第8話 プロトタイプ

 世界を変える。スラッシュ相手に、そんな大言壮語を吐いたけど。俺は、誇大妄想にとらわれているか、はったりで相手を黙らせようとしたとか、そう言うつもりで言ったのではまるでない。


 できるかどうかなんてわからないけど……ただそのくらいのつもりでやらないとだめなんだと思っているのだった。


 身の回りを変えるには、世界を変えないといけないと思っているのだった。


 全てを変えるつもりでないと、身の回りのことも変わらない。俺はそう思っているのだった。俺は、自分の今の置かれている惨状デスマを変えたいと言う、現世利益的なエゴから今のこの世界の仮想魔導の状況をなんとかしたいと思っているだけだ。——それは否定しない。だが、その我を通したいならば世界を変えないといけないと俺は思っているのだった。


「ふん——結局、俺はおもしろうそうなら手伝うだけだよ……せいぜい俺がびっくりするようなものを出してこいよ」


 まだまだ仕事が残っているため、もう一度職場に戻る前に、スラッシュが最後に言った言葉は、少し皮肉っぽい感じであったが、握った拳に少し力が入ってるのを見て、こいつもなんだかんだで俺たちの同類であるなと確信する。


 こいつだって考えるのは、自分の身の回りの快楽。でも、そのために、それが本当に達成できる——ずっと続くためには、……ん世界を変える必要がある。


 なにしろ、誰もが、結局は一人では生きられない。俺らは、その関わり方の大小はあるものの、みんな、世界——世間の中で生きている。

 

 世界が変わらなければ個人など結局押しつぶされる。ならば、個人を変えるには、世界を変えなきゃいけないこともある。それをスラッシュは知っている——そして、世界を変えるという、そんな妄想を心の中に膨らませることができる類の男なのだった。


「まあ、でも、スラッシュさんの協力も得られるかもしれないのは、良かったですね。私たちの計画は一歩前進です」

「そうだな……」


 俺は、そう言いながらニッコリと笑うキャンデイの姿を見ながら首肯する。


「リルさんの作業も進捗良いみたいだし」

「なんか乗りに乗ってるって言ってたな」


 夢の世界に入りづくめで、魔法学校アカデミアの自分の所属する研究室の学生の精を吸い尽くしてしまったから、導師プロフェッサーのおじさんたちにも手を伸ばし始めたと言っていたが、その学校の風紀のみだれが致命的なレベルになっていないことを祈るのみであった。俺たちのせいでそんなことになっているといがば、そうなのだから……


「ただ、どっちにしても今日やれることはもう終わりだな」

「そうですね」


 一応、今日も俺らは、スラッシュと別れた後もしばらくの間、リルさんが新しい仮想詠唱プログラム言語を完成させたらどんな風にそれを魔導回路に組み込むかなどの議論を重ねた。


 今後の検討のやり方や、体制、スケジュール。もし魔法式にサブルーチンの機能ができたなら今のやっているプロジェクトにどうやって生かすか——など様々な内容について議論をしたのだった。


 気づけば、いつのまにか晩春の長い午後も終わり、日が暮れかけていたのだった。


 ああ、なんだがまだ全然検討し足りない、話し足りないが、明日からまた一日中仕事だ。


 ならば、名残惜しいが、


「帰るか……」


 俺は、このまままた辛い一週間が始まるのにあまり疲れも残せないと、今日はさっさと帰って酒でも飲んで寝ようかと、そんな言葉をふと漏らすのだった。


「先輩。ちょっと、忘れてないですかね?」


 だが、キャンディがなにやら俺を呼び止めて言う。


 ん、何か忘れ物?


 俺は、今立ったベンチを振り返りその上を確認するがなにも忘れていないと思うけどな?


「約束ですよ。約束」


 ——約束?


 こいつと何か役なんかしたっけ?


 仕事の話ではないよな……?


「忘れましたか? だめですよ。この間、魔法式書いてあげたお礼の……」

「ああ、フルーツケーキ!」


 そうだ。俺はこのあいだの深夜に、泊まり込んでいたキャンディに魔法式を書いてもらったお礼の、レストランテ・ディーバでの食事はもう済んでいたが、最初に俺が言い出した取引条件、イシュタル堂のフルーツケーキはまだ済んでいなかったのだった。


 ホールで買ってやるという話が、どうせなら魔法式の話をもっとしたいから店舗で食べようとなったのだが、その日はもう店が閉まっていた。そして、そのあとは、魔法式の話をキャンディと暇を見つけてずっとするようになってしまって——そんな約束すっかり忘れてしまっていたのだった。


