第9話 お母さんに会ってください
その日、休日の夜の工房は静かながら、まるで戦場のような緊迫感に満ちていた。
それも――もしここが戦場だとすればかなり悲惨な状況だ。どう考えても、もう勝ち目は無いのに、降伏を許さない冷徹な
志気も、体力も最低レベル。そこにいる
なんとも、刺々しい空間であった。そりゃ、こんな休日の夜も残って仕事している、そんな連中の機嫌が良いとなどあるわけもないが、それにしてもみんなのイライラの度合いが少し度を越しているように思えた。誰かが何か一言漏らせば舌打ちが飛んで来るような状況だ。
とても不本意な仕事をやらされている。そんな様子がありありの仕事場であった。笑いどころかため息さえでない。
そんな中、一人の男が席を立った。
いや、その行動に、その時は大した意味があるとは思えなかったと、その場にいた他の魔導師は後に語る。男の顔は、疲れてはいたけれど、特に変わった表情もない、むしろ少し明るさも感じられるーーごくごく自然な様子であたっという。
男は、自分の席にカバンを置いたまま、トイレにでもいくのか、あるいはなんてことのないちょっとした小休止をとるだけのような感じで部屋を出たのだという。
もちろん、そのことをとがめたり、止めたりする者もいない。他の休日出勤中の魔導師は、手を休めることのなくもう何時間も働いてるとはいえーー席を立った男も、それまで同じように働きづめだったのだ。
緊張がとぎれた瞬間に、少し外に出て行ってみることなど、特にとがめられる言われもないどころかむしろ推奨されてもよいくらいのことだ。仕事をずっと続けて煮詰まりすぎた頭をリフレッシュして、その後効率よく働く方が良い仕事ができることなど、あえて証明や説明の必要のない常識レベルのことである。
きっと、男は、ちょっと気分をかえたならばすぐに工房に戻ってきて、今以上に仕事に取りくんでくれるだろう。その男は、そう信頼されるに足りる、経験と実績をもつ中堅魔導師なのであった。
だいたい、必要以上に休みすぎてしまったりしたら——彼の分担の仕事が遅れ、彼自身が苦しくなるだけだ。そう思えば、一服なり、一休みなりしたならば、すぐに男は戻ってくるだろう……もしかたら、席を立った男自身も最初はそう考えていたのかもしれない。
だが、この日、男の足は、彼自らの予想さえを超えて進む。
男は部屋を出て――工房の建物の外に出て――夜の街に歩き出し――止まらなかった。
男はそのまま帰ってこなかった。
夜を超えて、朝になり、また次の日になっても……。
これが俺がこのあとに巻き込まれた、あまりにひどいデスマーチ案件、タケミカヅチ商事在庫管理システムのプロジェクト崩壊の始まりであったと言うが、その夜の俺はまだそれも知らない。
キャンデイの言って来た突拍子も無いお願いについて考えながらも、嵐の前の静けさのような、妙に落ち着いた夜を過ごしていたのであった。
*
そして、気づけば、また、あっという間の一週間であった。大型案件を終えたばかりなので、次に向けて小休止状態のはずの俺だったが、そんな時に限って昔担当した案件のトラブルが起きたり、どうでも良いような問い合わせがあったり、見本市の説明員に駆り出されたり、後回しにしていた庶務の期限がきたり……
なんだかんだで結構忙しくて、時は
で、気づけばあっといまに迎えた休日の昼。俺は、自分の宿の近くの駅から
そこは王都一番の高級繁華街。普段の俺が用があるような場所ではない。夜ともなれば、魔法によって光る様々な灯りに彩られるこの街も、昼はまだ落ち着いた様子であるが、それにしても、着飾った紳士淑女が集うこの場所には自分の風貌の不釣り合いに肩身が狭い。
で、そんな場所に俺が何故やってきたのかというと……
「先輩! こっちです!」
待ち合わせのライオンの銅像の前で手を振るのはキャンディ。
そう、俺は、今日、この
なんでも、キャンディの親が王都に出てくるのでそれにつきあってほしいということ。地方の
確かに、キャンディ、ずっと仕事ばかりしていて、若い女子の行くようなスポットはおろか、一人で牛丼屋さえいけるのかあやしい。
いくら、俺が、美食にも、おしゃれにも縁がなく、女っ気もなくてデートもしないから、最新のスポットなどにみ疎い、三十男だとしても……さすがにキャンディよりはましな自信がある。
ならば、この頃世話になっている後輩のため、一肌脱ぐのもしょうがないかなと、のこのことこんなところまでやってきたのだった
もちろん、俺は、「親に会う」とか言う、その不穏なワードに警戒した。
だがな……残念ポンコツ女のキャンディだしな。
実際、俺とは、所謂「親に会って欲しい」とか言われるような関係であることは……100パーセントないしな。
まかりまちがっても、色恋いざたで呼んだわけではないだろうと思ってーー俺は話を受けることにしたのだった。
魔導業界に革命を起こすため、今後もいろいろと協力をもらわないといけないので、今日恩を売っておくというのも悪くないので、、同僚の親孝行の手伝いくらいはおやすい御用!
