灼熱は真実を捉えるのか 8

 和川は小さな遊園地の前に立った。傍らには、同僚の不知火と、先輩の神田川。


 遊園地内に潜むであろう魔術師が嘉多蔵亜里沙の誘拐、拉致の犯人である可能性が高い、ということはすなわち、護衛の魔術師二人を撃破する程の力を有しているということ。実力が桁違いということもあり得るだろう。


「じゃあ、行くぞ、坊主」


 和川の肩に手を置いて、神田川は強い口調で鼓舞するように言った。


 覚悟を決め、三人はそれぞれ一歩を踏み出す。膜のような薄い壁を突き破る感覚を全身で味わいながら、強力な魔術の防壁を抜けていった。


 眼前に入場口が現れた。右手には入場券を買う窓口があり、不知火はもたれかかるように手を置いた。


 和川は、園内をぐるりと見回す。


 中は未就学児向けの遊具がいくつか並んでいた。錆の浮かぶ柱には老朽化が色濃く映るが、それは遊具も同じで、人がいないこの状況も、思った以上に違和感がない。元々こういうものだと言われれば納得してしまいそうになる。


 夕暮れも近いせいか、上り坂になっている園内は少しばかりの化粧でもって、色付くオレンジ色の淡さが印象的だ。


 そして、予想外なことが一つあった。


 坂の中程に、人影があったのだ。


 二メートルはある体躯は獣のような迫力を宿し、この国ではお目にかかれない黒い肌は、強さの証のように見えた。小さなシャツは筋を浮かせ、穴開きジーンズは荒々しさを臭わせる。


 一人か……と、不知火は心で呟いた。

 神田川は、敵魔術師による死角からの奇襲を想定していた。拍子抜けしたと言うと軽く思われるが、正面に立たれるというのもなかなか気味が悪い。


 胸元の十字架を握りしめこちらを見据える男に、不知火オーディン大和は臆せず問う。


「確認するが、貴様がサミュエル=ジョーンズで間違いないな?」


 返事はなかった。


「質問を変えよう。女の子を知らないか。捜している」


 無言は貫かれた。黒人男性は答えない。


「日本語が分からないのかい? それとも、そもそも話すつもりはないのかな」


 不知火の言葉に反応も見せず、瞬きもなく三人の姿を見続ける男に、和川はれを切らす。


「おい! 亜里沙ちゃんをどこにやったんだって訊いてんのが分かんねえのか!?」


「よせ和川。こちらが激昂する状況じゃない」


「坊主落ち着け。数じゃこちらが有利だ。冷静さを欠くな」


 十字架を握りしめ、男は一度、目を閉じた。


 ただならぬ気配に三人は肩を強張らせる。不知火は腰元の袋に手を入れ、神田川は懐にある針金を手にした。


 ここで口を開いたのは黒人の男だった。


 警戒する三人の魔術師に、明確で強力で圧倒的な殺気をぶつけながら――、


「俺の名は、サミュエル=ジョーンズ――魔術師だ」


 瞬間に生み出された刹那の速さは、目で追える限界を超えていた。


 魔術師サミュエル=ジョーンズは、三人の目の前に一瞬以上の速さで接近したのだ。


「なっ!?」


 退くように一斉に散らばる三人の魔術師。寂れた幼児向けの遊具に身を隠せるとも思えないが、和川は慌ててサミュエルの視界から外れようとする。


 状況の変化に、和川の心臓が収縮と緩和を隙間なく埋めるように動き、冷や汗も止まった。


 経験値の差か、和川が息を切らせている間にも、神田川の手には既に分厚い盾があった。正確には、盾はかざされた手で浮かされている。不知火は手の中に赤い石を数粒掴み、臨戦態勢を取っていた。


