序章――日常から 1

 奇怪な建造物があるそうですよ。そう噂されても仕方のないような建物があった。


 しかし、それは噂の域をでることはない。そういうものだからだ。


 都会ではない。かといってド田舎でもない。道は十分整備されているし、道路は片側二車線。だが、高い建物が全くといっていいほど見当たらない。そんな場所が県庁所在地なのだから、間違っても都会とはいえない。


 日本の首都からは、新幹線と電車を利用しても二時間では辿り着けないこの地に、不自然な形をした黄色い建造物がある。あちこちから三角定規のような形をした何かが飛び出したように見える。高さは三階建て程。すぐ近くにある県庁と県警本部庁舎を除けば、辺りで一番高い建物はこれになるのかも知れない。


 この建造物が一体何の為の施設かを知る者は、そうはいないだろう。名を記した物など何一つ見当たらない。


 しかし、ある特定の知識を持っている者ならば、あるいは。


 そう。例えば。


 件の建物を入り、エントランスから階段で二階へ上がってすぐ、道路に面した壁がガラス張りのこのフロアでソファに座り、月刊ウィッチという雑誌を開きながら大欠伸をかく、この少年。


 和川奈月わがわなつき


 冬でありながら夏用の制服、すなわちカッターシャツ(長袖)を着て寒さを実感するほどに冬を愛する和川は、しかし寒さには強くなく、暖房の効いたこの空間で、安息を味わっていた。


「なあ、大和やまと。平日だぜ? 普通に学校サボっちゃってるけどいいのか?」


「なに、僕らの役目を考えれば仕方のないことさ」


 大和、と呼ばれたこの男。


 不知火しらぬいオーディン大和やまと。腰元まで伸びた金の長髪、前髪は右目を覆っているが、左目はむしろ掻き上げられたことによってその茶色い眼光をきらめかせている。


 彼らはここが、『日本魔術協会大魔術廃絶部だいまじゅつはいぜつぶ』という名で呼ばれていることを知る、数少ない存在だった。


「君もそろそろその辺りの自覚は欲しいね。学生である前に、僕らは魔術師なんだから」


 和川、不知火は、ともに高校生で、今日は平日だ。登校しなければならない。それでも、彼らはこの廃絶部に屯し、各々の時間を過ごす。


 不知火は新聞を読んでいる。自宅から持ってきたらしい。


 和川は『月刊ウィッチ』に目を通す。世界中の魔術師御用達の、魔術師による魔術師の為の雑誌だ。もちろん、日本語版である。


 今月のトピックは、『魔術師が選ぶ! 本当に怖い魔術師ランキング一〇〇』だった。


 日本人の名前がほとんど見当たらない。


 ジャック=グッドマン、ケヴィン=ホーク、リオウ=チェルノボグ、ロバート=ホームズ、ジェニファー=ベリー。


 もう訳が分からない。


「これ何基準?」


「実力と思想さ。実力者は単純に力。思想は、実力を伴っていなくとも時に凶器、ということなのだろうね。ちなみに、僕はケヴィン=ホークに一票を投じたよ」


「お前も入れたのか」


「ああ。ケヴィン=ホークの力は桁違いでね、米国魔術協会が手放したくないのも分かるよ」


「ふーん。興味ねえや」


「じゃあ訊かないでくれないか」


 互いが暇を持て余す。だが無論、この二人は意味なくこの場にいるわけではない。彼らには彼らの仕事がある。それを、待っているだけなのだ。


 和川はページを繰る。すると、目にとまった記事があった。


「またあったのか、実験」


 その言葉に反応した不知火は、ため息を吐いた。


「そう。また隣国さ。上はかなり冷や汗ものだったらしい」


「情報がうっすいな」和川の口調は軽い。


「そりゃあ、長々と説明しても君は理解しないだろう? でも実験があったのは本当さ。記事の通りね。協会本部もそのことに関しては公式に発表している、というか、君がこういった情報を真っ先に知らないのはかなり問題じゃないかと思うんだけどね」


 右目を髪で覆い隠した不知火は、片方だけ露わにしている左目を閉じた。おそらくは右の目も閉じている。


「で、君の意見は?」


 そんな質問に、和川はまたも嘆息し、「ったく、また増えていくのか……って感じかな」


 実験。


 それは今、魔術の世界では大きな問題に発展しているものを指している。


 ――禁じられた大魔術。


 それは、所謂兵器だ。


 だが、軍事関連の本を開けば出てくる、戦争に駆り出されるようないかにもな兵器とは一線を画している。魔術と名のつく以上、それがアブノーマルなものであることは言うまでもない。


『禁じられた大魔術』という名の――魔術兵器。


「で、その実験は成功したのか?」和川は問う。


「どうだろうね。米国魔術協会は『今回の大魔術開発実験は失敗に終わった』と発表しているけれど、それが真実とは限らないんじゃないかな。都合の悪いことは隠す。それはどの国でも、どの政府でも、魔術結社でも同じさ」


「相変わらずなくならないな。でっかい脅威ってのは」


 和川が発したその声色はやや軽薄なように響いた。


 ――かつてこの国は、『禁じられた大魔術』の攻撃を受けた。いや、かつて、とするには、まだ早いのかもしれない。


 この国が大魔術の攻撃を受けたのは数十年前のことだった。


 第二次世界大戦の最中、米国魔術協会、当時の米国魔術軍は、開発された新兵器、『禁じられた大魔術』の実験の為、日本の大地に災厄を落とした。


 語り部曰く、視界の全てを奪い去るような光が輝きを放った瞬間、その地に存在した何もかもを吹き飛ばし、建造物の一切合財、人々の命、全てがそこになかったかのように消え去ったのだという。


 魔術により生み出された巨大な力は、辺りを地獄絵図へと変え、一つの命の重さなど忘れ去る程の世界を、一瞬にして造り出した。


 しかしその地獄は、一度だけでは終わらなかったのだ。災厄は二度降り注ぎ、人々の笑顔は陰り、幸せは消え、命は捨て去られた。


 それから数十年の時を経た、今。


 強大過ぎた大魔術攻撃は、後の人間に大きな痛みを残していった。


 後遺症に苦しむ人々が多くいるのだ。地獄の世界から生き残った人々の身体にも、容赦なく魔術の力は入り込み、苦しみという名の魔手を伸ばし続けている。


 語り継がれ継がれて。


 この国にとって、あの禁じられた大魔術の悲劇は、かつてと呼んでいい程の時間は経っていない。


「相変わらずなくならない、ね」


 不知火もまた、低いトーンで喉を鳴らす。


「何を言っているんだい和川。僕らの組織名を、よもや設立発案者たる君が忘れた、なんて言わないだろうね」


 和川は眉間にシワを寄せる。


「大魔術廃絶部……か」

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