5話:空と樹

「あー面白い!」


 そう叫んだ私の声が、木々の間にポッカリと穴が空いたような空に消えていく。すっかり夕暮れ色に染まったそれは、烏の独擅場だった。


「神様ってもっとつまんない人だと思ってた!」

「つまんない神様なら、俺は友達にお前を誘わないよ。ていうか笑いすぎ」


 呆れたように、コノハは私をじとりと見る。

 大きな石に並んで座った私達は、そこから一歩も動かずずっと話し込んだ。例えば私の受験の話や友達、先生の話、それからコノハが見てきた面白い参拝者たちの話……コノハの話はどれも面白くて、彼はこう見えて案外話上手らしい。ソラたちもベラベラと喋っていたし、実は仲良しなのかもしれない。喧嘩するほどってやつだろうか。


「もう、本当に笑いすぎだってば」

「だってコノハ、ガラの悪い人たちが来たからって、全員のっ……全員のズボン下ろすって……!」

「煙草臭かったんだもん」

「あははは!」


 コノハは普通の人間には姿が見えないことをいい事に、悪さをする人間に対し様々なイタズラをしてきたらしい。その話が私のツボにハマり、私は先程から腹を抱えて笑い転げっぱなしである。

 けれど思えば、こんなふうにお腹が痛くなるくらい笑ったのはいつ以来だろう。友達は受験の話で持ちきりだし、テレビを見るのは母が許さないし、家族は笑い合える状況ではないから、もうずっとこんなふうに笑っていなかった気がする。


「……陽菜?」


 急に静かになった私を不思議に思ったのか、コノハは寝転がった私を覗きこむ。夕焼けを背負った彼と目が合って、私は思わずふふ、と笑った。


「何だよ」

「ううん。こんなふうに話したの、久しぶりだったから」


 コノハがまた前を向いたのを見て、私も起き上がる。適当にはぐらかしたって良かったのに、今日の私は素直になりたい気分だった。


「俺も、ソラたち以外と話したのは2回目だよ」

「2回目……」

「うん、まぁ随分昔の話だけどね。俺は力の関係で、基本的にこの神社からは出られないから。他の神様に会うってことも出来ないし」


チラリと横目にコノハを見る。表情に変化はない。寂しいという気持ちは、無いのだろうか。

 かぁかぁと烏が鳴く声だけが寂しく響いて、私は少し俯いた。

 コノハが少しでも寂しくないように、私に出来ることはあるだろうか。


「でも、ソラたちがいるからさ」


 そんな私の気持ちを見透かすかのように、コノハは笑った。暖かい手が頭に乗る。頭を撫でられるなんて久々だから、恥ずかしい気持ちが無くはないけれど。


「ソラたちは、妖怪?」

「うん。ソラとイツキは、俺が名前をつけたんだ。勝手に来て、勝手に俺の世話焼いてんの」


 勝手、勝手、と言うけれど、コノハの表情は優しかった。名前をつけたくらいだから、あの二羽の事もやはり大切に思っているのだろう。そしてきっと、あの嫁に対する姑みたいにうるさかった二羽も、コノハを大切に思っている。


「優しいんだね、ソラとイツキは」

「俺の話聞いてたぁ?お節介されてるんだよ、俺」


 その割に楽しそうに話してましたけどね。とは、言わないでおこう。


「まぁいいや。俺、飲み物買ってくるよ」

「え、いいの?」

「うん、待ってて」


 下駄を鳴らして、コノハは本殿の向こう側へと歩いていく。それが照れ隠しなのは一目瞭然だが、私はあえて何も言わなかった。

 それより、確かに本殿の向こう側には自販機があったような気もするが、お金はどうするのだろう。ここからでは本殿に隠れているから見えないし、遠くて音も聞こえないけれど、もしかして盗んだりとか……いや、それも神様だから許されるのか?


「おや、陽菜殿」

「あ……ソラと、イツキ」


 噂をすれば何とやら、本殿とは反対側の草むらからソラとイツキが出てくる。話は聞いていなかった様子だが、その真っ白な毛は所々茶色く汚れていて、神輿のように太い枝を何本か抱えてた。


「どうしたの、その汚れと枝」


 そう問うと、二羽はふぅ、と息をついてその枝を下ろし私を見上げた。兎にとっては、この40cm程しかない枝も重いものなのだろうか……なんて考えていると、


「主様が最近、夜風で本殿の戸が揺れて、それがうるさくて寝れないとおっしゃっていたので……」

「戸の隙間を埋めるべく、森から枝を集めてきたのでございます」

「……そっか」


 私は思わず笑みを零して、薄汚れてしまったふわふわの毛を撫でる。二羽は不思議そうにこちらを見上げたままだが、そんなのはお構い無しだ。コノハとこの二羽の関係が、家族と上手くいっていない私にとってはとても羨ましく、そして何よりも愛しかった。