 さすがに判断が早いなあの二人は! と、和川が考えている『隙』に。


 巨大な体躯は、和川の背後で蠢いた。


 サミュエル=ジョーンズの拳は魔術的補助を得て、人並みを超えた速度と力で和川奈月に叩きこまれる。


 ガキィンッ! というかん高い音が、静やかな園内に響き渡った。

 人の躰に拳がぶつかった音では、当然ない。


「……盾、か」


 サミュエルと和川奈月の間には、大きく分厚い 頑丈な盾だけが、立ちはだかるように地面に突き刺さっていた。


 サミュエルは横目でもう一人の魔術師を見る。


 同型の盾を手にした魔術師、神田川。


 盾は神田川が生みだしたものだった。しかし神田川が両者の間に割り込ませたのは、盾でなく針金。針金は一瞬にして二人の間に入り込み、和川を守る盾に変化した。


「なるほど。手練れは貴様か」サミュエルは拳を握ったまま、盾から距離を取る。「さすがに、一人では不利か」


 園内は遊具が並び、自由なスペースは意外な程少ない。人を超えた速さのサミュエルも、その力は発揮し辛い。


 二人の魔術師は分かりやすい構えは取らず、神田川は盾を、不知火は石を手にして、サミュエル=ジョーンズを挟む。


 サミュエルはジーンズのポケットから一つの小さな球体を出した。それは、藁を丸め固めた、ゴルフボール程の玉。


『〈欺きは弾圧からその身を隠す〉』


 サミュエルは藁の玉を握り潰した。すると、二人の魔術師の視界からサミュエル=ジョーンズの姿が、泡のように消えた。


 それこそ、二人の魔術師が対応しきれない程の早さで。


「不知火!」叫びながら、動揺もなく神田川は盾を構える。


 不知火は一面に『赤石』を、躊躇うことなく撒き、細かな石はその瞬間に砕け、粉のように辺りに散っていく。


『今ここにある光を、我に映らぬ闇へと導け――〈索敵サーチ〉』


 不知火は、目の前から消えたサミュエルの姿を魔術で捕捉しようと試みた。発動までの早さは優秀な魔術師の証。探索用魔術は瞬時に効力を生んだ。


 が、姿を隠した魔術師にとって、その魔術発動の時こそ好機。不知火の、隙。


 直後。強烈な拳が、誰もいない筈の背後から、不知火の体を貫くように放たれた。


「うっ……ぐああっ!!」


 鈍い音が響いた。重たい衝撃が不知火を襲う。肺からは空気は一気に吐き出され、唸るように上げられた声は擦れてしまう。


 咄嗟に反撃をしようと体を捻り背後を見るが、不知火の目がサミュエルを映したその瞬間に、サミュエルはまたも姿を消してしまった。


「くっ……やはり駄目か」神田川は、やはり、と言った。


 それは、今の状況も織り込み済みだったことを意味する。


 サミュエル=ジョーンズは、自身が身を隠す遊園地から魔術師を遠ざける術を持っていた。それはすなわち、人払いや、それに類するなんらかの魔術を有し、それを得意としているということを意味している――そう神田川も不知火も考えていたのだ。


 対抗策はいくつかあった。その一つが〈索敵サーチ〉。魔術の僅かな痕跡から術者の存在を追う魔術だが、それも、嘉多蔵亜里沙捜索の段階で使用し、この遊園地を感知できなかった前例がある以上、効果は期待出来なかった。


 不知火は地面に叩きつけられるように倒れながらも、慌てることなく腰元の袋から赤石を掴み、一気に撒いた。


『紛れ込む異物を選別せよ――〈魔女狩り〉』


 詠唱。反応を示すように宙を舞う赤石が輝く。見えない敵、サミュエル=ジョーンズを捕らえる為の、次と一手を打つ。それも、いくつも重ねるように。


『灼熱は熱の在り処を知る――〈ゆい〉』


 同系統の魔術を思いつく限り。


『降り注ぐ矢は逃げまどう罪人を赦さない――〈矢の雨檻あまおり〉』


 三つの魔術は全て、索敵さくてき用のものだった。サミュエルの姿を捉え、その存在さえ確認出来れば、あとは数の暴力でも何でも、とりあえずは何とかなる。


〈魔女狩り〉は、姿を透明にさせるなどして身を隠す魔術に効果を発揮し強制的に姿を現せることが出来、〈火の結〉は人の体温に反応する為に汎用性が高く、〈矢の檻〉は人の視界から外れる魔術には効果絶大で、対象範囲は狭いが確実性は高い。


