第3話 仲良し夫婦

(あ、今日もいるのね)


 新しい部署に移って、毎週火曜日の早朝会議に参加する羽目になった。

 朝八時からの会議で、そのために私は朝六時には起き、七時には家を出なければならなくなった。面倒だと最初の頃は思っていたけれど、ある老夫婦のおかげで苦ではなくなった。。

 その公園を通り抜けると、駅までの道のりが早くなる。だからそこを通るのだけど、途中のベンチに老夫婦が座っているのだ。

 双方とも白髪で、お爺さんの方は痩せ型、その右側に座るお婆さんは小柄でぽっちゃり目。ふたり寄り添うように座って、ポツポツとおしゃべりしている。もちろん何を話しているのかは、通り過ぎるだけの私には聞こえない。けれどそのふたりの前を歩くと、少し気持ちが温かくなる。

(仲のいい夫婦よね……)

 老夫婦は寄り添うだけでなく、手もつないでいる。そのつないだ手をお婆さんがニコニコしながらいとおしげに眺めていた時は、見ていてこちらが照れてしまうほどだった。

(あんな感じの夫婦っていいな)


 私の両親は仲が悪かった。子どもである私の前で、平気で罵倒し合っていたものだ。

 それでもそれぞれ私には優しかったけれど、目の前でけんかをされると悲しかったし、友達の両親の仲がよいのを見ると羨ましかった。

 その両親が静かになったのは、ここ数年のことだ。

 よく“年をとると丸くなる”とは言うけれど、そういうことなのだろうか?

 あの老夫婦ほど睦まじくはないものの、怒鳴り合うことは無くなった。言葉や笑顔は少ないものの、一緒にいることが増えたのだ。

 私が三十の半ばを過ぎても結婚願望が無いのは、若い頃の両親を見てきたからだ。あんな嫌な表情で暮らさなければいけないのならば、結婚なんて地獄だと思っていたからだ。

 けれど最近の両親やその老夫婦を見て、少し考えが変わってきていた。

 結婚願望が無い女というのは、ある種の既婚男性には都合が良いらしい。これまでに付き合ってきた男は既婚者が多く、今のもそうだ。「妻とは別れるから」と甘い言葉を操って私をそばに置きつつ、家庭でもいい父親を演じている。

(こんなことばかりじゃ、ダメよね……私)

 初めて、自分の不倫にピリオドを打つ勇気が出てきたのだ。

 きちんと独身の人と恋愛をし、ちゃんと結婚して子どもを産み、そして夫婦ふたりで年を重ねていく。あの老夫婦を見ていると、それがすばらしいことのように感じてくる。

(三十半ば……まだまだ大丈夫。私は軌道修正できる)

 私はついに、彼に別れを告げる決心をしたのだった。


 それから数ヶ月した後の火曜日。

 いつもの時間に公園を横切ろうとすると、入口にたくさんの人がおり、パトカーや救急車が何台か停まっていた。

(まさかあのご夫婦……?)

 嫌な予感がした。通り魔、強盗殺人事件、はたまた心不全、脳梗塞――。

 けれど誰かに聞くわけもいかず、私はざわざわした気持ちを抱えたまま、公園を通らずに駅に向かうしかなかった。


 その日の夕方には、真相がわかった。


――不倫の末に? 四十年待たされた女、不倫相手を刺殺。

 今日午前六時半、××市○○の市営公園で無職タナカケンジさん(七二)が、無職スズキハナコ容疑者(七〇)に刺され、搬送先の病院で死亡が確認された。スズキ容疑者はタナカさんの妻の友人であり、二人は長く不倫関係にあったが、タナカさんが妻と離婚しないことで口論となって――


 夕刊には加害者と被害者の写真がそれぞれ掲載されており、そこにはあの老夫婦だと思いこんでいた老人ふたりがいた。

 愕然とした。

 身体が震えるほどに、恐ろしかった。

 私は不倫相手と別れ、まもなくお見合いでいい人と出会えた。交際はゆっくりだけど、順調に進んでいる。

 もしあの時不倫相手と別れなかったら、いずれ私は“スズキハナコ”になっていたのかもしれない――


 私は今も変わらず、毎週火曜日は公園の中を通っている。

 あのふたりが座っていたベンチの前を通るたびに背筋が凍る。

(もう、絶対、私は足を踏み外さない……)

 そう固く決意しながら。

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