第6話 変わらない人

「あのー……」

 社内で話しかけられて振り向くと、そこにはスーツを着た女性が立っていた。我が社の制服ではないということは、彼女が派遣社員であることを物語っていた。

「え……た、タナカさん?」

 すぐに思い出した。

「そうです、タナカです。お久しぶりです! 今、この会社だったんですね」

 彼女は私に丁寧にお辞儀をした。その懐かしそうな表情に、私の記憶と違うところはひとつも無かった。

 けれど私は、あまりの恐ろしさに足がすくんでいた。


 私が最初に勤めた会社に、彼女が派遣社員としてやってきたのが、出会いだった。

 大卒で入社して三年目だった私は、多忙だった当時の上司の代わりに、派遣社員たちに業務指示をしていた。

(この人、要領いいな)

 というのが、彼女の最初の印象だった。

 まず指示を受けると一言一句間違えずにメモをとり、すぐに手順を考えて、速やかに業務に入る。一連の動きにムダがない。“報・連・相”がきちんとでき、仕事は早い上に完璧だった。

「派遣歴は長いんです」

 と言っていた彼女は、それでも私と年齢がそう離れていないように見えた。ルックスは十人並みではあったけれど、黒髪が美しく、肌がキレイだった。年齢を感じさせないオフィスカジュアルに身を包み、化粧も控え目で好感が持てた。

 あまりの有能さに、「どうして正社員にならないの?」と問うたことがあった。派遣社員よりも正社員の方が、収入が多いからだ。

 けれど彼女は、困ったような笑顔で言った。

「ハケンの方が、気が楽ですから」


 それから数年。私は転職を決めた。学生時代の先輩が起業しており、その会社に誘われたから。私はすでに中堅社員であり、かなりの業績を上げていた。そんな私に「女だから」と何の慰労もなかった会社に、未練などなかった。

 私は先輩に話を通し、彼女に正社員で来てくれないかと誘ってみた。

「ハケンの方が、気が楽ですから」

 彼女は同じ言葉を繰り返し、そしてこう続けた。

「私、派遣社員のままでいたいんです。正社員になったら、働き方が……自分が変わってしまいそうで嫌なんです」

 私は派遣会社に問い合わせ、派遣社員としての彼女を呼ぼうとしたけれど、いつも彼女はどこかで忙しく働いており、結局叶わなかった。


「で、君は何が怖かったんだ?」

 私を会社に誘ってくれた先輩――やがて私の夫になった――は不思議そうにそう聞いた。

「私、この会社でもたくさん苦労してきたけれど、そのたびに彼女がいてくれていたらと、何度も思ったわ」

「よほど君はその人を買ってたんだね」

「ビジネス上の作法だけでなく、振る舞いも完璧だし、頭も切れるし、いつも若々しくて……」

「話を聞く限り、本当に有能なひとだよね」

「そう。そうだけど……ねえ、派遣社員との顔合わせの時、年齢を聞いてはいけないって知ってた?」

「知ってるけど、それが関係あるの?」

 私は首を横に振った。伝わらないことが、もどかしかった。

「違う。そういうことじゃないの。もっと恐ろしいことが……ねえ、あの人は、あれは、果たして本当に“人”なのかしら?」

 正気を疑われるようなことを、私は口走っていた。そんな私を夫は笑いながら抱き寄せた。

「そんなに怖がるなよ。専務がそんな表情だと、社員たちが不安になるだろ。来週は孫たちも来るんだから、気晴らしにみんなでどこか遊びに行こう」


 彼女と出会った頃、私はまだ二十代。

 あれから四十年近く経っていた。

 それなのに、彼女の外見はひとつも変わっていなかった。

 艶やかな髪、玉のような肌……派遣社員のままでいた彼女は、何ひとつ変わっていなかったのだ。

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