1-2 手紙



「遅い。遅すぎる」


 待ち合わせの時間に1時間ほど遅れてステンドグラス前に到着すると、ぶすっとした顔の牧田太一が腕組みをして立っていた。


「悪い悪い」


 彼は大学で出会った同じ学科の学生だ。

 県内の出身で、片道1時間の道のりを毎日電車で通学している。話の切り返しも上手いし口にはしないけれど優しくていいやつだ。


「ラーメン奢りな」

「今金欠だからそれは勘弁」


 ただ1つだけ気がかりなのは、太一が俺より1つ年上なのではないかという疑惑があるということ。


 今まで何度か同級生同士の話の中で不思議に思うような場面が何度かあった。みんな口にはしなかったが、ある時太一がいない時に、ふとその疑問を話し始めた奴がいて、みんな同じことを思っていたけれど今まで切り出せずにいたらしい。


 こっちは年上だったとしても今の関係が変わらないと思っているし変えるつもりもないと思っているのに、どうして太一は頑なに俺たちにその真実(こと)を隠そうしているのだろうか。

 こちらからとやかく聞くわけにもいかないので、太一が言わないなら聞かない方がいいのだろうと割り切っている。


「何食う?」


 ステンドグラス前から駅を出て、ペデストリアンデッキをアーケード方面に向かって歩き始める。


「うーん…ラーメン?」

「じゃあ、奢れよ」

「ゴチになります」

「何で俺なの?」


 行きつけのつけ麺屋政宗の暖簾をくぐる。

 購入券を店員に手渡して自分たちの番が来るのを横一列に並べられた木製の丸い椅子に腰掛けて待つことに。


 前には同い年くらいの二人の男と、後ろには一人でラーメンを食べに来たようなサラリーマンが舐めるようにスマートフォンを上下にスライドさせていた。

 睨みつけるような眼差しを覆う銀縁の眼鏡がキラリと光った気がした。そんな彼の奥にも汗を書いたサラリーマンたちが気怠げな態度で続々と列をなしていた。


「今朝咲から手紙が来たんだ」

「え?咲ちゃんから?お前に?何で?」

「朝ポストを見たら便箋が一枚入ってて、裏に小さく名前が書いてあった」

「へぇ。ていうか、何で手紙?」

「さあ?」

「このご時世に手紙なんて珍しいな。咲ちゃんらしいと言えばらしいけど」


 自分たちの順番が回って来て、カウンター席へと通される。


「お前らが別れたのっていつだったっけ?」

「ちょうど一年前くらい」

「もう一年になるのか。咲ちゃん、大学でも全く見なくなっちゃったしサークルも全然来ないし、今何してるんだろうな」

「梅宮が言うには、実習してるって聞いた」

「咲ちゃん教育だったっけ?学部」

「そうそう。教員志望ではないって言ってたけどな」

「そうなんだ」


 会話が途切れて、チラリと入口の方に目をやればサラリーマンたちの列がさっきよりも長くなっていた。


「最近ニュースとかで教員になった人の半数くらいの人が辞めるほど、教育の現場って大変らしいよな。生徒からいじめられて辞める人もいるらしいし。咲ちゃんはそんなことないといいよな」


 あまり普段からニュースなどの情報番組を見る方ではないので、教育の現場についての現状の知識をあまり持ち合わせてはいなかったけれど、その現実に周りの目を気にしやすく繊細な心を持った彼女を思った。


「心配なんだ?」


 俺の顔を見ながら意外そうな顔をした太一。


「え?」

「何で分かった?って言いたげな顔だな。お前はすぐ顔に出るから言わなくても分かるさ。俺を誰だと思ってるの」


 そう言って一区切りつけるみたいに、音を立てて麺を啜った。


「まぁ、気にはなるよな」

「否定しねぇんだ?」


「…」


 ま、いいけど。と付け加えてまた麺を啜った。


「心配っていうか…、そんなおこがましいことは言わない。ただ、やっぱり気にはなる。」


 そんなこと意味がないってことぐらい自分が一番分かってるけれど。


「俺にとってはやっぱり特別だったから…」

「…」


 コップに注がれた水を一気に半分くらいまで飲んだ太一と、束の間の沈黙が訪れる。


「今まで気遣って聞けなかったけどさ?」

「うん」


 次に来る言葉は何となく予想がついていた。


「お前ら何で別れたわけ?」


 店内の騒音なんてまるで耳に入ってこなかった。

 真っ直ぐな太一の瞳。


 目を閉じれば今だって咲の笑った顔が映っていた。


 咲が好きだった。


 俺の名前を呼ぶ声も、照れながら服の裾を掴んだきたその白くて柔らかい手も、何より優しいその笑顔も。

 彼女の何もかもが特別だったはずだった。


 咲はずっと俺のことを好きでいてくれていた。

 ただ、俺がそれに気づくのが遅すぎたんだ。

 咲の笑顔は歪んで、次第に“あの日”の涙に色を変える。

 灰色の重たい雲が立ち込めた雨の日だった。

 嵐が近づいていた。


「あの時何があったんだよ」


 雨の中をずぶ濡れになって走り去っていく背中。

 どんどん小さくなっていっていく後ろ姿をただ俺はその場に立ち尽くして見ていた。

 手を伸ばせなかった。

 咲の後を追いかけられなかった。

 咲は俺をずっと追いかけてくれていたのに。


「俺にもよく分からないよ…」


 目の前のつけ麺を勢いよくすすって、空になった器にカランと音を立てて収まった箸の先には残り汁の上に油とあの日の自分の顔が写し出されているみたいだった。

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