第3話 魔法万能の世の中

 俺が(たぶん)転生したと思われるこの世界では、科学の代わりに魔法が現代生活を差支える根幹として機能している。電気の代わりに魔素が流れて夜を照らし、ガソリンエンジンの代わりに魔法炉をのせた自動車が走る。


 もちろん科学がこの世界でもまるで発展していないわけではないが、魔法の方がより早く文明を発展させることができたからか、それはせいぜい中世レベルにとどまっている。この世界でも、物理法則や化学法則などは、見たところ、俺の元の世界と同じように見えるが——魔法があるこの世界。物理法則を解明して行くよりも、魔力の仕組みを解明して行く方が人間はより良い暮らしをできたということなのだろう。


 ただ、古くから伝統的な魔法がガラリと変わったのがもう何百年前西方諸国で起きた回帰ラディカル運動であった。古代ヘラス(元の世界でのギリシャ周辺にあたる)であった魔法を分析的に捉え思索を行うことで発展してた文明。その復活をはかったその運動が近代魔法による産業革命を産み、この今の世界ができあがった。


 そして、それは、もし両方の世界から、科学と魔法の原理に興味がない普通の人をそれぞれ連れてきて入れ替えたら、中世ヨーロッパテイストの街の外観になれたなら、他はあんまり違和感なく生活してしまうんじゃないかというくらい似ていた。


 街にはひっきりなしに自動車が走り。デパートもあれば、繁華街のビルの壁にかけられた大きな魔導画面マジック・ディスプレイの中では最近はやりのアイドルグループが歌って踊っている。まあセンターの少女がエルフなのは元の世界と違うところだが。


 ともかく。こんな風に、魔力マナがあるこの世界においては、魔法によって現代生活が作られているのであった。それは転生する前の日本の記憶を思い出した俺でも、気を抜けば同じ場所なのではと思うほど似た世界となっていたのであった。


 それは、ほんのちょっとした日常生活——食生活の中でも感じられたりする。


 例えば、良くヨーロッパ中世風世界ファンタジーとかで出てきて批判を浴びる、ジャガイモやトマト。それも、近代魔法文明による大航海時代もあったこの世界では、ちゃんと東方の国たるこのソーラまで伝来していた。


 だから俺はレストランの後、今、フライドポテトを目の前に夜のハンバーガーショップの店内にいるのだが、


「結局……まだ食べるのかよ」

「いろいろ頭使ってたら、腹が減って来たんですよ。これも先輩のせいですよ。というか、先輩はそれ食べないんですか?」


 俺が、もう食べる気はしないが、何も注文しないのもなんなので頼んだフライドポテトを、すでにハンバーガーとのセットを完食した後に狙っているキャンディ。


「ああ……これいるか?」

「ラッキー!」


 と言うと、瞬く間に彼女は俺のトレイに乗っていたポテトを食べつくしてしまう。


「それで落ち着いたか」

「はい。さらに頭使いすぎたら今度はシェイクかなんか食べるので……話を続けてもらっても良いですか」


 俺は、やっと腹が満たされた様子のキャンディに向かって言う。


「サブルーチンか……確かにできたら便利だよな」


 深夜の工房オフィスで、間違った魔法式コードの修正を手伝ってもらっている時にうっかり漏らした、転生前の世界でのコンピュータプラグラミング用語——サブルーチン。

 

 自分が転生者だと(少なくともそう思っている)と漏らしてさらに余計な詮索を呼ばないように単に思いついただけど言うことにはしていたが、あの夜は、そのまま、俺が知っているコンピュータの知識を根掘り葉掘り聞かれることになったのだった。


 キャンディは、その時の興奮がまだ持続しているようで、


「そうです。そんなことができたら魔法式の大革命です」


 向かいの俺の席にむかってグッと体を乗り出してきて、鼻息も随分と荒い。


「できたらな」


 だが、俺は、盛り上がっているキャンディとは対照的に、落ち着いてというよりも、ちょっと冷笑的な様子で彼女の話を聞いていた。


 だって、


「確かに、作るのたいへんかもしれませんが……あったら便利だと思いますよ。他にも先輩が言ってた、構造化仮想詠唱プログラミング、関数型仮想詠唱プログラミングやオブジェクト思考仮想詠唱プログラミングなんかも……」


