが幸いして、被害は車体で擦ってできた傷だけにとどまった。

 五センチほど右腕にできた傷は、今ではあとも残さずにとっくにふさがっている。 事故直後に撮ったレントゲンも、異常無しだった。

 けれど傷口のあったあたりをそっと撫でると、ピリッと痛む。

(治っていないわけじゃないのに)

 事故直後の、まだ血が出ていた頃の痛みなのだ。


「それは、カラダがその傷を憶えているんだろうな」

 私の話を聞いて、夫がそう言いだした。

「憶えている?」

「とっくに治癒していても、傷を受けた時の衝撃が残っているんだよ。“幻肢痛”のようなもので、無くなったはずの手足が痛むとかあるだろ? 脳とかカラダに焼き付いているんだ。理屈じゃない」

 そうなのかもしれない。

「いつかそれが勘違いだと気づくか、慣れるかするだろう。それまでの我慢だな」

それなら、この痛みもいずれは感じなくなる。

「ねえ、その逆もあるのかしら?」

 私は彼に問いかけた。

「え?」

「ケガをしても、カラダが無傷の頃を憶えていて……」

「なんだって? そんなことより、おまえはほんとドジだよな。自転車の時は気をつけろって、あれほど言ったのに」

「……ごめんなさい」

「何かくだらないことでも考えていたんだろ」

 そもそも何故、私がぼうっとしていて事故に遭ったのか?


 あの日の朝、私は夫を階段の最上段から突き落としたのだ。

 彼は頭部をひどく打ち付けながら、下まで転げ落ちていった。そこら中を血まみれにしながら。


「気をつけろよな」

 そう言って、彼は“にちゃっ”という音をさせながら、口を歪ませた。まぬけな私をばかにした笑いを浮かべているのだろうけれど、彼の顔の半分がただの肉塊となっていて、よくわからない。

 そんな彼を見る度に、私はめまいをおぼえる。

(彼のカラダが憶えている?)

 どう見ても生きていないのに、彼は動いている。

 勘違いだと彼のカラダが気づいて止まるのが先か、私が彼に慣れてしまうのが先か――

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