土蜘蛛 四

「……どうした? 逃げたのではなかったのか」

「戦略的撤退ってやつよ。今度こそ、あんたを絶対に仕留める」

「そんな手負いの体でか?」

「手負いはお互い様でしょ」

 夕日の色は空からほとんど消え去り、半月だけが、薄紫の中にポツンと浮かんでいた。今やろうとしているのは──控えめに言ってもめちゃくちゃ分の悪い──賭けだ。目の前にいる巨大な蜘蛛の妖怪が、こっちの芝居に乗ってくれるかどうか……

 いや、考えている暇はない。

「……準備はいいわね? ……行くわよ! 狐火”癇癪玉”!」

 私は青い炎をまとって、土蜘蛛に躍りかかった。八足山まで、あと五百メートル。


「これは、お札……ですか?」五分くらい前の話だ。机の上に取り出した護符を見て、電球が言った。

「そうよ。元々は予備だったんだけどね。多分、今あいつを倒すのは無理。だから、もう一回封印するの。……あった。この地図を見て」昨日の地図をカバンの底から引っ張り出して、ボールペンで五芒星を書きなぐった。

「一度しか言わないからよく聞いて。あんたたちには、ここにある八足山に行って、この形に護符を貼り付けてもらいたいの。これであの蜘蛛を閉じ込める」


「喰らえ!」

「──! 狐火”伏見参り”!」土蜘蛛が糸を吐き出せば、私は直列の火球で打ち消し、すぐさま後ろに跳んで前脚の追撃をかわす。さっきからこの繰り返しだ。

……さっきのダメージが思っていたよりも更に大きい。呼吸の度に肩が大きく上下する。そろそろ、護符の助けが無いと吐き出された糸を消しきれないかもしれない。

けど、あいつに背を向ける訳にもいかない。どうする……? 手元には護符が十四枚。その内九枚はトドメに使うとして、残りは五枚。今の体力じゃ、一枚使って一分持たせるのが限度だ。本当は、電球とマッキーが護符を貼り終わるまでの時間稼ぎに使うための物。今使ったら山でどうなることか────

「何を呆けている? 小娘!?」いや、今使わないと時間稼ぎさえできない。

「仕方ないわね……気張りなさいよ、イヅナ」意を決して、最初の護符を手に取った。八足山まで、あと二百メートル。


「いいこと? 私が合図をしたら、五分以内に貼り終わりなさい。そうでもなきゃ間に合わない」説明をしながら、二人に必要な枚数、護符を手渡す。

「合図って、どんな……?」

「山の上に青い火が見えたら、それが合図よ」

「……分かりました」

「……分かった」二人が返事をしたのは同時だった。

「あとマッキー。あんたには、もう一個頼みがある」

 そう言って私は、マッキーに八足山の地図を手渡した。


「どうした? さっきから随分と苦しそうではないか」

「はあ……はあ…………余計な……お世話よ……」

 ようやく八足山に到着。なんとかここまでおびき寄せた。けど、今にも肺が破裂しそうだ。息を吸うたびに、喉の入り口で鉄の味が段々と濃さを増していく。さすがに無理をしすぎただろうか……残る護符は二枚。

 五分をこれでやりくりするのはかなりキツい。どうか、一秒でも早く貼り終わって。祈りを込めるように、狐火を灯した。

「狐火……”流星”!」空に向かって拳を突き上げ、狐火を思い切り高く打ち上げた。

「……? 何をしている?」よし、合図は送った。後は目の前のこいつを山から出さないようにするだけだ。護符に火を灯す。力がみなぎって、痛みが少しだけ楽になった。

「……さあね? 狐火”伏見参り”!」余裕そうな声を絞り出し、攻撃を仕掛ける。

「──! フン、何だこれは? 全く効かんぞ!」土蜘蛛は平気な様子で迫って来る。私との距離は、五メートル、四メートルと縮まっていく。

「まだまだ!」負けじとこっちも狐火を連射する。

 三メートル、二メートル……限界まで引き付けて…………今だ!

「ハハハハッ! 無駄だ! これで終わりにして──ぐえっ!」私は攻撃の手を止めてその場から跳び退いた。がら空きの脳天に、さっき打ち上げた狐火が直撃する。

「アハハッ! ざまあみろ! 調子に乗るからよ!」そしてここぞとばかりに煽り立てる。頼む。これでブチ切れてくれ。

「この…………き……」どうだ?

「この餓鬼イイ!」叫び声とともに飛んでくる糸。今は護符を使った状態。難なく打ち消せる。ちょっとキレ方が予想以上だったけど、作戦成功。後は二人が貼り終わるまで粘るだけだ。


「この餓鬼めが! 貴様は食おうと思っていたが、気が変わった! 人とも見えぬ程に惨たらしく切り刻んでくれる!」

 とっくに護符の効果は切れていた。あれから三分くらいは経っただろうか。なおも私に襲いかかる両前脚の連続攻撃。キレてるからか、速い。けど、単調だ。前脚は私にかすりもせず、さっきから何度も地面ばかり突き刺している。