 今日は、キャンディと魔法式の話をするために、割と早い時間で工房から退出した。そのあとスラッシュとの会話を終えてもまだ……夜の8時過ぎたばかりだな。


 イシュタル堂は9時まで開いているはずで、


「魔法式の話はさすがに飽きましたが、そんな話ばかりした、頭の疲労回復にちょうどいいので、これから行きませんか先輩」


 なるほど。そう言うことなら。確かに、俺も甘いものは食べたいような気がするので、二人で移動したイシュタル堂の店舗。


 俺たちの工房からは地下鉄で一駅離れたくらいの場所にある、プラナという街、元の世界の東京で言えば広尾にあたる場所にあたる、小洒落た店の多い商店街の一角にその店はあった。


 だが、


「うわ、ちょっと混んでますね」

「確かに、閉店前のこんな時間なのに随分混んでるな。これじゃ、座るとこないかな?」


 奥のカフェコーナーの席は満杯。こんな高級菓子店に普段縁の無い俺は、普段もこうなのか、今日はたまたまなのかわからなかったが……どうしようかこれ?


 列ができていると言うほどではないので、待っていると座れるかもしれないけど、時間もったいないし、座れても閉店まで時間ほとんどないとかなりかねないな。


 なら、


「それとも、ホール買ってやるから家帰って食べるか?」


 俺はキャンディにそう提案する。

「え、先輩——家に! それは今日はちょっと……散らかってて……いえ、せっかくの機会なので。一時間。一時間待ってくれたら、死ぬ気で片付けますが」


 ん? 一人で家でケーキ食べるのに散らかってるとだめなのか?


「…………?」


 とかキャンディの言っている意味が不明で、俺はしらぬまに無言になってしまっていたが、


「あ、待てませんか。1時間だけ必死になったらなんとかなるんですが? だめですか? それなら……」

「…………?」


 キャンディはそれを否定の態度ととってしまったらしい。


宿ホテルとか……」

「ホテル? なんでホテルでフルーツケーキ食べるんだ? お前がいくなら止めないが?」


 代替案として妙なことを言いだしたぞ……?


「道端で食べてたら怪しいでしょ。さすがに」


 そりゃそうだが、


「ホテルに行くほどのことか——まあ個人の自由だからあえてはとめないが」

「止めない? ホテルに行くことをですか?」


 ……? なんか話噛み合わないな。


「そりゃお前が行きたいなら止めないが」

「……そんな女の方からそんなこと」


 女の方?


「お前が行きたいのに、お前が言わなきゃ誰が言うんだ……」

「いえ……でも恥ずかしい……」


 恥ずかしい? そりゃフルーツケーキすぐ食べるだけのためにホテルとるなんて妙なことしてるとバレたら恥ずかしいだろうが。


「いや、お前の気持ちしだいだろ。そんなの」

「それはそうですが……」


 なんなんだこいつ? 顔が少し赤くなって、ケーキを食べるのにそんな興奮するか……


 ——って?


「ホテルってもしかして……俺も一緒?」

「もしかしてって……どう言う意味だって……え? そう言う意味ではなかった……?」


 言葉の行き違いに気づき、顔を下にして真っ赤になるキャンディ——と俺。


 こいつ……何を考えていた?


 俺は、言葉を失い、キャンディの様子を伺おうと、ちらりと上目遣いに彼女のことを見ると、そっちの方も同じことを考えていたようで——目があってびっくりしてまた下を向く。


 と、そんな瞬間、


「お客様、席があきましたが、どういたしますか? お二人様でよろしいですか?」


 横には、猫耳の獣人の店員さんが、話を聞いていたのかニヤニヤとした顔で立っているのだった。


 俺は、


「あ、二人で……」


 恥ずかしさに顔を伏せながら言うのだった。


   *


 紅茶を飲みながらフルーツケーキを食べ終わると、俺らはそそくさと店を出た。まあ、気にしすぎかもしれないが、自宅行くとかホテルに行くとかの、あの会話が聞かれていたのでは思うと、店員さんにまだ注目されているような気がして……それがはずかしくて、なんだかあまりその場にいる気になれなかったのだった。


 外に出てもキャンディは言葉少なく、下を向きながら歩いている。と言うか、こいつが、あんなこと考えているなんて……と思うと俺も言葉少なになってしまう。と言うか、考えてしまう。キャンデイの家で、座る場所もない散らかった部屋でしょうがないのでベットに腰掛けたらいつのまにか。ホテルの部屋で窓際で夜景を見てたらロマンチックな気分になっているうちにいつのまにか……


