非日常の足音 2

 日本魔術協会、中部支部。


 魔術師の松来は、小狭いオフィスの一画で対応に追われていた。


 情報が乏しい中で分かっているのは、日本魔術協会の上層部に当たる理事の孫である、嘉多蔵亜里沙、小学三年生の八歳の女の子が、何者かに連れ去られたということ。


 犯人は護衛についていた見習い魔術師二人を撃破し、大勢いる子供たちの中から協会理事の孫だけを誘拐した。何も知らない一般人の仕業だ、と言えるような状況ではない。


 つまり、今回の犯人は、魔術師。もしくは、魔術師の存在を知る何者か。


 愉快犯か、魔が差しただけの変態か、もっと凶悪で厄介な何かか。


 確かなことは、嘉多蔵亜里沙に危険が迫っていて、それは並みの事件とは次元の違う所で蠢く不吉な闇であるということ。


(早く、一刻も早く助けなくては……!)


 松来は焦った。


 自分でも、この警護には大きな意味を見出していなかった。


 和川や不知火に偉そうに能書きを垂れても、それは空っぽな理屈でしかなく、ただの業務連絡の域を出ない、酷く冷徹なものだった。


 もし、もっと考えていれば。医療施設の掃除なんて明日でも明後日でももっと後でも良かったのだから、今日だけは、一人の女の子を守る為の選択をしていたら、させていたら、もしかしたら救えたかもしれないのに。


 後悔をしても始まらないのは分かっている。


 だが、頭の中にこびりついた『救うことが出来た可能性』が感情を落ち着かせてはくれない。


 とにもかくにも、まずは捜索と救助。松来は今動ける魔術師に連絡を送った。


 緊急事態に、日本魔術協会本部にもすぐに現状の報告を行おうとした。


 だが。


「なんでまた今日に限って」と、松来は悪態をつくように頭を抱え掻き毟る。


 今日は、協会本部が一時的に『その機能の大部分がいつも以上に稼働しない一日』だった。本来ならすぐにでも連絡が取れて、すぐにでも駆けつけてくれるであろう応援も、今日に限っては頼れないかもしれない。


 通信札にも混線はある。いつも以上に活動の鈍い協会本部に通信が集中でもしているのか、松来の通信札は着信者に届かない。


 中部支部所属の魔術師も、いつも以上に少なかった。


 支部に残っていた数名はすぐに動き始めたが、そもそも地方に駐在する魔術師の数は本部に比べて少なく、その上今日はその多くが本部に出向いていた。それは地方支部にしては人員の多い中部支部でも同様。本部所属の魔術師も含め、通信は現在不可能。


 いつどうなるか分からない危険な状況で、万全の態勢を敷けないことが歯痒い。松来も、すぐにでも動き出したかった。だが、今自分が動くことは、情報の収集役が不在になることを意味する。迂闊に動けば、今後に対応できないこともあり得るのだ。


 頼れるのは何か。出来ることは何か。今、すべきことはなんだ。


 その時だった。


『松来さん! 松来さん!』


 自分の名を叫ぶ声が、一枚の通信札から響いた。


 もしかしたら、今回の事件を未然に防げたかもしれない、防ぐことのできる場所にいられたかもしれない魔術師の名前が、紙に刻まれる。


 松来はそれを荒々しく掴み取って、焦りを隠さずに声を返す。


「どうしたの和川くん!?」


『俺達も動きます』


 一点の光明だった。


「動く? 君達がかい」


『そう言うことです! で、現場は?』


「現場、って、滝公園たきこうえん、だけど」


『滝公園ですね! じゃ、とりあえずそこに向かいます!』


「ちょっと待って!」


 流れるように話が進み、流れるように通信を切られそうになる一歩手前で、松来は和川を止めた。


 松来の脳内には、とあるイメージが浮かんでいた。それは、とても明確で、この場所からは本来見えない景色。


 ――通信札。それは、ある特徴を備えた、魔術師が扱う術具の一つ。


 その特徴とは、『発信者』の位置情報を正確に、はっきりと『着信者』の脳内に伝えてしまうこと。発信者の見ている景色かもしれないし、衛星写真のようかもしれない。が、見え方というのは、着信者や、その着信者の居場所によっても変わってくる。だが今回に関しては、発信者である和川がこの通信をしている間に見ている視界そのものが、リアルタイムで松来に流れ込んできているのだ。そして、そのイメージはもの凄いスピードで景色を駆け抜けていた。


「和川くん、今君がしようとしていることは何か分かっているのかい」


『もちろん。少女救出でしょ!』


「確かにそうだけど……」


 松来は一度、伝え方を考えてから、


「相手は魔術師である可能性が高い。護衛の二人の見習い魔術師が負けたんだ。意識を失う直前に僕に報告してくれたけど、かなり消耗しているようだった。一筋縄じゃいかないかもしれない。しかも、相手にはお孫さんという人質がいる。間違いなく、こちらの動き方は制限させられる。さらに言えば、今回はまだ情報が圧倒的に足りない。相手が身代金でも要求してくるタイプの人間なのか、我々に何らかの恨みを持って危害を加えようとしているのかすら分からない」


 その上で、


「君達に任せても、大丈夫ですか」


 いらぬお節介、とか、そう言うものではなく。


 単純に、自分の選択の過ちの始末を押しつけてしまっていいのか、というところで。


『何言ってんですか』


 力強い言葉が返ってくる。


『ちゃんと責任果たします。何があっても、助け出して見せますよ!』


 責任。


 彼らは彼らで、後悔をしたのかもしれない。


 自分は、松来は、彼らにとって、先輩魔術師だ。責任というのは上の人間が担うものであって、若い人間が過剰に背負うべきものではないと松来は考えている。


 しかし、


「ああ、お願いするよ。分かり次第情報は送る。後は、任せたよ」


 そう言うと、通信札からの声が途絶えた。頭の中にあるイメージも、水飛沫のように散っていった。最後に和川は『うっす!』と、とても先輩への言葉づかいとは思えない一言で通信を切った。


 そういうところから見ても、彼らの若さの勢いは、まだまだ未熟だ。しかし不思議と、彼らの言葉からは、情けなさや弱さといったものは感じられなかった。


 きっとそれは、松来が、彼らの強さを知っているからで、彼らの強さを信じているからだ。


 和川奈月と不知火オーディン大和は、その責務を全うするだろう。投げ出すことなく。


 後輩の魔術師に、大きな重荷になりかねない仕事を押しつけて、松来は、今自分がすべきことに取り組む。


 それはつまり、彼らの助けとなる情報。嘉多蔵亜里沙を無事に保護するための道筋。


 和川奈月と不知火オーディン大和と、数名の魔術師は、全力で少女を探す。


 いや、居場所は分かっているのだ。


 滝公園。


 そこは、少女の通っていた小学校が遠足に向かった場所。


 嘉多蔵亜里沙の位置情報は、そこを確実に示したままだった。

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