「ちょこまかと……動くなア!」土蜘蛛の怒りの一撃が、木に大穴を開ける。

 その時だった。一瞬、地面を青い炎が駆け抜け、その後、山全体が同じように、青色の光に覆われた。二人が護符を貼り終わったみたいだ。

「何……? これはどういうことだ!?」突然の出来事に、土蜘蛛は正気を取り戻したらしい。ずっとキレててくれた方が変な芝居をしなくていいから楽なんだけど。

「結界よ。これでもう、私たちはこの山から出られない。刺し違えてでも、ここで倒す」

 そろそろに誘導しないと。私は土蜘蛛の方を向いたまま、上へと登り始めた。


「はあ、はあ……狐火”癇癪玉”!」

「甘い!」

「痛っ!」

 ゆっくりと、とてもゆっくりと時間をかけて、なんとかマッキーとの約束の場所──土蜘蛛が封印されていた塚だ──に誘導することは出来た。けど、土蜘蛛はすっかりと冷静さを取り戻していた。今の私は傷ついた身だ。狐火だって、あっさりと跳ね返されるようになってきた。これ以上戦い続けるのは、さすがに苦しい。さっきまで攻撃を避け続けることができたのは、あいつが怒りに我を忘れていたからだ。出来るだけ時間は稼いだけど、そろそろマッキーが来てくれないと危ない。


「ええ⁉ 僕があの蜘蛛を封印するの?」

「そうよ。完全に封じることは出来ないけどね。その地図のバツ印の場所、そこに四体の地蔵が据え付けられてるんだけど、その内一体が横倒しになってるの。それを元に戻せば、今の私にも封じられるくらいには、力を抑えられるはずよ」

「ちょっと待ってください! いくら何でも無茶ですよ、あんな怪物相手に! マッキーさんはただの人なんですよ⁉」

 電球の指摘は正しい。民間人を任務に巻き込んだなんて、神主さんやお姉ちゃんが知ったら黙っていないだろう。けど、このまま放置したら、この学校にいる人はほとんど、いや全員死んでしまうだろう。それに、助けを呼んでしまったら、きっとお姉ちゃんは急いで駆けつけて来る。地球の裏側からでも、絶対。でも、それじゃダメなんだ。お姉ちゃんがいないと何も出来ないなんて、そんなのはもう嫌だ。

「そう、無茶なのよ。けど、その無茶をしないとたくさんの人が死ぬ。すまないけど、付き合って。大丈夫。あんたたちは絶対死なせない」


「ハハハ! 動きが鈍っているぞ! 儂を倒すのではなかったのか?」

 土蜘蛛の攻撃は止む気配を見せない。段々と攻撃を喰らいそうになってきた。

「フフフフ、山に結界を張り、儂を閉じ込めるところまでは、それなりに見事であったぞ。だが、残念だったな。儂がでかかれば、貴様など虫けらも同然だと気付けなかったこと、あの世で悔やむがいい」

 そう言って、土蜘蛛が前脚を振り上げた時だった。土蜘蛛の背後、林の向こうに、ちらちらと人影が見えた。あれは──マッキーだ。

「何言ってんの? 虫けらはあんたでしょ」

「何だと?」

「私の下手な芝居に騙されるんじゃ、あんたの頭は虫けらと変わらないって言ってんのよ」

「……? まさか!」

 どうやら、すべてが繋がったらしい。山に張った結界や、護符を一枚ずつケチケチ使ったことや、塚まで誘導されたこと、すべてが。

「させるか、この小童!」土蜘蛛はマッキーの方を振り返り、糸を吐き出した。けど、もう遅い。トドメに使う九枚を除いて、最後の護符を取り出して、土蜘蛛の前に立ちふさがる。

「こっちのセリフよ、蜘蛛野郎!」火力を取り戻した狐火で、糸を受け止める。

「──! 葛葉さん!」

「死なせないって言ったでしょ? さあ、早くしなさい!」

「分かった!」マッキーが倒れた地蔵に向かって走りだす。

「やめろ!」制止する土蜘蛛。

「やめるわけないでしょ! 狐火”癇癪玉”!」邪魔はさせない。前しか見ていないその顔面に、火球を叩きつける。受け身も取れず、その巨体は横にこけた。

「うおおお!」マッキーの必死な声。ゆっくりと、地蔵がその石造りの体が起き上がっていく。そして遂に、元のようにしっかりと地面の上に立った。その直後、正方形を描いて、柔らかい光が空へ上っていく。

「馬鹿な! こんな小童どもに……この儂が!」土蜘蛛は苦しそうな声を出している。確かに、力が弱まっているのを見て、私は九枚の護符を上に放り投げた。

「そういえば、私の名前、まだ言ってなかったわね」

 一枚、二枚、護符に青い炎が灯るごとに、力がみなぎる。三枚、四枚、普段の力さえも大きく超えて。五枚、六枚、息を大きく吸い込む。名乗り損ねた名前を、もう一度名乗るために。七枚、八枚、そして、九枚。

「覚えておきなさい。私は……私の名前は、葛葉 美咲よ! 狐火”九尾火祓きゅうびのひばらえ”!」叫ぶのと同時に、炎が大きく膨れ上がり、巨大な狐の姿をとった。青い狐は九本の尻尾を振り乱し、土蜘蛛に襲いかかった。

「おのれ……この儂が、この儂があああ!」

 山が揺れるような絶叫。青い炎に包まれながら、その声は段々と小さくなっていく。最後に残ったのは、土蜘蛛の魂と思しき大きな白い球体だけで、それすらも、四体の地蔵に囲まれた塚の中へと吸い込まれていった。



 

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