 それだけの物を放った、筈なのに。


「!?」不知火は体を起こしながら、思わず感情を顔に出してしまった。


 反応はあった。確かに、三つ全てが敵の存在を捉えた。なのに、


「何故、姿も気配も感じられない――」疑問が脳天を衝いた。


 その瞬間だった。


 またも背後に、サミュエル=ジョーンズの気配が忍び寄った。いや、気配ではない。不知火の目に確かに敵の姿が映る。

 つまり、敵は不知火の背後ではなく――、


「神田川さん! 後ろ!」


 神田川は死角を取られる。


 サミュエルは、身を隠すものがない場所から急に姿を現した。拳を盾のない背後へと叩きこむ。


 神田川は振り返ることが出来なかった。いや――振り返る必要など、なかった。


 ガッギン! という音と共にサミュエルの拳が殴打したのは、神田川の体ではなく、またも分厚い盾だったのだ。


「チッ!」舌打ちと共に、サミュエルはまたも二人の視界から消える。


 神田川は、背中に数本の針金を張りつけていた。自分の背に、敵意のある魔力が向けられた時、誘発され、すかさず盾が背を守るよう、仕掛けを施して。


(さすがに余力を残すなんて考え方は甘すぎる、ってことか……!)


 不知火は心で呟く。


 魔力温存に意識を向けていた不知火だったが、余力を残すだけの余裕は、敵の前では通用しない。不知火は赤石を周囲に撒いた。防御魔術の構築だ。


 防御魔術にはリスクがある。いつ襲撃があっても対応できるように常に準備をしていなければ意味がない、というのが問題なのだ。コンセントが刺さったままの電化製品に待機電力が流れ出るのと同じように、魔力も無意味に垂れ流される。


 個々の魔力には限度がある。温存したいと思うのは、あまり可笑しな話ではない。


 だが、いつどこから攻撃があるか分からない状況に警戒心を高めるばかりでは、対処の余裕もなくなってしまう。これでは数的有利があろうと優勢とは言えない。


 敵には『姿を隠す』という圧倒的アドバンテージがある。ならば、思案する時間と余裕の確保の為、魔力を垂れ流したとしても、決して無意味ではないだろう。


 不知火は防御魔術を自身に掛けた。消費される魔力は、極力抑えるようにした。これで思案に余力を注げる。


(あれだけの魔術を以ってして見つけられない。だが反応だけならあるんだ。

 もしも自らの姿を消す魔術で僕らの目を欺いているのなら、必ず何らかの変化が生じる筈。何も起きていない今考えられるのは、焦点を外す系統の魔術か。しかしそんなものが魔術師相手にここまでの精度で使うことが可能なのか。どんなに強力でもここまでの効力があるとは思えない。良くて一瞬誤魔化せる程度だろうしそれに、仮にそうだったとしても、〈矢の雨檻〉が捉える筈)


 警戒を怠ることなく、しかし考えることに重きを置く。


 ありとあらゆる可能性がある。あるからこそ、行き着く答えは無限に近い。


 例えば、単純に姿も気配も消し続けられる強力な何かなのか。

 例えば、姿を見せたとしても、不知火らが認識する前に瞬時に体を消すことが出来るのか。

 例えば、そもそもここに姿はなく、遠隔地から攻撃のみを行っているのか。


 実際に可能かどうかが問題なのではなく、可能性としてあり得なくはない、というだけでも、魔術師相手では考えに入れておかねばならない。


(姿が見えない以上、僅かでも見えるその瞬間が反撃の好機。だが、僅かの間に何が出来る)


 不知火は周囲の気配に集中するが、五感や第六感で分かるのならば悩む必要もない。


(反応はある。ということは、間違いなくこの場所にサミュエル=ジョーンズはいるんだ。なのに何故僕らには見えない……)


 遊具がつくりだす僅かばかりの死角も、巨体を隠す程のものはない。


 目に見えるものに惑わされ、見えないものに翻弄される。


 不知火は赤石を腰元の袋に手を入れながら、


(少なくとも、受け身では解決は見えないな)


