土蜘蛛 三

「げっ」

「あっ……」

「ああっ!」

 学校に着いた時から嫌な予感はしてた。そしてそれは、担任に連れられて教室に入った瞬間、現実のものとなった。初対面の生徒しかいないはずの教室に、明らかに見覚えのある顔が二つ──どうやら昨日飛ばされた学校が、こっちにいる間通うことになる安葉やすは第一高校だったみたいだ──。しかも、しかもだ。よく見ると電球の隣が空いている。これは多分、そういうことだ。

「きょ、今日からお世話になります、かじゅ……葛葉かずらば 美咲みさきです」動揺のあまり舌を噛んでしまった。落ち着け、私。万に一つくらいは、そうじゃない確率だってあるだろう。

「よし。葛葉さんは、あそこの席だ。分からないことがあれば、隣の町田に聞いてくれ」念願むなしく、私は電球の隣に案内された。必死にため息を飲み込んだ。

「それじゃあ、町田。葛葉さんに色々教えてあげてくれ」

「…………」気まずい。昨日あれだけ言った相手に、まさか次の日再会するなんて。横を見ると、電球がチカチカと点滅を始めている。昨日のことを引きずってはいなさそうだ。けど裏を返せばそれは、このホームルームの後、また面倒なことになる証拠だ。

 起立、礼と、電球の凛とした声がホームルームの終わりを告げる。……え?

「かっずらっばさーん!!!」

「痛っ! ちょっと、抱きついてこないでよ! ていうか、なんであんたが号令してんの?」くそ、全然剥がれない……ちょっと、マッキー! 見てるだけじゃなくて、何とかしてよ! あんたの友達でしょ?

「決まってるじゃないですか! 私が、クラス委員のまち るり子です! さあ、葛葉さんには聞きたいことがいっぱいありますからね! 覚悟してくださいよ~」近い近い、顔が近い。とにかく、すぐに離れなきゃ……

「ちょっ……わかったから、放して……ほら、次、体育だし…………」

「あ、ホントだ! それじゃ、一緒に行きましょう!」

「え? いや、私……ていうかあんたもまだ着替えて…………」

「行きますよ~……レエッツ、ゴオオ!」

「ま、待って、一旦落ち着い──いやあああ!」


「それにしても、すごい身体能力でしたね、葛葉さん」

「いやあ、びっくりしたよ。後ろから誰かに飛び越えられるなんて初めてだったね」

「……そりゃ焦るわよ。あんた、運動場に着くまで着替えてないことに気付かなかったじゃない」

「あはは……面目ないです」

 教室には、私たち三人しかいなかった。あれから随分経ったように感じる。もちろん、それは勘違いだ。今は放課後、実際にはまだ六時間くらいしか経っていない。

「そういえば、自己紹介がまだだったね。僕は永井ながい 正樹まさき。気軽にマッキーって呼んで」主に電球があちこち連れまわすせいで、マッキーの、ていうかクラスのほぼ全員の名前をまだ聞いていない。マッキーでやっと二人目だ。

「それにしても意外です。葛葉さんが私たちと一緒に残ってくれるなんて」

「……残ってなきゃいけない事情があるのよ」

 もちろん、私だって好きで残ってるわけじゃない。話は昨日の晩までさかのぼる。


「幸いにも、明日から通ってもらう高校は塚のある八足山やつあしやまから距離が近い。そこで、あなたには高校で待機してもらい、土蜘蛛の出現に合わせて、イヅナを向かわせます」

 時刻はすでに夜九時をまわっていた。神社に帰った後も、私と神主さんは次の作戦を立てていた。……ていうか、あの蜘蛛野郎、土蜘蛛っていうんだ。

「ハナから山をもう一回探すんじゃ駄目なの?」

「逆に聞きますが、せっかく封印が解け、外に出られたのに、塚の周囲に留まる理由があると思いますか?」

「…………」確かにそうだ。

「とにかく、イヅナが着くまでは大人しく待っていること。封印が解けてから一晩経っていますので、幾分か力を取り戻しているでしょうから、くれぐれも油断はなさいませんように」


 そして、今。黒板の上に掛かった時計は五時過ぎを指している。今は世に言う逢魔が時。これからが本番だ。

「……あれ? ねえ、ルリちゃん。あれ何かな?」マッキーが突然、窓の外を指差して言った。私と電球も、マッキーの人差し指の先へ目を向ける。山の方から、白い影がこっちに向かって走って来ているのが見えた。間違いない、イヅナだ。

「えっと……あれは…………狐? それとも──って葛葉さん!?」

「あんたたちは来ちゃ駄目! そこら辺に隠れてなさい!」

 それだけ言って、私は教室を飛び出した。電球が、また点滅しているような気がした。


「イヅナ!」

「美咲、急いで! あいつがもう──」その瞬間、イヅナの足元を目掛けて白い筋のようなものが飛んできた。地面が砕ける音とともに、土煙が舞い上がる。

「──よっと! 危なかった……」

「イヅナ、大丈夫!?」

「うん。なんとかね。それよりも……」

「見つけたぞ……小娘ェ!」イヅナが白い筋が飛んできた方を見ると、土煙を切り裂きながらは現れた。

「────!」そして、それが土蜘蛛だとわかったのは、反射的にその巨大な前脚をかわした後だった。昨日よりも一回りも二回りも大きなそれは、白い筋と同じように、あっさりと地面を蹴り砕いた。

