灼熱は真実を捉えるのか 7
寂れた遊園地には軽食と呼べるものもなく、食事を催促してくる少女にははたはた困らされたものだ。時刻は既に三時を回り、小腹が減るのも理解できない訳ではないが、自身が置かれている現状を鑑みればそんなことは言えない筈なのだ。どれだけ度胸が据わっているんだと驚嘆の一つでもして見せたいが、少女の一挙一動に構っていられるような状況ではない。
男は、サミュエル=ジョーンズという名の異国の魔術師だった。とある目的から、少女こと
サミュエルには金がなかった。家族を守る金も、一日を生き延びる為の金も。
魔術師になったのは、特別な力を得て、人には出来ない特別な仕事をすれば、普通の人では手に出来ない額の金を手に入れ、守りたいものを守ることができると思っていたからだ。
実際は、そう甘くはなかった。仕事の多くは常に危険と隣合わせ。特に発展途上の母国では、治安の悪さから、魔術師としての仕事は金にならない自警団の真似事のようなものばかり。危険の度合いに見合った額は手に入らない。銃声など聞こえて当たり前。奇跡的に一日聞こえない時があればそこでようやく、今日は平和だったねと笑い合えるような、そんな世界。
裕福にはなれなかった。魔術師になっても、足下を見られれば仕事の報酬も下げられる。しかし、断る余裕などなかった。
そこに来て今回の仕事だ。この金だけで、一体どれだけ穀物が買えるだろう。芋が買えるだろう。肉が買えるだろう。断る理由など、ある筈がなかった。
サミュエル=ジョーンズは首に掛けられた十字架を握りしめる。
守る者の為に行う罪を、神はお赦しになるだろうか。いや、きっと自分はまともな死に方はしないだろう。子供を傷付けていい理由など、世界のどこにだってありはしないのだから。
サミュエル=ジョーンズは魔術師だ。
この小さなおんぼろ遊園地の周囲は、強力な魔術で固めた。そうそう簡単には見つけられる筈もない。
サミュエル=ジョーンズは息を吐いた。サミュエルには分かってしまうのだ。蜘蛛の巣に掛かった蝶に、蜘蛛がすぐ気付けるのと同じように。
「とうとう見つかった。ったく、ツイてない」
サミュエルは目を閉じる。明滅する蛍光灯がまるで自分のように見えたからだ。今にも消えそうな光は、命の灯にも似ていた。
「潮時だな」
呟いて、それから目を開き、少女を見つめた。
少女は疲れ果てたような表情でこちらを見つめ返す。
「そろそろ帰してくれる気になった?」
サミュエルは首を軽く振った。
「いいや」
腰かけていた椅子から立ち上がり、サミュエルは巨躯を嘉多蔵亜里沙の側まで近付ける。
嘉多蔵亜里沙は、倍近くある身の丈にたじろぎながら、しかし怯える様子を見せない。
「……何? 変な気でも起こした? さらった時点で、変な気は起きてるようなもんだけど」
「俺が怖いか?」
低く重たく響く声は厚みと迫力を上乗せして、高い位置から少女を威圧する。
「どうして……今さら聞くの?」
「いいから答えろ」
互いが互いの目を見ながら、決して逸らさず、しかし嘉多蔵亜里沙は逡巡して、二度三度瞬きをした後、覚悟を決めたような力強さで言う。
「怖いよ。大人は怖い。おじさんのことも、怖い。っていうか、怖くない訳ないじゃん。こんな薄暗い所に連れてこられて、何されるか分かんないし、殺されちゃうかもしれないし、怖いよ。めちゃくちゃ怖い。本当に……怖い……、けど」
「けど?」
「怖い……けど、おじさんは、怖いだけじゃないと思う」
「……何故?」
「……勘。女の勘」
「勘?」
「そう……なんか、怖くない所も、あるかな……ってだけだけど」
その言葉に、サミュエル=ジョーンズは、思わず笑った。微笑とか、嘲笑とか、鼻で笑うとか、そういうものではなく、純粋に大声で笑った。
少女はサミュエルの巨躯が上下に揺れるのを見て、少しばかり後ずさったが、しかし、目線だけは離さなかった。
サミュエルは零れる小さな涙を拭う。拭ってから、初めて涙が流れていたことに気付く。
「……そうか。……そう見えるのか」
「?」
「安心しろ。お前はすぐに帰れる」
嘉多蔵亜里沙を、サミュエルは見下ろす。
少女は小さかった。哀れだった。
明滅する蛍光灯の一つが、今、バチバチと音を立てながら、光を失った。
サミュエルは十字架を握りしめ、再び目を閉じ、息を整えるような仕草をして、開いた目で嘉多蔵亜里沙の小さな瞳を見つめる。
「お前は強い子供だ。だが、こんなにも裕福な国に生まれながら、暗い目をしている」
「電気が切れたからじゃない?」
「いいや。寂しい目だ」
「そう、かな」
「一つ教えてやる。大人は、お前が思っている程悪い奴ばかりじゃない。俺が言っても信じられないだろうが、それでも、大人の中にも信じられる大人はいる。想ってくれる大人はいる。それは、きっと、お前の一番近くにいる大人だ」
言い聞かせるように、ではなく、囁くように、嘉多蔵亜里沙の瞳に伝えるように、サミュエル=ジョーンズは語りかける。
「そうは、思わないな」
「いや、思えるさ。お前の目は寂しそうだ。だが死んではいない。まだ希望を求めている。しっかりと見つめることだ。俺のような人間を見てくれたように、その目で、前向きな目で、大切な者の心を。きっと、求めていたものも見える」
少女だけではなく、自分自身にも言っているように。
嘉多蔵亜里沙は、目線を外して、黙った。
サミュエルには分かっていたのかもしれない。少女の、些細な憂いを。
そしてその憂いには、まだ諦めではない何かがあることも。
サミュエル=ジョーンズは、嘉多蔵亜里沙に背を向けた。
人体を感知するセンサーが反応して明かりを灯すように、反射的に何かが、魔術師サミュエル=ジョーンズの背中を走り抜けたのだ。
表情に覚悟を浮かべる。
肩越しに少女を見つめ、
「いいか。あと少し、何があっても外には出るな。いいか? 死にたくなければ、何があっても出るんじゃないぞ」
「どうして?」
軟禁されている者と、その犯人の会話ではないようなやりとり。
しかし、それでもこの黒人魔術師は、
「俺が、悪い大人だからさ」
――サミュエル=ジョーンズは、拉致軟禁した少女を置いて、屋内施設を出た。
空を見上げれば、真冬のせいか日没が早くオレンジがかったようにも見える。体に張り付く程小さなシャツ一枚にボロボロのジーンズでは、さすがに寒さは凌げない。四季が当たり前にある日本の感覚が理解からは程遠い。
寂れた遊園地は、滝へと向かう坂道の中腹にあるせいか平坦な所が少ないが、母国の劣悪な道路に比べれば、ゴミ一つ落ちていないだけでも環境は良かった。
サミュエルはもう一度、十字架を握った。
「そうだな、大人は嫌な生き物さ。こんなことでしか、大切なものを守れないのだから」
大きく深呼吸をした。冷たい空気が体内に入り込む。肌が震える。吐く息は白い。
見据える先には、影が三つ。
「さて、仕事だ」
邂逅は、直後のことだった。
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