灼熱は真実を捉えるのか 3
耳を劈く金属音は、人の鼓膜に甚大なダメージを与えるには十分だ。ただしそれは、一般人の常識に照らせば、という条件が付く。
滝公園の駐車場。日本魔術協会に所属する魔術師、神田川と、謎の襲撃者の衝突は、常人の目には追えない形で展開されていた。
黒髪に黄色いメッシュを入れた襲撃者は、その手に赤い短剣を持ち、ありとあらゆる角度から凶刃を神田川に向ける。
対する神田川はその手に盾を、持つのではなくかざして、浮かせるように操っていた。
二人の魔術師が交わる度、刃と盾は力強くぶつかって衝撃を生む。くしゃみ一つで傘が壊れるような、違和感のある光景ではあった。
しかし魔術師同士の戦いは、一般の常識では語れない。
防御に特化している筈の盾は、持ち方一つで凶器に変わる。盾自体に持ち手はなく、浮かせることで操るため、面の部分だけを使うのではなく、側面も、角も、時に鈍器として攻撃用に変化する。
それは、何度となく敵に振るわれた。襲撃者がほんの僅かでも隙を見せたなら、それは神田川にとっての攻守切り替えのサインに他ならない。
短剣を頑強な盾で弾き、よろめく襲撃者に対し神田川は盾の構え方を攻撃用に変える。
神田川は腕を力強く薙ぎ、側面を襲撃者にぶつける。
一瞬の隙は命取り。だが。
骨を砕き臓器を潰すその一撃は、しかし襲撃者の体に致命傷を与えない。刀身の赤い短剣が体と盾との間に入り、そこに何らかの魔術的補助を付与し、衝撃の多くを吸収した。
「やるじゃないか」
思わず神田川も唸る。が、間髪を入れることはない。
右手の盾を瞬時に防御用に構えるが、用途は攻撃。タックルのように、機動隊の突入のように、盾ごと相手に突進する。
真横からの攻撃に対処したばかりの襲撃者は、瞬時に迫る正面衝突に、対処が遅れた。戦闘が始まってたった二分。たった二分でも、極限状態の戦闘は体力を削る。
低い体勢からの盾という名の弾丸。それを防ぐ力は、既に襲撃者から失われていた。
重苦しく鈍い音が、襲撃者の体から鳴り響き、襲撃者の体は、十数メートルの距離を、重力を無視して投げ飛ばされる。
アスファルトに転がる襲撃者の口からは血が吐き出され、携えていた赤い短剣は消え、そして、既に意識は失われていた。
――おかしい。
そう思ったのは他でもない神田川だった。
「ここまで手ごたえがないものなのか」
あまりにもあっけない最後を迎えた襲撃者の弱さ。これには、さすがに首を傾げたくなる。戦闘経験はあるように見えたが、体力も魔術師としては不足しており、なおかつ、魔術師としての力は皆無といっていい。
「短剣を精製する魔術を使っておきながら、『近接戦闘特化』の魔術師として必要な、自身を強化する魔術の質が悪い。たかが一撃で伸されるとは、柔にも程がある。守りが苦手だったのかもしれんが」
別に、ただの誘拐犯ならばここまで考える必要もないのだが、問題は、
「こいつが、嘉多蔵嬢の護衛二人を伸したとは思えんのだがな。この男はあくまでも足止めか、それとも、ただの小間使い」
本命は……、
「別の奴、か」
その時だった。
無人だった筈の背後に迫る気配が、神田川の背筋を震わせた。神田川は手にしたままの盾を構えながら振りかえる。
そこには、
「神田川さん! ご無事でしたか」
と、見知った顔と声が、二人。
「おお。不知火か。あと……、和川の坊主」
「ぼ、坊主!? あなたより髪の毛ありますけどね!」
夏服を着た少年はげんこつを一発頂戴した。
神田川に声をかけてきたのは、同じく、日本魔術協会の中部支部に所属する、二人の若い魔術師。不知火オーディン大和と、無礼にも程がある和川奈月だった。
「お前達も嘉多蔵嬢の捜索か?」
「ええ。先程到着した所なんですが、どうもこの公園は広すぎて。ここから東側に反応ありとのことでしたが、魔術による索敵に引っかからず」
「なるほど。手掛かり一つないのは、厄介だな」
手掛かり、といえば。
「とりあえず一人襲ってきた奴は潰したが」
と言った神田川に合わせて、和川と不知火もそちらに視線を送る。血の色に染め上げられたピクリとも動かない人間を見たら誰しもがこう思うだろう。それは和川も例外ではなく。
「死んでないですよね? あれ」
「知らん。本気でいったつもりはないが、単純に弱過ぎて、色々吐かせるつもりが一撃であのザマだ。手掛かりにもならん」
神田川は盾の魔術を一度
「不知火、お前なら何か抜きとれるんじゃないか。あいつが護衛についていた二人を倒せるとは思えない。少なくとも協力者の一人や二人はいるだろう。死んでいたら大仕事だが、あれくらいで死なれちゃ魔術師とは呼ばない。脳味噌が死んでいなけりゃ、お前なら出来る」
不知火は息を深く吐いた。
「僕はそういうの、嫌いなんですが」低い声を喉から零す。
「嫌いでも何でも出来るのはお前だけだ。怨むのなら、出来てしまう己の才を怨め」
神田川の言葉はいたって冷静で、不知火の表情は、曇っていた。
「大和……?」
和川はよく分かっていなかった。だからこそなのか、神田川からは、
「坊主、お前はこの辺りを捜せ。時間は有効に使わないとな」
「え、神田川さんは?」