 数粒ではなく十数粒を掴む。赤く透き通った石に魔力を籠めた。


「神田川さん、ご協力をお願いします」

「承知した」


 神田川は不知火の真横に張り付き、魔術発動の為の隙が生まれる不知火をカバーする態勢をとり、抑止力として機能する。


『罪を清める灼熱、弾け、散れ――〈烈火インフェルノ〉』


 詠唱を終えた瞬間、不知火を中心とする半径二メートルを囲むように炎の壁が生まれた。炎は爆音を轟かせ、空気を焼くようにバチバチと鋭利な音で、灼熱を演出する。


「どうだった」炎の壁に守られた内側で、神田川が問う。


「分かりません。全ての索敵魔術に引っかかりましたが、満足いく効果が目に見えません。こちらが考えていた以上の魔術を使っているとしか……」


「そうか。この魔術はどれだけ持つ?」


「後先考えなければ数時間」


「そりゃあ心強い。が、それでは意味がないな」


「はい。ですが、」と言いながら、不知火はまたも赤石を手に取った。今度は数えきれない程の量を、力士の塩撒きのように、炎で囲まれた場所に撒く。


「おい。そんなに石を使って大丈夫か? それがないと魔術は使えないんだろう」


「大丈夫です。予備はいつでも取り寄せられます」


 不知火は時間的余裕のなさに焦る心を、揺らめく火で落ち着けながら、赤石に魔力を流し込むことで明かりを灯す。


『〈Ignis Veritas Halcyon 炎よ、真理を見よ、幻を打ち破れ〉』


 炎の中で、より強烈な『赤』が燃えた。


 赤石の輝きに呼応して、炎は螺旋階段のような形へと変化し、渦は不知火を中心して燃え上がり、熱を放射する。


「なんの魔術だ?」


「発動されている魔術の根源を強引に見つけ出すものです。探索魔術では最上位で、どんなに姿を消そうと、視線をずらそうと、その魔術自体を術者から引き剥がします。その発動条件は炎による『熱』。その為の〈烈火インフェルノ〉です。魔力を大量に消費するので不発に終わると厳しいですが、長期戦は好ましくない以上、これしかないかと」


 不知火は目を閉じた。防御も兼ねた炎は、操られるように滑らかに空中を踊る。蛇のようにうねりながら、龍の頭部にも見える炎は辺りを見渡すように旋回を繰り返す。


 一本の柔軟な火柱が、数十に枝分かれし、さらに、その全てがまた数十に分かれ、遊園地内のあちこちに散って行く。


「これは……?」


 不知火は眉根を寄せた。想像から乖離した光景が目の前に広がったからだ。


 本来ならば、縦横無尽に動き回る炎は姿を消している魔術師の元へと一直線に進み、龍の頭部が魔術を食らい尽くす。そういう魔術を不知火は使った。


 だが、炎は糸のように細く分かれ散り散りになり、複雑に絡み合いながら、しかし明確な目標へと向かっていく姿はさながら巣へと餌を運ぶ親鳥のよう。


 ――それが何を意味するのか。


「莫大なコストを支払ったんだ……大した成果もあげられず不発なんてことになったら洒落にならない」

 そう呟きながらも、術者の不知火にはもはや進むべき道は見えていた。


「神田川さん。自分の力を、多少過信してもよろしいでしょうか?」


「謙遜するなとだけ伝えておこう」


「感謝します」


 不知火は廃れた遊園地内を回遊する糸状の炎を見回しながら、


「ざっと数えて――くらいか……、手間のかかることをしたものだ」


 腰元の茶色い袋に入れられた赤石を僅かに残して、それ以外は宙へと投げ放つ。


『〈水脈を辿れ、灯火よ伝え、戦慄は灼熱の彼方に〉!』


 赤石が砕けた。粉々になり、空気と混じるように風に流される。


 細分化され糸状になったせいか、魔術の根を食らい尽くせぬまでに弱体化した探索魔術最高位の炎に、不足を補う形で火が伝っていく。


 赤外線センサーの警備システムのように張り巡らされた炎の糸が、か細くも猛々しい炎の龍へと灼熱を進化させる。


 そして、


「さあ、食らい尽くせ、種明かしの時間だ」

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