第10話 かさぶた

 ふと気付くと、左手の甲の傷が、かさぶたになっていた。

(ついつい、剥がしたくなっちゃうのよね)

 右手の人差し指の爪で、そのかさぶたを浮かせてみた。

「いたっ」

 まだ早かったらしい。剥がせたものの、みるみるうちに小さな血だまりができた。


「わかるよ、それ。かさぶたって剥がしたくなるよな」

 タナカがそう言いながら、手の傷に触れてこようとするのを、私は必死に避けた。

「触んないでよ」

「しかしドジだな。転んだなんてさ」

「仕方ないでしょ。夜だったし、車止めが見えなかったんだもん」

 会社の休憩室で、たまたま彼と鉢合わせて世間話をしていた。

 数日前、私は仕事帰りに転んだ。駐車場を横切ろうとして、車止めにつまずいたのだ。いい年した女が、見事に地べたに這いつくばる羽目になったのだった。

 その時、左手の甲に擦り傷を作った。小指の下あたりに直径二センチほどの大きな傷で、転んだ直後は予想以上に血が出た。けれど、ケガらしいケガはそれだけだった。

「また残業かよ。どうすんだよ、そんな仕事仕事で」

「そっちだって忙しいんだって? ……ユウコちゃん、なかなか会えないって愚痴ってたわよ」

 ユウコちゃんは私の部署の後輩で、タナカと半年ほど前から付き合っている。

「あいつ、なんか言ってた?」

 ずきん。

 タナカは心配そうな顔で、私にそう聞いてきた。

「べつに」

「そっか。あいつ、おまえのコト、本当に頼りにしてるんだよ。仕事できるし、美人だし、性格キツイけどって」

「最後のは、アンタがそう思ってるんでしょ?」

「ばれたか」

 見慣れた彼の笑顔。

 ずきん。

 そして彼は私を見て、少し遠慮がちに言った。

「……おまえもさ、早くオトコ作れよな」

 ずきん、ずきん。

「じゃ、じゃあ、誰か紹介してよね。自分で探す暇無いんだもん」

「そうだな。じゃ、おれもう行くわ」

 彼は吸っていた煙草を消して、休憩室から出て行った。


 ずきん、ずきん、ずきん。

(……まだまだなんだなぁ……)


 タナカと私は、付き合っていた。

 けれど仕事が忙しくてすれ違いが続き、増えたケンカに嫌気がさして、きちんと話し合って別れたのだ。

 ただの同僚に戻った私たち。

 それからもう二年も経った。

 それだけ時間が経ったのだから、もう大丈夫――のはずだったのに。


 ふと左手の甲の傷のあたりが痒くなった。治りかけているのだろう。新しいかさぶたができていた。

 これを剥がすと、新しいきれいな肌が出てくるはず……


「つっ」


 ずきん。

 またぷくっと、赤い血玉がふくれあがった。

(これと同じだわ)

 治っていると思って、いじってみる。

 けれど実は治ってはおらず、また新しいかさぶたを作る。

 その繰り返し。


 私は何度も掻き剥がし、新しく傷を作っていくのだろう。

 手の傷も、心の傷も。

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