「俺はこいつを見届けてから、見習い二人を回収して、救急車に乗せてくる。いいから、お前は少し離れていろ」神田川は言葉をさらに強めて和川に投げた。
「僕は大丈夫だ……、どうも、神田川さんは逃がしてはくれないらしい」
そう言う不知火に意識を向けながら、和川はその場を離れた。
不知火らから和川の姿が見えなくなると、不知火、神田川の二人は、血だまりに倒れる襲撃者に近付き、すぐ側で膝を着いた。
「本来は使ってはいけない魔術ですよ」
「構わん。緊急事態に後生守るべきルールなんぞそう多くはない」
「心に傷が残ります」
「あまり他人に気を使いすぎると寿命を縮めるぞ」
「そうですね。今日でまた数ヶ月は縮みそうです」
不知火は、腰元にある茶色い袋の中に、指先を入れた。そこには、細かく砕かれた赤く透き通った石が数えきれないくらい詰め込まれている。
「神田川さん。補助、お願いしてもいいですか」
「どうしたらいい?」
「彼が意識を取り戻しそうになったらすぐに気絶させてください。そもそもが拷問用ですので、彼の心がおかしくなってしまいます」
「了解した」
不知火は額の汗を拭い、袋の中から細かな石を軽く一握りして取りだした。手にした赤い石は、仰向けに倒れる襲撃者の腹部に落とされる。
大きく、大きく、不知火は息を吐いた。
「いきます」
すると、襲撃者の腹部に落とされた数粒の細かな石が、淡く、それでいて強い、まるで水に沈められたLEDライトのように真っ赤な光を放って、周囲を染めるように広がった。日光すら遮るように漂いながら、その光の中心はより濃く、その深さはさながら血の色だ。
不知火は瞳を閉じた。
鮮血の如き輝きを放つ石に手をかざし、喉を鳴らしながら、静かに、低く、魔術の発動に必要な『言葉』という枠組みを、詠唱という形で放つ。
『真実よ重なれ』直後、爆ぜるように血が飛散した。襲撃者の吐血だった。『拷問術――〈
不知火の言葉を鍵として、その力は開かれる。
対象者の記憶に強引に入り込み、意識をシンクロさせることで情報を抜き取る魔術だった。
本来の用途は、対象の記憶に介入し乱すことで当人の自我を崩壊させ懐柔させる、拷問魔術。それ故に禁術で、それ故に扱う者もいなければ、扱うことが困難な魔術。他者の記憶に介入することは、術者にも大きなダメージを負わせることになるからだ。
しかしそれが、不知火オーディン大和には出来てしまう。望んで得たものではないとしても出来てしまう。
数分の沈黙の後。
「僅かですが、見えました」
不知火はそう言うと、赤い石から放たれる光を徐々に周囲から消していく。
しかしすぐさま、
「治療に入ります」
このままでは襲撃者は命を落とすだろう。大量の出血をしたからだ。不知火は懐から再び石を取り出して、襲撃者の躰へとかけていく。
不知火が手をかざすと石は光り、辺りはまたも赤い靄がかかる。
『その名は絆 その名は糸 繋げ 纏え
ものの数分。不知火の力が襲撃者の青白い顔色が血を取り戻したように赤らんだ。
「さすが天才と言ったところか」神田川は感嘆した。「で、何をしたんだ」
「足りない血液を、彼自身の魔力で誤魔化せるようにしました。彼が力尽きさえしなければ、出血が原因での死は免れるでしょう」
「ほう。俺にはちんぷんかんぷんだ。世界が違う」
神田川は冷静さを欠かないでいるが、不知火の方はといえば、言葉は少しずつ喉で詰まり苦しそうだった。
魔術は万能ではない。だからこそ人がその足りない部分を補う。それはつまり、通常の医療と同じで、執刀した医師の腕に個人差があるように、不知火自身の技術がものをいうのだ。術者に依存する部分が大きい分、術者への負担も大きい。不知火は息を切らし、全身から流れる汗に気色悪さを抱きながら、へたり込むように地面に腰を落とした。
「ちゃんと医者には診せた方がいいと思います。この程度の時間で出来る医療魔術は、応急処置の精度を高めた程度が関の山。結局は手術と同じで、本来相当な時間を要するものですから」
「ああ。分かっているが、手負いとはいえ魔術師をこのまま救急車に押し込む訳にはいかんからな。事件解決を見てからになるだろう」
「……そうですね。ということは、見習い魔術師二人も?」
「ああ。和川にはああ言ったが、落ち着くまではその辺りに寝ていてもらうことになるだろうな。助けてはやりたいが、時間がない。で、手掛かりは見えたか?」
不知火が危険な魔術を使用したそもそもの目的は、嘉多蔵亜里沙を連れ去った者の情報を得ること。だからこそ、記憶を抜き取る魔術を用いた。
「この男は、恐らく何も知りませんね」
「どういうことだ?」神田川は訝る。
「組織の一員とかではなく今回の件で雇われただけの魔術師のようです。はっきりとはしませんが、拉致、誘拐、我々の足止めだけを依頼された、ということだと思います」
神田川は嘆息した。
「さすがに意識のない人間から取り出せる情報はそれだけ、ということか」
「いえ」
不知火はきっぱりと否定した。
「重要参考人と目される人物の名前と顔は、はっきりと」
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