「ちょっと! 一晩でデカくなり過ぎでしょ! 狐憑き──”飯綱”!!」

慌ててイヅナを憑かせて、体勢を立て直す。まさか、一晩でここまで力を取り戻していたなんて。

「まったく……今日はやけに暑苦しいじゃないの。昨日の方が私は好みよ」

「小娘が何を言うか? これは強者に相応しい振る舞いというものだ」

「その小娘に追い詰められたのはどこの誰かしらね?」

「自分の立場がまだ分からんか……ならその身をもって思い知るがいい」

「思い知るのはどっちかしらね」

 出会った時から思っていたけど、こいつは芝居がかったことが好きらしい。おかげである程度、作戦を練ることができた。それでも、考える時間はもうないだろう。私と土蜘蛛は睨み合う格好になった。

「気をつけて。昨日と違って、糸を吐いてくるよ」私の中から、イヅナが忠告する。あの白い筋は糸だったらしい。あんな和製タランチュラみたいなのが巣を張るのかは知らないけど。まあ、妖怪だし何でもありなんだろう。とにかく、昨日みたいに正面から行くのは危ない。

「……」

「……」物音一つ無く、空気だけが段々と張りつめていく。

「…………」風船に針を突き立てるかのように、風が吹き去った。そして────

「…………狐火”伏見参り”」先に動いたのは私だった。小さな火の玉が、一直線に並んで土蜘蛛へと向かって行く。効かないのは承知の上だ。すぐに横向きに走り出すと、私を追って側面の脚が次々と繰り出される。なんとかそれをかわして、体の下に潜り込んだ。

「狐火”癇癪玉”!」スライディングして、下から攻撃。

「ぐっ……小癪な!」土蜘蛛の体をくぐると、横から前脚が襲いかかる。

「危なっ!」間一髪、跳びあがって避けた。……まずい。今ここで跳んだら……

「馬鹿め!」案の定、土蜘蛛が糸を吐きだす。避けるのは無理だ。

「こうなったら……狐火”──きゃっ!」狐火も間に合わず、私の体は大きく吹き飛ばされ、そのまま校舎の壁に貼り付けられた。

「フフフ……あれだけ大口を叩いておいて、無様なものよ…………せめてもの情けだ。苦しまぬよう、一飲みにしてくれる」ふざけるな……くそ、全然剥がれない……狐火を使おうにも、糸に手が届かない。何か無い? そうだ、信太の護符が……ポケットの中を探る。手に紙の感触。慌ててポケットから引きずり出す。届くか……? 手首を無理に曲げる。急げ。もうすぐそこまで……

「さあ、食われる覚悟はできたか?」できるもんか。早く……あともう少し。届け……届け…………

「行くぞ……我が血肉となること、光栄に思え!」──! 届いた! すぐに護符に火をつける。護符に燃え移った狐火は火力を増して、土蜘蛛の前脚が私をとらえる寸前、その糸を焼き切った。

「残念だったわね、このタコ!」出血大サービスで八割増しの狐火を乗せて、向かってくる巨大な顔面を思い切り蹴飛ばした。うめき声を上げながら、土蜘蛛は後ずさりしていく。

「ふん。いたいけな少女を縛って食い物にしようとした罰よ。せめてもの情けで、苦しまないように次の一発で仕留めてあげる」そう言って残りの護符も取り出した、その時だった。

「すごい! 見てマッキーさん! 葛葉さん、怪物と戦ってますよ!」……は?

「ちょっと、ルリちゃん! 危ないって! 引き返そうよ!」……なんで? なんで二人がここにいるの? 来るなって言ったのに……

「フフフ……小娘……あんな小童がこのような所におっては……危ないのぉ?」

「────!」まずい、電球たちを狙う気だ。土蜘蛛はすでに右前脚を振りかぶっている。弱っているとは言っても、普通の人間に避けられるスピードじゃない。私も二人に向かって走って行く。土蜘蛛の右前脚は二人をめがけて振り下ろされようとしていた。頼む、間に合って!

「──! 痛っ……」脇腹に鈍い痛み──ていうか痛いのかどうかもわからないレベルのものだけど──が走る。さすがにノーガードで受けるのは無茶だった。口の中に、じんわりと血の味が広がっていく。

「き、狐火……”癇癪玉”」このまま戦うのは無理だ。狐火で目くらましをして、ひとまず電球とマッキーを連れて校舎の中に逃げ込んだ。


「…………来るなって言ったでしょ」

「……ごめんなさい。私──」

「ふざけないでよ! あんたたち二人は私の邪魔ばっかりして!」

「葛葉さん、落ち着いて! 何もルリちゃんだって──」

「あんたもよ! あんたのそのオドオドした態度が、こいつを調子に乗せてるのがわからない?」

「……」

「……」

「……ごめん、事情を知らないあんたたちに言っても仕方ないわよね……」

……もしも、ここにいるのがお姉ちゃんだったら、こんなことにはなってないんだろう。結局私も、まだ未熟だっただけの話だ。いや、今それを考えてもどうにもならない。ここにはお姉ちゃんはいない。それよりも、急がないと、今に他の生徒や先生たちに被害が出る。どうすればいい? 頭の中であれこれと考えをいじくり回してみる。……ん? 待って、そういえば……

「葛葉さん、口から血が……ごめんなさい、私のせいで……」

「そうね。あんたのせいで、私一人じゃあいつを倒せなくなった」

「ちょっと、そんな言い方──」

「それがわかってるなら、教室についてきて。お詫びに手伝ってもらいたいの」

 

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