春の章

第2話*菜園部*

 新入生を迎えるイベントも終わり、平凡な日々に戻ってしまう。

 教室で、授業というその憂鬱な時間と生暖かい風をやり過ごすと、自分の席で脱力した私は回りを見渡した。

 公立にも関わらず進学校の色があるここは、みんなにとって大学へ行くための通過点でしかないのかな、なんて感じてしまう。

 それに、制服の方も白地に紺の襟という伝統っぽいセーラーかと思えば、襟と袖口に入っているラインとスカーフは新たな試みに失敗したような濃い緑色で冴えない。なんでもこれは、常盤ときわいろといって松や杉などの常緑樹の色でその常に変わらない色は縁起がいいらしいのだが、これでは制服が可愛いからという理由でこの学校を選んだという子も多くはないだろう。

 私はそれでも、今の季節ならカーディガンにマフラーでなんとでもなると信じてがんばっているのだ。

 そんな二年生になったばかりの私は、菜園部部長に自動繰上げでなってしまっていた。

 もちろん、部長という肩書きにプレッシャーはある。しかし、まともに人もいない部だからと諦めぎみになってしまい勧誘に力が入らない。だから、こうして机に両肘を乗せるとそのまま腕を前に滑らせうつ伏せになり、まどろむことにしたのであった。

 生徒会が作った部活紹介一覧を見て部室まで来てくれた人はいたけれど……。

 あの子は、サボり希望みたいだから入ってくれそうだけど幽霊部員かな。あの子は、花粉症だって言ってたから入らないよね。

 変な噂でも流れているんじゃないかと思うほど、まともそうなのが尋ねてこない。このままでは、菜園部がなくなってしまう日も近いだろう。


紗綾さあや、一年来てるよ」

 クラスメートに言われ、ダラダラ上半身を立て直すとドアの方を見る。

焚口たきぐち先輩」

 そこに立っているちょっと背の低いあの子は、廊下で声をかけたら部活に入ってくれると言ってくれたんだったよな。それで見学の約束をしたんだけど、考えてみると部室の場所を伝え忘れてたかな。

 慣れない事をするもんじゃない。

「ああごめん、すぐ行く」

 鞄を持って廊下に出、並んで歩く。背が低いだけじゃなく、おでこにかかるサラサラな前髪と肩の上辺りで揃っている真っ直ぐな後ろ髪に“かわいい”と思ってしまう。

 だがしかしだ。

 脱色しているのかやや茶色で、男を落とすなら黒の方が完成度が高いのではないかと思ったりもする。

 そんな彼女は、目尻の下がったやさしそうな瞳でこちらを見ている。

 心を読まれてしまったのか?

「先輩」

「うん?」

「おでこ、赤いですよ」

 ちょっとの時間のつもりだったんだけど、結構まどろんでいたようだ。敷いていた腕も赤い。

「ああうん、寝てたかも」

 私は、前髪からすべての髪を後ろに持っていきポニーテールにしている。つまり、おでこが全開なのである。だからきっと、赤い部分がもろに目立っているに違いないのだ。

 ちなみに髪色は、モテモテの黒をキープしている。あと、背も高いわけではなく彼女が低いのだ。

「まあ、細かいことは気にしない。それでは菜園の方に案内しますよー」

 南校舎を出ると、正門と中央校舎にある下駄箱を結ぶ石畳風の通路を遮り渡り、一段低くなっている中庭へ続く階段を下りる。

「まだ、寒いねー」

「寝てたからじゃないですか?」

「学校が山の上にあるからだよ、きっと」

「山って、丘じゃないですかね」

 寝ていたことを突かれたのはともかく、この学校が丘……もとい、山を切り崩して作ったのはそうなのである。そのため段々になっていて、南東の道路が一番低くなっているので日当たりは申し分なかった。

 左手には吹き抜けが自慢の木造二階建て食堂棟、右手には気合の入った業者が手入れをした中庭があり、それを見ながら進むとさらに一段低くなっている場所に野球場が見えてくる。

