第8話 行楽列車

 朝。窓の外は、青空がひろがっていた。

 なのに気持ちは晴れず、私は満員電車に揺られながら何度もため息をついていた。

(仕事行きたくない……)

 新しい部署に異動して数ヶ月、土日も無い状態だった。私は毎日何かしらミスをしては上司に叱られ、周囲に迷惑をかけるばかりの日々を送っていた。

 その上この日の朝は、私を落ち込ませるのには十分な出来事も起きていた。

 それなのに私は欠勤することを許されない。前に休暇が欲しいと言った時の上司の罵倒が、脳裏に蘇った。

 電車がターミナル駅に着いた。いつもここで、急行電車の待ち合わせで数分間停まる。開かないドアの方で、私はぼんやりと窓の外を見ていた。

 隣の車線に列車が停まっていた。都会をせかせか走る電車ではなく、これから地方の方へ行く列車だった。空いた車内は座席が向かい合わせになっており、これから遊びに行くのであろう人たちが朗らかな顔をして座っていた。

(温泉かな? いいなあ)

 自分がいつから休んでいないかを思い出した。

「おまえに休む資格なんか無いんだよ、ブス」

 長患いしている友人の見舞いに行きたいから休みたいと言ったところ、上司は私にそう怒鳴った。上司の叱責はいつも辛辣だ。自分の価値を見失うほどに。

(新藤さんとはすごい違いだわ)

 同僚を思い出した。小柄で華やかな女性だ。優秀で上司にも可愛がられ、同期ではひとりだけ大事な会議にも出席している。

(あれ?)

 その列車を眺めていると、ある人物が目に入ってきた。

(あれって……由美子?)

 窓際で、雑誌を読みながら列車が出るのを待っている女性がいた。大学時代からの友人に似ていた。由美子のはずはないのに。

 さらに、彼女に似た人と向き合う形で座っていた女性を見て、私は驚愕した。

(新藤さん?)

 この日も仕事があるはずだ。何故、彼女がその列車に乗っているのかわからなかった。

 すると彼女が私に気付き、笑顔で私に手を振りだした。確かに新藤さんだった。

(え? どういうこと?……ええ?)

 混乱していた私は、また信じられない人物を目にすることになった。新藤さんの向こうに、上司まで座っていたのだ。

「おまえも来い。一緒に行くぞ!」

 もちろん上司も今日は出勤のはずだった。あんな笑顔、私に向けたことはこれまで一度も無かった。

 私は信じられない光景に、愕然と棒立ちになっていた。

すると私が動こうとしないことに業を煮やしたのか、上司はいつものように怒鳴りだした。

「早くしろ! このノロマ!」

「ほんっと、鈍臭い女ね」

 上司の尻馬に乗るように、新藤さんも私を罵り始めた。

由美子に似た人は、心配そうに私と上司達を交互に見ていた。

あれは似た人ではなく、由美子本人。

 私は立っていられなくなり、その場に座り込んだ。満員電車の中で突然座り込んだから、周囲は迷惑そうな顔をしていた。けれどあまりの恐ろしさに、体が震えた。彼らの声を聞かなくても済むように耳を塞いでいたが、罵倒する声はしっかりと届いていた。

 やがて電車の発車ベルが鳴り響いた。いつもは会社に近づくこのベルの音が嫌いだったのに、今日ばかりは救われたと思った。

 私の乗った電車はゆっくりと動きだし、上司たちが乗っていた列車から離れていった。


 会社に着くと、オフィス内は大騒ぎだった。

 前の晩に、上司と新藤さんが亡くなったという。

ふたりはずいぶん前から不倫の関係にあって、逆上した上司の奥さんにふたりとも刺されたとのことだった。

(……やっぱり……)

 私は、列車に乗っていた由美子を思い出した。

 そもそも彼女も、すでにこの世にはいない。

 今朝、長患いしていた彼女の訃報を聞いたばかりだったのだ。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る