……と、思ってた頃が俺にもありました。
「まあ、こんな娘に立派な彼氏ができて……」
待ち合わせ場所につくなり、キャンデイの母親から言われた最初の言葉がこれであった。俺は、どうも、何かに嵌められたくさい。
「いえ……立派なんて……」
でも、話を合わせてくれと必死に目で合図してくるキャンディの悲壮な様子に俺は焦りながら、たどたどしく言葉をひねり出す。
「職場で知り合ったとか。この子は皆様に迷惑かけていませんでようか?」
「いえいえ、そんなこと……」
「ふふ、かくさなくても良いですよ」
汗がだらだらと出てくる。コミュ障気味でずぼらなキャンディの親とは思えないような上品で社交的な感じの人に、にこやかに微笑みながらずっと話しかけられる俺であった。
横で固まっているポンコツ娘にくらべて、もとのスペックも人生経験も全然違うのだろうなと思える非常に付き合いやすそうなご婦人で、会話は途切れなくスムーズにどんどんと続くのだが……。今日は会話が弾めば弾むほど、窮地に追い込まれて行く俺であった。
もちろん、こんな場所に来て立ち話だけで解放されるわけはない。
それでは、ゆっくり話せる場所をとっているからと、そのまま高そうな料理屋の個室に拉致された俺。
「ふふ、
「ああ、それはみんなに頼られて、明るく楽しいムードメイカーで……」
「……無理しなくてもいいですのよ、どんな子なのかは親が一番良く知ってますから」
「…………」
「それよりも、なんでつきあうことになったのか……なれそめを聞きたいわ」
「それは……」
多分とても美味しい料理が出されているんだろうなと思いつつ、キャンディのお母さんの質問に、さっぱり味のわからないくらいテンパっているのだった。
付き合ったけきっかけはだとか、二人の思い出の場所はとか……話をそう言うのにうまく誘導され、その度に汗をだらだらかきながらアドリブで話をひねり出す。それにいちいち嬉しそうに頷き微笑むお母様に、俺は恐縮することしきりであった。
そして、そうやって針のムシロ状態での会食を二時間弱も耐えた後、俺は解放されるかと思えばさにあらず。
キャンディのお母さんが、食事の会計をしている(偽彼氏になって奢ってもらうなんて凄い罪悪感)間に、先に外に出た俺とポンコツ女であったが。
「じゃあ、お母さんは、久しぶりの王都だから、この後もみんなでぶらりとしましょうか」
「え……親子水入らずの方が……」
キャンディが口走った一言に、俺は一瞬驚いて、慌ててここからこのまま逃げ出す手段を講じるのだが、
「……先輩。すみません。もうちょっと付き合ってください。お母さんの
この残念娘がなぜ今日こんなことを俺にさせているのかはわからないが何のふりをしろというのかはわかる。
「……どうしてもか」
悲壮な顔で頷くキャンディ。
「そうでないとまずいんです」
「なにが」
「今の計画が崩壊しますよ」
「計画?」
「私たちの計画ですよ。
「……それとこれと何が関係あるんだ?」
「いなくなりますよ」
「だれが?」
「私が」
へ? キャンディが?
「なぜ?」
「なぜって……田舎に戻されます」
「誰が?」
「私がに決まってるでしょ」
「どうして」
「どうしてってわからないんですか?」
いやわからんな。
「どうかしましたか?」
路上でこそこそと話す俺とキャンディの姿を見かけて、店の中から出てきたお母さんが言う。
「いえ……何でもないから……お母さん、魔導列車の時間まで結構あるよね」
「ええ……まだ結構あるわね」
「先輩もまだ時間大丈夫ですよね」
「あ……ああ」
なんだかまだ良くわからないが、プロジェクトの命運がかかってると聞けばしょうがあるまい。
「じゃあ、一緒に行きましょう」
俺は戸惑いながらも首肯する。
「ごめんなさいね。せっかくの休日なのに。まだつきあわせてしまって」
「いえ……」
でも、何処に行けば良いんだ?
聞けば魔導列車の時間までは二時間ほど。
ただぼうっとするには長いが、どこかに移動して何か観光名所を見るとか言うには少し時間が足りない。
一番良いのは、散歩がてら、銀ブラ……でなくヌンムスの街をブラブラして、ソーラ駅(日本だと東京駅にあたる)の近くでお茶でも飲んで時間をつぶすであるが……
だめだな。お茶飲んで歓談なんて、食事以上に間が持たない。というか、キャンディのお母さんの質問責めが止まらなくて、きっと俺がボロを出してしまうに違いない。
なので、なんとしてでも、俺への注目が軽減されるような、観光名所かなんかに二人を連れていくべきなのだが――土地勘のないこんな場所で、お母さん世代の人が喜ぶような場所をぱっと思いつくことができない。
ああ、どうしよう。
俺は、どうにも考えあぐねていた。
「それじゃ、無理に歩き回るよりも……どこかでお茶……」
「ああ! そうだいいところ思いついた!」
まずい! 予想どうり最悪の選択を提案してきた
「ええと……」
何も考えていない。
頭の中は真っ白で、顔面は蒼白で……
「ふふ。少しわがまま言っても良いかしら?」
しかし、キャンディのお母さんは、俺に『わかってますわよ』とでも言いたげな目配せをしながら、
「実は、行きたいところがあるのです」
何か、万感の思いを乗せたような顔つきで言うのだった。
「なんの変哲もない、つまらない場所なのですが……」
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