 そのまま階段を下りて、野球場のフェンスの外を外野から三塁方向へ沿うように移動した。

「先輩。こっちの方初めてきました。先は崖ですね」

 崖と後輩が言ってるのは、南東側の道路に接した部分のことだ。そこから下にある道路を覗くと結構な高さがあり怖いのだが、打球がこの道まで越える当たりだったときのことを想像すると、その一般道を歩いている人の方が怖いんじゃないかと思う。


 学校の最東端となるところまで来ると、そこにある祠に手を合わせお地蔵さんに必死にお祈りをする。

「ナムナム」

「なんでこんなところにお地蔵さんが?」

「南東の道路拡張工事のときに移動したんだよ。場所がないから随分高いところになちゃうけどしょうがない、ってね」

「そうなんですね。ところでそんなに一生懸命、何を祈っているんですか?」

「生徒会の連中に、活動費の割り当てを下げられないように祈っている」

「そんなに厳しいんですか?」

「部員が少ないとか、活動の実績がないとか言ってくるんだけど、うちの学校じゃあ花形の野球部やサッカー部だって高が知れてるっていうにまったく」

「ちなみに菜園部の部員って、どれぐらいなんですか?」

「うんと、新三年生が五人で、新二年生が私を入れて三人。だけど三年生が多くなってるのは、どっかの部に在籍しておきたい形だけの幽霊部員だから、うるさく言われることとかはないけどね」

「そうなんですね……」

 ああ、やばい。正直に言い過ぎたかな。この子、これで部に入るのやめるとか言い出しそうだけどな。それもお地蔵様にお願いしておくか。

「ナムナム、入ってくれますように」


「そんなに祈られても困るんだけどな」

 一生懸命祈っていると、後ろから声が聞こえてくる。後ろからだから、もちろんお地蔵さんが答えてくれているわけではない。

 祈るのをやめ振り返ると、体重を片足にかけ両腕を頭の後ろで組んで偉そうに立っている生徒がいる。

 見たことないな、誰なんだこの女。

「あんた誰よ」

「私、リカ」

「りか?」

 自分を名前で指す痛い子なの?

「あー違う。私は、三浦みうら李華りか

「違わないじゃない」

 私の突っ込みはともかく、連れてきた後輩ちゃんが自己紹介をする。

「あわわ、どうも、私は一年C組の渋川しぶかわ小袖こそでと申します」

 ふむ。実は、この後輩ちゃんが“しぶかわこそで”っていうの、知らなかったんだよね。前に聞いたかもしれないけど記憶になくて。どこで聞こうかと思ってたから助かったよ。

 ……じゃなくて、“みうらりか”?

 天パかな。クリクリまではいってないけどボリュームが出てて、しかもそれが後ろの首筋あたりにまとまるように流れているもんだから、まあそこは少し大人っぽいんだけど。でも、大きな目は幼い感じで、たぶん一年だろうな。

 正体不明の相手だが、私は強気に出ることにした。

「私は、二-Eの焚口紗綾だけど、あなた一年よね?」

「あ、えっとB組だったかな?」

「え? 自分の組も分からないの?」

 さっきまで堂々と立っていたのに、急に上や横へと大きな瞳が動き挙動不審としか言いようがない。

「まあ組のことはともかく、別にあなたに頼んでいるわけじゃないんだから黙ってなさいよ」

「それはそうなんだろうけど、街道筋のお地蔵さんって旅の安全を祈るもんじゃないの? それにお願い事するなら、頼める可能性がある先をひとつ知ってるというか何ていうか……」

 後半はよく聞き取れなかったが、お地蔵さんの仕事はそうなんじゃないかと思い納得してしまう。

「はいはい、分かったから」

 私は手で払う仕草をして追い払おうとするのだが、

「そんな冷たいこと言わないでくださいよ、せんぱい!」

「なによ、気持ち悪い」

「いやー、私も部活に入れて欲しいなーって思いまして」

 頭の後ろで組んでいた手を下ろすと、今度はその手を胸の前で重ねニコニコというかニヤニヤしだし、加えて話し方まで変わるのだ。

 媚を売っているつもりなのだろうか?