 あれば便利だがな。


 だけどな……


 俺は、少し冷静に今の仮想詠唱技術や魔法式を巡る状況を分析する。


 この世界でのプログラミング——仮想詠唱は、俺の世界で言う機械語レベルのものしかない。かろうじてifやgotoと言ったレベルの制御構造をもっているが、基本的にはプログラミングは逐次的。最初から最後まで一気に書ききるしかなく、そのためには頭の中でなんども論理を重ねていったり、仮想詠唱図フローチャートを作ってプログラムの流れを視覚化して捉えたりしていかなければならない。


 しかし、そんな作り方であると、できるプログラムの複雑さには限界がある。もちろん天才的な仮想詠唱者プログラマーが、こんなプログラム開発環境でも何十万行と言う仮想詠唱を完成させてしまって、天才ジーニアスと褒め称えられたりする者もいるけれど、俺みたいな凡百の魔導師エンジニアからしてみたら、最近要求されるシステムのレベルや量に対して、仮想詠唱のレベルが追いついていかない。


 それが最近この世界でよく言われている仮想魔導ソフトウェア開発の危機としていわれるものだ。そして、それは、もっと高度な魔導回路を求める産業界発展への問題ろ認識されているのだった。世の中の魔導技術の発展の足を引っ張っているのが仮想魔導の供給不足、つまり需要を満たすだけの仮想魔導師ソフトウェア・エンジニアの不足によるというのだった。


 これに対して、各国は魔道師育成計画や、国を超えた魔導師の供給などを感上げてはいるものの……こんなブラックになりがちな仕事をあえて好む者がそんな簡単にw大量にどこからか湧いて出るわけもなく、結局いつも人手のすくない仮想魔導師の現場はますます過酷になっていく。


 だが、俺の元の世界のプログラミング技術を使えたら、この状況は少しは変わるのではないかと思えるのだった。向こうだって、同じように最低限の制御構造しか持たないプログラム環境からスタートしたコンピュータの世界だ。その中で、プログラミング言語を進化させ様々な高級言語やプログラム手法を発達させて来たのだ。この世界でだって、それはやれないことではないだろう。原理的に。


 で、今の魔法式の不自由さに比べると——ある機能をもつ仮想詠唱コードをまとまりとして別に書いておいて呼び出して使う——サブルーチン使えるだけでもものすごい発展に思える。今は何度も同じ詠唱文を書いている魔法式が、今の魔法式は、サブルーチンを使えばぐっとわかりやすくなるはずだ。


 同じサブルーチンを何度も再利用できるようになるし、それは魔法式の読みやすさを格段にあげる。つまり、俺ら魔導師エンジニアの生産性は段違いに上がって、みんなの残業時間をがくんと減らすことができるのではないかと俺は思うのだった。


 だがな……


「先輩の話を聞いていたらいろいろ妄想広がるんですけど……つかいたがらないでしょうねみんな」

「ああ……」


 きっとこの世界の人たちも仮想詠唱を書くのをもっと楽にしたいという思いはあるはずだし、やれるだけの能力ももっているはずだ。しかし、この世界の人たちは魔法式の伝統をあまりいじることを好まない。というのも、魔法というものがへたにいろいろできてしまうからだ。


 あんまりプログラミングとかに凝るよりも、新しい魔法回路とか魔石を融合させた魔石とかそういったハードウェアが魔法というある意味仮想の機能を呼び起こすことができる。すると、プログラミングは、どちらかというと安定した動作の方を重視される。最低限の機能で安定して動くことを求められ、実際そう言うプログラムがずっと書かれ続け、それが世の中のニーズにも合致していたと言える。


