トレンチコートの135キロ

鐘辺完

トレンチコートの135キロ

 トレンチコートを羽織った巨体が立ちはだかった。

「何でしょうか?」

 コートの男はその合わせたコートの前をがばっと広げて見せた。

 力士だった。ちょんまげに廻し姿だった。

 びっくりした。

 びっくりしたけど、だからなんなんだ。

 良くあるパターンでトレンチコートの下は全裸で褌も大銀杏もなくて。って言うとスキンヘッドかと思われるかもしれんが、とにかく少なくとも大銀杏は結ってない。

「なんですか。十両昇進ですか? 私は大相撲に詳しくないのですが」

「いいえ。趣味でこうして見せびらかしてます」

「あなたは力士なんですか?」

「いいえ違います。このちょんまげも自分で結ってるんですよ」

「通報される前にやめたほうがいいですよ」

「犯罪なんでしょうか」

 言葉に詰まった。とりあえずいきなり人の前に立ちはだかって、トレンチコートの下の力士スタイルを見せることが犯罪かどうかは私にはわからない。

 NHKで放送される大相撲中継に登場してる人たちとかはそういった協会みたいなものに所属しているはず。彼はどうも所属していない。小錦が相撲協会(?)と関係なくなって「小錦」を名乗れなくなって「KONISHIKI」という名前になったのもそういうことだとか。正式に力士だったり年寄りだったりするには相撲協会に所属していないといけないらしい。そのへん詳しくないので間違っていてもわからない。

 「小錦」でなくなったら「八十吉」のほうも名乗れないのかという疑問も湧いたが、そのへんはまあ本題と関係ない。

「どうしてそんなことをするんですか」

「まあ、そこの店で一緒にちゃんこでもどうですか」

 コート着たエセ力士は牛丼屋を指した。

 聞いたことがある。相撲部屋ではそこで出る食事はすべて「ちゃんこ」と呼ぶのだ。カレーだろうが茶漬けだろうがビーフストロガノフだろうが陀羅尼助丸だろうがちゃんこなのだ。陀羅尼助丸は薬だから違うか。


 私は牛丼並、彼は牛丼特盛りに漬物と卵をつけていた。

「相撲大好きなんです」

「トレンチコートはなんで?」

「びっくりさせたいじゃないですか。最初から褌姿で遠くからやって来てもインパクトないでしょ?」

「そりゃまあ、野犬が遠くから歩いてくるより、目の前のトレンチコートを着た野犬がコートを脱いで姿を現したほうが怖いですね」

「怖がらせるつもりはないんですけどねぇ」

「誰かに相談したほうがいいんじゃないですか。ほんとにいつか通報されますよ」

「そうかぁ……」

 トレンチ力士はそう言ってがつがつと牛丼を掻き込んだ。

「なんか力士になる試験に落ちたんですか?」

「新弟子検査。受かりましたよ」

「じゃあ、どこかの部屋で相撲を続けられたんじゃ」

「痛いからやめました」

「──あ、そう」

 私は牛丼並をぼそぼそと口に運んだ。

「でも相撲大好きです。体重60キロくらいの人相手なら負けません」

「あなたの体重は?」

「135キロです」

「じゃあだいたい負けません」

 人はだいたい体重が30パーセント上回れば圧倒できるものである。彼は自分の半分以下の体重を相手に言っているのだ。

「でしょう?」

 言ってる意味をちゃんと解釈してもらえてない。

「あなたと同じくらいの重さの人とはどうですか?」

「怖いじゃないですか。135キロの人なんかとぶつかったら死ぬかもしれませんよ」

 あんたと同じ体重だっ。

「まあ、よくわかりませんけど。私はもう帰りますよ」

 いそいで丼の残りの牛丼を食べていく。

 135キロの彼はすでにおかわりの特盛りを半分以上食べていた。

「ごっつぁんです」

 彼は丼を置くと立ち上がって出て行こうとする。

 え? 私のほうが先に立ち去るつもりだったのに。

「待って待って。代金は?」

「ごっつぁんです」

 つーか「ごっつぁんです」って、代金私が払えってか。タニマチか。いや、体重半分以下としか戦えないようなやつのタニマチになんかならんよ。牛丼一回おごっただけでタニマチ面できるとも思ってないけど。

「自分の食べたぶんは自分で払ってください。

 すいません。この人と私の代金別々です!」

 店の人に大声で主張する。

「っしゃーした」

 意味わかりにくい返事を店員の人がした。

 とりあえず私は自分の分の牛丼並の代金だけ払った。

「ごっつぁんです」

 135キロは私の背後に立ってまた「ごっつぁんです」言ってる。

 「ごっつぁんです」って元々どういう意味なんだろう。

 「ごちそうさまです」の音便化か?

 まあとりあえず店を出よう。私は自分の払いは済ませた。

 そうしたら一緒に付いてくる135キロ。

 店の人に「お勘定! お客さんっ!」と呼び止められるが気にせずに私のあとを付いてくる。


「仕方ないなぁ。ここは私が払っておくから」なんて絶対に言わない。絶対払ってやらない。

 ダッシュで逃げた。ところが、力士というのは案外足が速い人というのがいるのだ。

 怖い。無駄に怖い。あとあいつ食い逃げだぞ。

 近くに交番あったはず。あった。

 飛び込んだ。

「すいません。力士みたいな男に追われています」

「ああ。あの男だね」

 言う警官も力士のような体型だった。

「ごっつぁんです」

 135キロが入ってきた。

「今度は何したんだ?」

「なんか付いてくるんです。彼、食い逃げですよ。現行犯」

「仕方ねえなぁ」

 警官はいきなりエセ力士にぶつかっていった。制帽が飛んだ。大銀杏だ。この警官も大銀杏してる。ってかがっぷり四つに組んだと思ったら足をかけて歩道に倒した。

「ったく……」

 拾った制帽をぱんぱんとはたいて力士体型の警官は大銀杏の頭に乗せた。不思議とちょんまげはきれいに制帽におさまった。

「また負けた……」

 自分の半分以下の体重の相手になら勝てるって豪語するタイプなんだからそんなに強くはないだろうとは思ってた。

「いい加減しないと逮捕するぞ。あと、食い逃げ?」

 俺がうなずく。

「あそこのファストフードか? あっちの牛丼屋か?」

「牛丼屋」

 警官は懐からスマートフォンを出して、電話を始めた。

「ああ、交番の村木です。……はい。あいつです。はい。はい。あとで払わせに行きますんで。はい。すいません」

「事情を聞いてよろしいですか」

「ああ。あなたは被害者ですから、お話ししましょう。しかし内容はありませんよ。こいつが変質者なだけですから」

 話によると、135キロの彼はただの相撲好きのトレンチコート着た変質者で、話相手になってくれた人をタニマチ、っていうかおごってくれる人だと思いこんでるそうだ。

「ほんとはあの牛丼屋も出禁になってるんですけどね。この体だから店員もビビッて文句言えないんですよ。60キロ以下の相手には無敵だし」

「はあ」

「ご迷惑かけました。こいつまた説教しときますんで」

「そうですか。じゃあおまかせします」

 色々事情がありそうだがこれ以上踏み込まないほうがいいだろう。と、俺は交番を後にしようとしたが──。

「あの。失礼ですが、おまわりさんの髪型はどうして?」

「あっはっは。趣味ですよ。休日になると廻しをつけてトレンチコートを着てうろつく趣味があるんですよ。お恥ずかしい」

 同類だった。

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トレンチコートの135キロ 鐘辺完 @belphe506

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