「全部聞いてたの?」

「はいはい、ですからお力になれればと」

「じゃあ、まあ、いいけど、ちゃんと活動してよね」

 このとき私は、誰でも入ってくれると言われれば断れない立場だと理解するのであった。


 そのまま二人を連れて、野球場の横を北に進むと今度は上り階段である。

「先輩、戻ってます?」

 下がって上がってで、渋川がそう感じるのも分かるのだがそうではない。

「いや、中央校舎と南校舎を抜けて行けば、下がったり上がったりしなくてもいけるんだけどさ、見学がてらと思って」

 そして階段を上りきるとそこには、木製に見えるプラスチック製のなんちゃって柵で囲まれた菜園があるのだ。

「ここかよ」

 口の悪い三浦がはっきり言っているが、渋川もそう思ったに違いない。

 菜園自体はおよそ四メートル×三メートルしかなく、柵の外にも五つのプランターと用具を入れておく物置があるだけだからだ。

 続けて三浦が、

「ところで、そこで草に水をやっているクールでビューティーな人は誰?」

と、プランターにジョウロで水をやっている真空のことを聞いてきた。

「彼女は、私と同じ二年の菜園部員で剣崎けんざき真空まそらだ」

 私が紹介すると真空は、それほど長くない少し癖のあることで後ろに流れている髪の毛を、耳にかけるような仕草をしながら振り向く。茶色い瞳がこちらを真っ直ぐに見ると、切れのある目尻のせいでいつもながら厳しそうな性格に見える。そして茶色の髪の毛は、陽の下で見ると金色っぽい。

 ちなみに『私以外で唯一、部活動をやってくれている』とまでは、まだこの二人には言えない。

「始めまして。二-Aの剣崎真空です」

「はっはっはじめまして、一年C組の渋川小袖です」

「ども、一年B組の三浦李華です」

 真空が軽く会釈すると、相変わらず慌しく挨拶を返す渋川。そして、相変わらず三浦はフランクであった。

「畑、なんにも埋まってないんですか?」

 渋川の質問に、三浦も続いて言ってくる。

「そうだよね。それにプランターは草ばっかりだし」

「あのね。草っていまどきハーブぐらい分かるでしょ? それにこれは、花が咲いてるでしょうが」

 私がそういうと、真空が説明をしてくれる。

「1から5まで番号がつけてあるでしょ。1は、ミントが埋まってるけどまだ寒いから芽を出していないわ。2のレモンバームは、もう少ししたら採取時期になる。それから今、紗綾が咲いているって言った3のジャーマンカモミールと、4のポットマリーゴールドは、この時期でも咲いてくれる。どっちもキク科だから形が似てるでしょ?」

「そうですね。こっちの4の方が明るいオレンジの花びらがいっぱいできれいかな」

「でも渋川さん。ジャーマンカモミールの方がティーにしたときに苦味がないから飲み易いと思うわ。それから最後の5は、バジルを予定しているの。これなら聞いたことがあるんじゃないかしら? それで予定って言ったのは、ミントは根が越冬して土に残っているんだけど、バジルは日本の冬は厳しいから新たに種をまくからなの。まくのはもう少し温かくなってからだけどね」

「そうなんですか。さすが菜園部ですね」

 目を輝かせ感動的に聞いている渋川とは違い、三浦といえば口を尖らせている。

「いや、そういうのじゃなくてー、こうトマトとかきゅうりとか、なんならイチゴとないのかな?」

 私は生意気な三浦よりも、その失礼さに横でおどおどが止らない渋川に気を奪われながら説明をする。

「今月は土作りをして、植えるのは五月の連休明けからだからないの」

 すぐに真空の水やりも終わり、みんなで部室へ行こうとなった。

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