4話:悩み


「主様が自ら握手を……!」

「陽菜殿、これは素晴らしいチャンス!」

「コミュ障神様とポンコツ女の、又と無い出会いであります!」

「お前ら、馬鹿にすんのやめろっていつも言ってるだろ」


 小馬鹿にする兎たちに、神様、もといコノハが呆れたように言う。兎たちは反省をする素振りも見せないが、コノハの諦めた様子からして、普段から小馬鹿にしてくる兎たちのようだ。

 さて、その場の流れで、私は彼と5日間限定の友達になってしまったわけだが。

 まず友達とは一体何をするのだろうか。

 勿論学校に友達はいる。最近は夏休みな事もあって塾の友達と話すことが多いけれど、それでも一応友達だ。

 しかし、その人たちは人間である。

 当たり前だけど、神様の友達なんていない。だから私はこのコノハという神様友達の扱いが、全くもって分からなかった。


「あの……コノハさん」

「さんとか敬語とかいらないよ。何?」


 あ、割とフレンドリー。

 力の入っていた肩が、ふ、と軽くなった。神様相手に、無意識に緊張していたようだ。


「えっと、具体的に、5日間何をすればいいの?」


 するとコノハは少し笑って、そうだなぁなんて考え始めた。その表情が何だか楽しそうなのは、今まで一人ぼっちだったからだろうか。


「まあ、そんなに長い時間じゃなくていいから、一日一回俺に会いにここに来てよ。少しだけでも話そう」


 に、と白い歯を見せてコノハが笑う。誰しもがつられて笑ってしまうような、そんな笑い方だ。恐らく私にしか見えないであろうそれは、今の私に足りていなかったもののように思えた。


「じゃあ、俺から質問いい?」

「う、うん」

「陽菜、悩みとか無い?」


 その瞬間、蝉の声が、ずっと遠くに聞こえた気がした。


「あったら、教えて欲しいんだけど」


 まず、悩みと聞かれて思い浮かんだのは今朝の母との喧嘩だった。

 滑り止めの無い高校受験、両親、母との仲……


 ──じゃあ、そんな事言うなら、併願校受けさせてよ。


 そう叫んだ私を、目を丸くして見つめた母の顔が忘れられない。

 最低なことを言ってしまった自覚はあるし、併願校が受けられないのはお金の問題であり、母の意思では無いことも分かっている。だから文句も言わずに勉強してきたし、夏期講習も人一倍入れた。本来なら秋で引退のはずの部活も、夏休み中は行かないことを決めた。

 それでも、溜めてきたものは、溢れることでしか消化できなくて。


「俺、悩み事を食べる神様なの」


 コノハが自分の顔を指さして、ケラケラと子供のように笑う。おかしいでしょとでも言うようなそれは、どこか自嘲しているようにも見えた。


「知ってる。山火事になったら厄年なんでしょ?」

「うん。俺が悩みを食べれば、山火事にはならない。こんな山奥で紙燃やすなんて、昔の人間は阿呆な事を考えるよねぇ」


 呆れたように言うコノハに、どこか違和感を覚えた。神様を相手に違和感を感じるなんておかしいけれど、どこか含みを感じる言い方だ。しかし恐怖は感じないし、先ほどの怪しい雰囲気はもうない。

 一体何を考えているのだろう。それだけが、ただ単に不思議だった。


「だから、俺が陽菜の悩みを食べてあげるよ」


 そしたらその悩みは絶対解決するんだ、凄いでしょ。

 そう付け加えたコノハが、優しく、けれどどこか寂しそうに目を細めた。


 あぁ、そんな顔しないで。


 初対面の、しかも神様に、私は漠然と思った。伝える事はしない。伝えたら、もっと寂しい顔をしてしまいそうだったから。


「聞かせて、陽菜」

「主様」


 突然、まるで昔話をねだる純粋な子供をピシャリと叱ってしまうような、そんな声が横から入り込んだ。


「……ソラは黙ってて」


 ソラと呼ばれたのは、高い声の方の兎だった。どうやら名前があるらしい。コノハが少しばかり睨みを効かせたが、ソラは動じないし、その隣にいる声が低い方の兎も動じなかった。

 この兎たちは、コノハの手下か何かなのだろうか。そこも不思議である。

 と、今度は声が低い方の兎が口を開いた。


「主様も分かっておられるでしょう。このタイミングで悩みを食べられるなど、主様の身体が持ちませぬぞ」

「はいはい分かってるよ。さっさと死にたいからこんな事言ってるんじゃんか」

「主様は分かっておりませぬ」

「イツキの方がわかってないよ」


 そんなやり取りをしながらコノハと睨みを効かせあう声が低い方の兎は、イツキというらしい。イツキとソラ。どちらも自然の名前だ、ってそんなことはどうでも良くて。


「悩みを食べると、コノハは死んじゃうの?」


 違和感の正体を掴んだ私は、震える声で問う。あんなにニコニコして、悩みを食べたくて仕方がない様子だったのに、それが死ぬためだなんて思ってもいなかった。

 一方コノハは当たり前のように頷いて、組んでいた胡座を組み直した。

 その日焼けしていない真っ白な足は、彼が人間ではないことを今更ながらに思わせる。けれど確かにそこにコノハはいて、実際に私は会話をしていて、何となく寂しい思いをしてきたのだと伝わってくる。

 そんかの、どんな悩みだって言えなくなっちゃうじゃんか。


「悩みなんか食べなくていい」


 声はもう震えていなかった。それどころか、自分で思っていたよりも真っ直ぐな声だったから、少なくとも私は彼に惹かれているのだろうなんて、冷静に考える自分が可笑しいくらい。


「コノハが死んじゃうなら、いい」


 もう一度首を振って言えば、コノハはそのサラサラの黒髪の奥で驚いたように目を見開いた。

 夏の割に涼しい風が、小さな神社を包むように過ぎていく。それに合わせて私の髪も揺れ、ソラとイツキが安心したようについたため息も聞こえた。


「意外と頑固。というかワガママなんだね」

「なっ」

「分かったよ、陽菜の悩みは食べない」


 それより、あっちで話そう。その方が涼しいから。

 先程までの言い合いは何だったのか、コノハは私の手を掴んで引っ張っていく。涼しい所に連れて行ってくれるらしいが、本当に何を考えているのか分からない人……いや、神様だ。


「人の子は、暗くなるまで外に居ては悪いと聞きましたぞ」

「程々にしてお帰りになさって下さいまし!」


 後ろからかけられたイツキとソラの声に軽く返事をして、私達は小さな神社の木陰にある大きな石へと腰を下ろした。

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