第8話*紫陽花*

 六月に入り、やっと夏服に変わった制服で真空を待っていた。

 袖が短くなったぐらいで冬服とほとんど変わらない形でも、襟と袖口に入っていた線とスカーフの色が若葉のように薄い緑色になって明るさを感じさせる。

 それから冬服にもあったんだけど、左腕についている校章が上着を着る機会が減ったから目につくようになった。この校章、下を頂点にした三角形のようなものの左右に羽が三つあるのかと思ったら、これは波なそうで。ちなみに真ん中にある三角は船を現しているらしい。

 たしかに、我が城見坂高等学校は坂の途中にあり海岸までも遠くはないけれど、その海とやらは全く見えないのであった。


 蒸し暑い中、駅から緩い上り道をえっちらおっちらと登校する。

「そろそろ紫陽花どこかに咲いてないかなー」

「ないわね」

 真空に、一刀両断される。

 気分転換とばかりに言ってみただけなんだけど、コンクリートジャングルの世界では無用な考えのようだ。

 寝ぼけ重力にまかせるまま頭を横に傾けると、半開きまぶたの下にある黒目の部分まで重力に引かれているように動く。

 頭をとめ、そのまま真空の方に瞳を向ける。

「なに?」

「いや、真空は夏服でも可愛いなって思って」

「紗綾もカーディガンやマフラーで勝負しなくても可愛いわよ」

 あれ? バカにされてる? それよりも、勝負してたの見て分かっちゃってた? 長めの袖にするとかの安易な作戦は避けたんだけどな。

 上履きに履き替え階段を上がると、職員室に近い残念な自分の教室前で真空と分かれた。


「うお」

 廊下をそのまま進む真空の後姿を見ていたとはいえ、教室の入口を潜った途端だった。

「おはよう、焚口」

「おはよう」

 ビビッた私は本来の礼儀正しさが出て、思わず挨拶を返していた。

 たが栗山くりやま、お前と挨拶をする気はない。

「男子は上着を脱げば終わりだからいいよな」

 しかしながら見慣れていた学ランから明るいYシャツになっていたものだから、そのまま勢いで話を続けてしまう。

「いや、Yシャツ半袖だし、ズボンも薄い夏用だから」

 ムカつくことに反論までしてくる。

 それでも自分の席へ行くまでにムカついていたことなどは忘れてしまい、今度は六月の休みの少なさを嘆くのであった。


 放課後になり部室に行くと、真空が机の上に枯れたポットマリーゴールドの花を広げて種を取ろうとしていた。

「真空、二人はまだ来てないの?」

「いえ、菜園に水をやるように頼んであるわ。先輩がずっと横にいてもジャマでしょ」

「そういうもんかな~。様子見てくっかな」

 私は小袖と李華の働き振りを見るべく菜園へ向った。

 お、やってるやってる。

 声をかけようとしたその時だった。

 ボッカーン!!

 鈍い音が聞こえたかと思うと、菜園の横に並べてあるプランターが二つ吹き飛ぶ。横には跳ねた野球のボールが転がっていることから、勢いよく当たったボールがプランターを吹き飛ばし、さらにそのプランターがもう一個のプランターにも当たったようで、全壊と半壊のプランターが転がっていた。

「大丈夫か!?」

 駆け寄った私は小袖と李華を見るのだが、硬直している。

「あー、ビックリした」「なんだ、どうした、プランター爆発したぞ」

 二人とも大丈夫そうだけど、プランターその物が爆発したわけではないので李華の発言には語弊がある。

 すぐに下のグラウンドから二人、階段を駆け上がってきた。

「すいません、大丈夫でしたか?」

 見るとユニフォーム姿の野球部員だ。

「大丈夫でしたかじゃねーよ。うちの後輩殺す気か!!」

 プランターはともかく、怒り心頭で思わず私は叫ぶ。

 その勢いに押されてか、野球部員の二人は申し訳ないとばかりに頭をぺこぺこ下げた。

「って? 栗山じゃん」

 私は栗山と同じクラスで彼が野球部なのも知っていたのに今更気づく。

「すまねえ焚口。あとこいつは、二-Gの近藤こんどう一樹いつきっていうんだけど、二人でふざけてたら飛んじゃって」

 何をやっていたのかは知らないけど、野球の道具で遊んでいたのだろう。

「私に謝らないで、二人に謝りなさいよ」

 栗山と近藤は小袖と李華に平謝りだ。

「いいよ、いいよ大丈夫でしたし」「ちょっと驚いたけどな」

 二人は先輩に謝られ、むしろ恐縮してしまっている。

 栗山は坊主なのに近藤とかいうの、ちょっと髪残っててスポーツ刈りだし、スポーツをやっている割には細いような。

 そんなことは置いといて、いいことを思いつく。

「プランターはこっちで直すからいいけど、お詫びとしてうちらが夏休み合宿行っている間、菜園に水をやっといてくれないかな? 虫がついてたら虫取りもね。野球部なら夏休み中も練習で出てくるだろ?」

 合宿中の水やり、誰に頼もうか困ってたけど丁度いいや。悪ふざけしての事故なら断れないに違いない。

 私の話に近藤は栗山の方を見るとどうするのかと様子を探っていたが、栗山が引き受けると言って話が決まった。

 うまくいったとニヤける私は、小袖と李華ととりあえず部室に戻る。そして、真空にプランターの土がこぼれた話をした。

「こぼれたのなら種が菜園側に広がらないように片付けないとね」

「それはそうなんだけど、当たった場所が収穫の終わったポットマリーゴールドとジャーマンカモミールのところで助かったよ」

「そうね。だけど紗綾は、悪知恵が働くのね」

「いやー、それほどでも」

 頭を掻きながら笑っていると、おとなしかったので考えていたのであろう。李華が質問をしてくる。

「部長、ところで合宿ってなんなんです?」

「夏休みに入ったら、合宿を里見先生の実家でやる予定があるんだよ。先生の両親は農家をやってるから見学をさせてもらうの。それに家も広いから四人ぐらいなら楽勝で泊まれるよ。でも先生は、親がもう歳だからいつまで出来るか分からないとか言ってるけどね」

「合宿か~」

 李華の乗り気じゃなさそうな態度に、念を押しておくことにする。

「李華、もちろん来るわよね。小袖も」

「うーん、まあいいけど」

「うわ、李華が即答するなんて。『めんどくさいから行きたくない』なんて言い出すかと思ったのにな」

「なんだよ。小袖は行かないのかよ?」

「いや、行くいく。たぶん平気だから」

 この後、プランターの土が他と混ざらないように片付けるのには骨が折れたけど、それでも合宿に二人とも参加してくれそうだと分かり気持ちは軽かった。

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