 私だってこんなふうに、誰かのために何かを頑張りたい。

 でも、その誰かがいないんだ。


「優しいんだね」

「む。我々は主様に命を助けられたのです。これくらいして当然でございます」


 イツキは、その低い声を張って言った。


「命を……?」

「はい!我々は、まだ山に暮らしていた頃に大きな熊に食べられそうになり……」

「その年は日照り続きで食物も少なく弱っていたため、私たちは絶体絶命でした。本気で死を覚悟したのです」


 ソラとイツキは、そう話しながら出てきた森を振り返った。きっとこの森が、その熊に襲われた場所なのだろう。思い出に浸るように潤んだ二羽の赤い瞳は、宝石のように綺麗で澄んでいた。


「しかし、そこへ主様が颯爽と現れて、我々を助けてくださった!そして熊へは、川でとったであろう魚を差し出したのです!」


 今度はイツキが身振り手振りで、興奮したように力説する。なるほど、それで命を助けられたと。


「とは言え、主様は当時力はあったのものの、境内から出るなんてとても危険なこと。息も絶え絶えで、その場で倒れてしまわれて……」

「我々は主様を、必死で境内へ運びました。そしてしばらくして目が覚めた時、主様は優しく微笑んで我らに言ったのです」


「“優しい兎たち、どうか俺の友達になってくれないか”……と」


「……とも、だち」


 それは、私にも言った言葉だ。私は命を助けてもらった訳では無いけれど、コノハは私に友達になるように言った。

 それに彼が先程、随分昔の事だけどと話した一回目の人間との会話は、ソラたちに出会った後だと言っていた気がする。コノハはもしかしたら、ソラたちに会うまで本当にずっと、一人ぼっちだったのかもしれない。

 この神社が出来た遠い昔の夏の日から、ずっと。


「……その時の主様は、とてもとても寂しそうでした」

「無茶をして山へ入ったのも、友達になってくれそうな妖探すためだったそうです」


 ソラとイツキの声色が、切なく、小さくなっていく。ヒグラシの鳴き声が木霊して、それがより一層この神社の切なさをいっぱいにした気がしてならなかった。


「……その日からです。我々は、この人に仕えようと決めました」


 あぁ、私にもこんな存在がいてくれたらいいのに。


 誰かにとっての大切に、なれればいいのに。


「あれ?ソラたち帰ってたんだ」

「主様!」


 両手にサイダーを持ったコノハが、こちらに向かって歩いてくる。話を聞いていた様子はない。それを見たソラとイツキは、まるで何も話してなどいなかったかのように再び枝を担いだ。


「汚れてんじゃん、どこ行ってたのさ」


 両手に持ったサイダーのうち一本を私に渡し、コノハが尋ねる。しかし二羽は動揺すらせずに淡々と、


「散歩でございますよ」

「少しはしゃぎすぎました」


 なんて答えた。


 きっと、昔からそういう関係なのだろう。

 近すぎず遠すぎず、でも互いを尊敬し合っていて助け合っている。どれもこれも、今の私には無いものだ。


「では、我々は中で休んでいますので」

「うん、散歩も程々にな」


 えっちらおっちら枝を運ぶ兎二羽を、サイダーを飲みながら二人で見守る。コノハはこの先も知らないのだろう。二羽がコノハのために森に入り、枝を運び、戸の隙間を埋めた事を。


「……なんか、いいね」


 純粋に、素敵だ、と思った。

 ソラたちがコノハの世話を焼くのは、きっと命の恩人だからという理由だけではない。コノハに惹かれたからとか、コノハといるのが楽しいからとか、本当はもっと単純な理由で。だからコノハも、ああ言いながらも二羽を追い出すような事はしなくて。


「……陽菜?」

「ううん……ちょっと、羨ましいなぁって」


 半分ほど減った、サイダーのペットボトル。その表面についた水滴が、私の手と足元を濡らしていく。

 羨ましいんだ。ただ、純粋に。

 でもそれ以上に、コノハとソラとイツキがずっと一緒にいられたらいいなぁって、こんな関係がずっと続けば素敵だなぁって思うんだよ。

 嫉妬じゃないのに、どうしても羨ましいんだよ。


「……それより、このサイダーどうやって買ったの?」

「お賽銭箱漁った」

「えぇ……最低」

「神様だからね」


 だから私も、5日間だけ、そこに入れて欲しいんだよ。

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