日常から 2
背の低いテーブルには長方形の白い紙切れが一枚。縦二十センチ、横は五センチ程度のものだった。
「時間だ」
不知火がそう言うと、真っ白な紙にインクが滲むように文字が浮かび上がった。
『日本魔術協会 中部支部』
それを見た和川は、
「はあ、今日はどんな仕事を押しつけられるのやら」と呟いて、一枚の紙に向かって、気だるそうな声を送る。「はい、こちら大魔術廃絶部」
すると、ただの紙切れだった筈のそれから第三者の声が響いた。
『ああ、和川くんですか。ご苦労様です。
二人には聞き慣れた声だった。
――
一枚の紙切れは遠くの魔術師と繋がって、携帯電話などなかった時代から魔術師の声を通わせていた。『
その通信札から聞こえた声の主、「松来」というのは、二人が所属する魔術結社『日本魔術協会』の中部支部に所属する先輩魔術師の名前だ。和川や不知火から見るといくらか年上だが、いかにもな先輩風は吹かすことのない、優しげな声の持ち主だった。
『不知火くんも一緒ですね』
「はい」不知火は返事をした。
『じゃあ早速ですが、お仕事のお話を』
無駄話などはなく、松来はいたって冷静に、業務連絡を行う。
和川は、松来に聞こえない程度に嘆息した。
『とりあえず選択肢を与えたいと思うんですが』
「選択肢ですか?」不知火は訊き返す。
『はい。二つ。協会と協力関係にある医療施設のお掃除と、協会理事のお孫さんが通う小学校の遠足の警護、どちらがいいですか』
おい、聞くのか? どっちも嫌だよ、雑用じゃねえか。と思ったのは、なにも和川だけではない。
「あの、松来さん……、それは、我々がすべき仕事なのでしょうか?」不知火にも不満はある。
『そう言われてもね、不知火くん。大魔術廃絶部、っていう特殊な部署になかなかお仕事はないんだよ。でもたまにはお仕事を割り振らないと、実績が何一つない部署ってことで君達の居場所がなくなるかも知れないでしょ。なら今あるお仕事を少しでも多く回して、君達にも仕事があるんだってことにしておかないといけないんだ』
「だとしてもです。せめてもう少し魔術師として有意義なものを」
『お世話になっている病院のお掃除も、理事のお孫さんの警護も、立派で重要な魔術師のお仕事ですよ』
いや、確かにそうかもしれないが、
「それは、今中部支部にある仕事の中で、最も優先すべき項目ですか?」
不知火の問いに、
『最も、と言われると、違うかもしれない。でも、仕事の大小でやるやらないを決めるような人には思えないな、不知火オーディン大和くん』と、松来も応戦する。『例えば、だよ?』
説得する気を声色に乗せつつ、松来は諭し始める。
『君達が危険な任務に身を投じ、それによってその躰に大きな傷を負った時、ただの怪我や病気でなく、魔術によってその命に危機が生じた場合、普通の病院で見せたって治してはくれないし治せないかもしれないし得体の知れない患者は入院だってさせてくれないかもしれない。そういう場面で協力してくれる医療機関の存在はとても大切なんだ。事情を知ってくれている存在がいるということは言わば保険みたいなもので、絶対になくてはならないかと言われると微妙でも、あって損することはないし、いざという時の為に必要になる。保険料というものがあるように、そういった施設にこちらも何らかのものは払っておかなければいけない。それはお金かもしれないし、そうじゃないものかもしれない。今回の場合は清掃活動。この行動が保険料の代わりになってくれる、という考え方だってあるんだよ』
長い。
「いや、ですが……」
『例えばだよ』
((まだ続くの!?))
『理事のお孫さんというのはデリケートな存在だ。協会の上層部の関係者、特に血縁者ともなると、テロリストが人質にしようと連れ去るかも知れない。そりゃあ大人は何とかなるかも知れないよ。護身術用に魔術を習得している人も少なくない。でもお孫さんは八歳の小学生。自分で自分の身を守るなんて出来ると思うかい。断言しよう、無理だ』
「ですが、確か遠足などで学校を離れる場合、護衛として見習い魔術師が付いて行く筈――」
『そういうことを言っているんじゃないんだよ不知火くん』
「え?」
『そうさ、遠足なんだよ。遠足では広い空間で縦横無尽に走り回るお子さんを守らなきゃいけない。だからと言って他の子達もいる中でお孫さんの周りをビッチリガードするわけにもいかないから、離れた所からしか守ることが出来ない。思い浮かべてごらん。怪しい男達が遠足中の小学生達の近くをずっと付いて行っている様子を。通報、事情聴取、とりあえず交番まで、署に連行、逮捕。流れるようにブタ箱行きだよ。その点君達は学生だ。まだ若い。怪しまれるどころか小学生に混じって良いお兄さん的ポジションで仲良くなり、お孫さんをすぐ側で守ることも出来るかもしれない』
「僕ハーフですよ」
『だからなんだい?』
「むしろ事情聴取の回数なら誰よりも多い自信があります」
『それはハーフだからというよりその格好のせいじゃないかと思うんだよね』
和川は聞きながら、その一言には大きく頷いた。
上から下まで見てみれば、まずは金髪から突っ込んでいこうか。いや、これは生まれつきなのだから仕方ないとして、服装だけはどうにかなるんじゃないのかと和川は思う。
不知火の容姿というのは、正直、日常で見掛けたら全力で目を逸らして逃げ出したくなるだろう。これが漫画ならば、小さい子供が「ママーあれなぁに?」と無邪気に指を差し、母親が制止しながら「見ちゃいけません」なんてもはや見飽きた流れになることは間違いない。
足下まで覆う真っ黒なコートは不審さを助長し、軽そうな素材には見えない所からも怪しさが漂う。腰元は白いベルトで締められているせいか、細めの体のラインが浮き出ていた。ベルトには茶色い袋がぶら下げられていて、コーヒー豆でも入っていそうな素材のものだったが、ゴツゴツした中身は重みを感じさせる。そんな謎の服装に、さらに加えて金色の長髪で、片目を前髪で隠しているのだから、これを人は普通とは呼ばない。だったらなおさら、
「松来さん。こいつに病院とか学校とか行かせちゃダメですよ。こいつを見た途端に患者のご老人が倒れるか、小学生が泣きじゃくりますから」
難しいことを言われてもさっぱり分からない和川は、不知火を標的にすることでお仕事回避を目論む。
『……確かに、一理あるね』
「一理あるって……さすがに僕も場は弁えますよ。高校には制服で行っているんですから」
『うーん。でも、子供たちに刺激の強いものを見せるのは気が引けるなぁ……ってことは、病院でお掃除かな』
「刺激の強いって……。しかしそんな簡単に、適当と言うか、雑な理由で仕事を決めていいんですか」
『良くはないけど、うん。まあ雑用だしね』
「「白状しよった!」」
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