幕間 1
どうにも納得はいかないが、仕方がないと言えば仕方がない。
あまりにもごちゃごちゃとしたビル群と、そしてそこを行き交う吐き気すら催しそうな程の人波。一人きりで立ち向かうには少しばかり難敵だった。
田舎で暮らす涼風は、平日の真っ昼間の騒々しい都会がすこぶる苦手で、というか、とにかく都会そのものが好きではない。出来ることなら同僚に押しつけたかったのだが、どうも彼女の周囲にいる人間は皆喧騒を好まない者ばかりで、遺憾ながらこの地へ足を踏み入れた。
涼風和奏は方向音痴の嫌いがある。
目的地は、どこだったか。
携帯端末を片手に、目的地を設定したナビを起動するが、読み方が分からない。携帯端末をくるくると回しながら、今向いている方向が一体どこなのかを探っている最中である。
どうも見当違いなところに来ているらしいということは分かっているのだが、じゃあここからどうすればリカバリー出来るのか、が分からない。
「はあ」
涼風はため息をついた。涼風は人見知りだ。道が分からない程度で、誰かに聞こうとする選択を、最後の手段と位置付けるくらいには。
「仕方ない、か」
覚悟を決め、涼風は、いかにも優しそうな人を行き交う人の中から選んで「すいません」と声をかけるが、度胸のない少女の呼びかけなど、生き急いでいるかのように早足で街を行くオフィスレディには届く筈もない。ただ聞こえていないだけで通り過ぎて行く女性を、涼風は無視されたと解釈し、必要以上に落ち込んだりした。
「あ、そうか」と呟くと、涼風は一枚の紙切れを取り出して、目を閉じ、ブツブツと何かを言い始めた。
涼風の近くを通り過ぎる何人かは、奇異の目で涼風を見るが、本人は気にも留めない。
「あの涼風ですけど」
周囲には聞き取れない程小さな声で、電話をしているかのように話し始める。が、可笑しな感覚があった。
「あれ? おかしいな……松来さんに通じない」
何度か呟いてみるが、どうやら今の行動がもたらす筈の結果に辿り着けていない様子。
涼風は紙切れをポケットに押し込んで、手元の携帯端末に再び目を向ける。今度は電波を使った回線でどこかにコンタクトを取ろうとするが、それすらも繋がらない。
「うーん。どうしよう。このままじゃ迷ったまま……、はあ。うちみたいな若造が遅刻でもしようものなら、怖い大人達からのお説教……一つや二つは免れないんだろうなぁ」
と小さく言うと、
「それに比べれば、都会人に声をかけて道を訊くくらいどうってことはないよね。ね!」
ブツブツと自分の弱さを言葉で固めて、
「よし、次は高校生くらいの子にしよう。それならあのOLさんよりは立ち止まってくれる可能性が高い……筈」
忘れてはいないだろうか。今日は平日で、今は真っ昼間で、歩いている人間の多くは生き急ぐかのように忙しなく動き回る社会人ばかりだと言うことに。そしてここが、彼ら彼女らの本拠地、オフィス街であることに。
そのことを涼風は、きっと一人では気付くことが出来なかっただろう。
そう、一人では。
「馬鹿かお前。こんな場所に高校生がいるわけないだろ」
背後からの声は、涼風にとってはとても聞き慣れた声だった。
振りかえると、チョイ悪親父として一時期メディアで取り上げられていたような男が気だるそうに立っている。
「
柿原と呼ばれる、スーツ姿の男は、携えた顎髭を弄りながら、涼風を見下ろして気の抜けた低い声を響かせる。
「お前を探してたんだよ。ったく、一緒に来たのになんでお前はこうも簡単にはぐれるかね」
「す、すいません……、一応連絡は試みたんですが……」
「ああ、何故かは分からんが、どうやら回線が繋がりにくいみたいだな。ま、その辺は後々訊けば原因が分かるだろ。別に混線は珍しいことじゃないからな」
「先生の携帯にも掛けたんですか……」
「わり。電源切ってた。ってか、今日は切ってなきゃ駄目だろ」
「そういえばそうでした。携帯の意味ないですね」言いながら涼風は携帯の電源を落とした。
「んなことより、とっとと本部行くぞ。遅れて怒られるのは俺なんだ」
と、その柿原のその一言に、涼風の眉がピクッと動く。
(そうか……、遅れて怒られるのはうちじゃなくて、『上司』である柿原先生なのか……)
だったら遅れてもいいかと言われたらそれは違うが、そんなに焦らなくても良かった、と思うと、ちょっぴり頑張ろうとした自分が少々バカバカしくなってくる。
にしても、だ。
(混線は珍しくないとは言っても、なんで今日に限って通信札、繋がらなかったんだろう。これまで繋がらないとさすがに困るんじゃ……)
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