 でも、それが実は矛盾をきたしているのがこの頃なのだった。


 元の世界でのLSIに当たる高密度微分魔石技術が進歩して、やれること、機能もアップするにともなって、要求される魔法式も複雑で大規模になって来ている。


 本当は、とっくに進化した魔法式が必要な現状なのだった。でも、まるで教条ドグマのごとき昔からの魔法式の書き方をみんな守っていた。少しずつ積み上げて来た過去の魔法式を根本的に変化させると、それで今までうまくいっていたことがすべて崩れるのを恐るかのように。


「とはいえ、一度こんな概念アイディア知ってしまったら、どうしても試してみたくなりますが……」

「どうやって作るかだな」


 どうすれば良いのかの大筋はわかっている。今、存在する魔法式を元に、もっと使いやすい魔法式を作れば良いのだ。今の魔法式にも最低限の制御構造はあるのだから、これを元にあらたなもっと書きやすい言語——魔法式を作れば良いのだ。


 元の世界ではそれができていたのだ。異世界でも論理構造が違うわけではない。それは可能に違いなかった。しかし、それを作るのは、魔法式の才能に恵まれていない俺はまず絶対無理として、


「……先輩の言った概念は理解しましたから、時間をかければ言われたようなものはできないこともないような気がしますが」


 その才のあるキャンディにもその時間がない。


 毎日毎日の泊り込んでの仕事に追われる彼女には、地道に魔法式の言語を作り出すような余裕は全くないと言ってもよいだろう。ならば、彼女のほかにそんなものを作ってくれそうな人の当てがない俺は、この世界の仮想魔導に革命を起こすようなアイディア知っているのに、それを実際に作ることができないと言うことなのだった。


 ならば、キャンディにだれか暇な仮想魔導師プログラマーでも知り合いはいないのかと思うが、


「ああ……そういえば……いや、あの人はちょっと……でも、先輩ならなんとか合わせられるかも」


 なんだ? 誰か心当たりでもあるのか?


「いや、できそうな人が知り合いにいるといえばいるのですが。ちょっと、変わっているというか、個性的というか……エキセントリックで……私はできればあんまり関わり合いたくないというか……でもいつもプロジェクトで個性的な魔導師エンジニアまとめあげている先輩ならもしかしたら……」


 ずいぶんと予防線を張りながら話すキャンディであった。なんだか随分と難物の知り合いのようだ。


「いいぞ。紹介してくれ」


 だが、俺は迷わずに即座に答える。


「……いいですかね? あとでなんでこんな人と会わせたんだとか怒らないでくださいよ」

「でも、会わないと何も始まらないだろう? じゃあ、やるしかないだろ」


「……まあ、じゃあいいですけど……会いたくないなあ……」

「ん? なんなら紹介してもらったら俺一人で会いに行ってもいいぞ」


「いや……それじゃ……先輩が危険ですから……」

「——?」


「いえ、こっちの話で……まあ分かりました。なるべく早く彼女に会えるように善処しますか……」


 なんだか最後まで煮え切らないキャンディであったが、ともかく天才的な仮想魔導師プログラマーである彼女が一目おく人物に会えるのだ。そのせっかくのチャンスにはとりあえずトライしてみた方が良い。俺はそう思うのだった。


 なにしろ、


「じゃあ、それは頼むよ。で、話に夢中になっていたけれど……」


 俺は店の時計を指差しながら言う。


「あっ、もうそんな時間ですか」

「そろそろ、会社に戻らなきゃな」


 夜間作業との合間にしかお礼の食事の時間もとれないようなこの世界の仮想魔導師の現状。これを改善するためのなら、鬼が出ようが蛇が出ようが甘んじておれはそれを受け入れるつもりで、キャンディが会うのを渋っている人物に会うつもりとなったのだったが……


   *


「あら、キャンデイ? あんたが男連れなんて珍しい。奥手のあんたは、きっと、まだ未通女おぼこだと思ってたけど、もしかしてついにやっちゃった?」


 しかし、次の週末、俺がであったその相手は、鬼でも蛇でもないが、


「……リル。この人は工房の先輩でそんな人じゃないから」

「あら、そう? じゃあ、遠慮なく……」


 ある意味、それよりも男として対処が難しい相手。


「……私がいただいちゃってもいいのかしらね?」


 夢魔サキュバス——リルさんなのであった。

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