 いやいや。まてまて。キャンディだぞ。残念が残念の皮被って歩いているような弁護の余地のない喪女だぞ。そもそもそんな色っぽいことこいつが考えるわけもないし、見た目だってぼろぼろで、


「いや」


 俺はちらりと見たキャンディが、今日は、多分絶対このフルーツケーキ食べにくるつもりで、いつもの会社とは違ってちゃんとした服を着て、化粧しているのにいま皿ながらに気づく。すると、その。美少女のポテンシャルをしっかり発揮した同僚の姿を見て、


「どうかしましたか先輩?」

「……なんでもない」


 しどろもどろになりながら不自然に横を向く。


「あっ!」

「はい?」


 横を向いた俺は気づいた。


「俺たち駅と反対に向かってないか?」

「えっ?」


 きょろきょろとあたりを見渡すキャンディ。

 ——慌てて反対方に歩き出して、そのまま二人ともテンパったまま歩き続けたのか?


「結構歩いちゃってたな」

「ええ……」


 地下鉄の駅からはもう十分以上歩いてしまったか。


「乗り換え考えたら、このまま先の駅まで行ってしまった方が……」

「そうですね」


 俺のアパートは元の世界での阿佐ヶ谷にあたるバダン町で、キャンディは吉祥寺のあたるフェスタ。両方とも中央線沿線。この世界ではドグマ線と呼ばれる魔導列車トレインの路線に住んでいる。だからこのまま恵比寿にあたるプリマスの駅まで行ってしまった方が早く家に帰れそうだった。


 なら、


「このまま歩いて行くか」

「はい」


 このやり取りで、ちょうどよく気持が切り変わって、なんかさっきまでの気まずい雰囲気が一気に吹き飛ぶ俺たちだった。と言うか、二人とも、もうそれは考えないようにしようと同時に思ったようだった。


「あれ? 工事中ですね」

「そうだな」


 ちょうどよく、目の前の道路では工事が行われている。俺たちは、これ幸いと、大して関心もないその話をし始めるのだった。


「渋滞してるな」

「まだ結構車走ってますから。休日とはいえまだ工事始めるには早かったんじゃないんですかね」


「そうだな」


 とかとか。キャンディの方も多分別の話題で話せるならばなんでも良い的な適当さで話をあわせてくるが、


「ロードローラーか……」

「はい?」


「いや、ちょっと……なんでもない」

「?」


 俺は、一瞬、目の前の工事の様子を見て、あまりに前の世界と同じよう光景に少しめまいのような感覚を感じてしまう。大きなローラーが湯気を立てるアスファルトををならしている光景。周りが暗くて中世ヨーロッパテイストの街並みが見えないこともあって、なんだか自分は今も前の世界にいる。そんな風に勘違いしてしまう。でも、違う。


 工事現場を照らす緑がかったあかり。道路を砕き、地面を掘り、またアスファルトを敷設する重機。これらは俺の前の世界での記憶の中の光景と寸分たがわぬものであるが……これらは全部魔力により動いているのだった。


 魔力といっても、魔素の移動により発光金属光らせている照明、爆発魔法をくり返してヒストンを上下させている重機の回転機関エンジン。それは、電球やレシプロエンジンによく似ていて、魔法でただ光れとか動けとかいっているのとはわけが違うが、やはりこの世界は違う。


 違うが、科学が魔法に変わったこと以外は奇妙に似ていて、そのことが、なんとも俺を微妙な気分にさせる。こんな偶然があるだろうか? 科学と魔法がこんなにも似た世界を作り出すなんてことがありえるのだろうか? それとも、これは偶然でなく、二つの世界には何かのつながりが? あるいは何かの意思? 神様? 高度な知性体? それとも宇宙の……?


 俺は、そんなことを考えながら、半分朦朧とした状態で、キャンディの質問に適当に受け答えをしているうちに駅に着く。


 月曜とはいえ、ちょうど二次会になるくらいの時間で、結構人でごったがえす駅前のロータリーであった。


 集団で騒いでる若い連中や、ふらふらと危なげに歩く中年の酔っ払い。合コンのあと女子が逃げようとしているのを必死で引き止めている男子の姿とか……。


 前の世界の恵比寿の光景かと思ってしまうようなその姿。俺は、ますます自分が何者か——俺はこの世界の夢を見ているだけなのでは——混乱して、


「ああ、うん……」

「そう! そうですか! 助かります!」


 キャンディがなんだか必死に頼んでくる話を適当に聞き流していたのだが


「それじゃ約束ですよ! 来週……」

「うん」


「……親に会ってもらいますからね!」

「はい?」


 いつのまにかとんでもない約束を俺はしてしまっていたようなのであった。  

 

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