幸せとはあくまでも個人的な感覚

そんな中でも、自分の中での不安を暴力として他人にぶつける人がいる。

本人にすればそれは何ともないことかもしれないが、ぶつけられた人からすればそれは、ただの八つ当たりになってしまう。

俺としては、何故、不安が発生するかを考えてみた結果、幸せではないからと言う結論に至った。幸せであれば自分なのかで押さえつけることが出来るが、幸せではない、つまり心に余裕がない場合はそのまま押さえつけることが出来ず外に出してしまう。


では、幸せとは何か。

それを追求する宗教ダン代もあるが、僕の考えとしては、幸せとは個人的な感覚であり、他人ひとの幸せについて言及すべきではないと思う。

しかし、最低限の幸せについては言及することが出来る。

他人に認められ、お互いを助け合い、支えあうことが出来る、それが精神的な意味での最低限の幸せではないかと考える。もし、これが出来れば他人に相談することができ、その行為から幸せを得ることができないのかと。


僕がここにいるのは、その相談し、そこから幸せを得ることで、これ以上負の感情を抱かないようにすることである。




宗太郎君の相談相手にはなれそうであるが、能力についてもきちんと話しておかないと多分、元に戻ることはできないであろう。


一度心に負った傷は完全には治すことができないが・・・

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