1話:すれ違う

 気がつくと朝になっていた。

 自分がどうやって寝たのかは覚えていない。けれど布団には入っているから、きっと限界まで勉強して、無意識に布団に潜り寝たのだろう。その証拠に、勉強机には解きかけの問題集が、付けっぱなしの扇風機に捲られていた。

 今は何時だろう。今日の予定はなんだっただろう。

 ……夏期講習?


「塾っ、」


 飛び起きて、寝起きの頭を無理やり動かす。夏期講習はほぼ毎日入れたはずだ。


「……あ、今日、火曜日か」


 毎週火曜日は休校日だ。夏休みだろうがお構い無しに、火曜日は絶対に休み。そして今日は、その火曜日。

 一気に力が抜けて、布団に逆戻りする。どこかの家の風鈴がチリンチリンと鳴って、それに返事をするようにスズメが鳴いた。夏に備えて肩まで切った髪をかきあげて、枕元に置いた団扇で乱暴に扇ぐ。首筋を伝う汗が気持ち悪い。

 と、視界の端、枕元に白い紙を捉えた。しかしベッドの上にプリント類を置いた記憶は無いし、このサイズどこかで見た気が……


「……こんな所置いたっけ」


 そうだ。昨日ポストに入っていて、イラついてポケットに突っ込んだあの手紙。いつの間に枕元に移動したのだろう。

 暑さとは違う嫌な汗が伝ってくる。慌てて起き上がりポケットを確認すると、そこには昨日入れたであろう例の手紙が入っていた。書かれている内容も、字体も記憶のものと一緒だ。

 ……まさか。

 ポケットを探した時とは打って変わって慎重に、枕元に置いてある同じ白い紙を捲る。いつの間にか、風鈴は聞こえなくなっていた。

そこには同じ字体で、


「今日の十三時に木ノ花神社に来てください」


 先程からじわじわと出ていた嫌な汗が、一気に溢れて顎を伝う。涙のように紙に染みを作るそれは、この手紙が実在するものだと示している気がして、今度は汗がす、と引いた。

 イタズラじゃない。部屋の中に新しい手紙を置くなんて人間には出来っこないし、現在ピリピリムード満載の我が家の誰かがこんな事をする可能性もゼロだ。

 妖怪? お化け? 悪魔?

 非現実的な現実に頭がついていかない。ふわ、と風が吹いて、レースのカーテンが揺れた。

 昨晩はエアコンをつけていたから、“窓なんて開けていない”のに。


「陽菜!」


 突然名前を呼ばれ、びくんと大きく肩が跳ね上がる。心臓がバクバクとうるさく脳に響いて落ち着かなくなった、と同時に、部屋のドアがノックも無しに勢いよく開いた。


「あんたいつまで寝るつもり!?そんなんだから成績も上がらないのよ!」


 母だ。鬼の形相で私を睨みつけた母は、風で閉まろうとする扉を押さえつけたまま、私に怒鳴り散らす。


「い、今からやる!」


 謎の手紙を理解しようと必死になっていた頭が、ようやく母に怒られているという現状を理解し始める。今すぐ机に向かわなければ、母の怒りは増すばかりだ。


「今からって、今何時だと思ってるの!?11時!あんた自分が置かれてる状況分かってるの!?」

「分かってる!」

「分かってないからいつまでも寝てるんでしょう!」

「……じゃあ!」


 ___じゃあ、そんな事言うなら、併願校受けさせてよ。



 叫んでから、はっとして顔を上げる。母は目を丸くして、唇をわなわなと震わせていた。

 違う、こんなつもりじゃない。

 お金がないことは分かってる。お母さんが申し訳ないと思っている事も、お父さんがパチンコに行く回数が増えたのも知ってる。

 でも、だって。


「学校で滑り止め無いの、私だけなんだよ……」


 私立併願の説明会の日、学年全員が体育館で説明を受ける中、私だけが教室で待機した。その時の先生の、哀れむような目が忘れられないんだ。

 諦めない事が大事だから。

 先生は、そう言った。

 まるで、落ちても仕方ない、落ちる可能性の方が高い、と言われている気がして仕方がなかった。

 先生は、滑り止めがあれば余裕が出来るのにね、とも言った。

 私は、公立一本で合格しなければいけないというプレッシャーに、心底苛立っていた。


「……もういい。そんなに言うならさっさと落ちなさい」


 母は、そう吐き捨てて部屋を出ていった。


「……違う、のに」


 こんなふうになりたかったんじゃない。お母さんとは仲良くしていたいし、両親が仲良くあってほしい。滑り止めが無いなんて、そんな事はいいから。

 家族の仲がよければ、余裕も出来る。他は何もいらないのに。

 ふと、風に煽られたあの白い手紙二枚がベッドから落ちたことに気づいた。


助けてください

今日の十三時に、木ノ花神社に来てください


 行ったら、どうなるのだろうか。誘拐される? 神隠しにあう? 殺される?

 どれでもいい。

 どれでもいいから、行きたかった。今までの恐怖が嘘みたく無くなって、私はその手紙二枚の文字を数回追った。


 私が居なくなれば、お母さんは、お父さんは、二人で探してくれるのかな。


 木ノ花神社は、近所の山を登る坂道の途中にある神社で、幼い頃に何度かお祭りで行っている。あそこは毎年夏になると、住民の悩みを書いた紙をまとめて燃やすのが恒例で、私も数年前に参加していた。火が上手く燃えれば今年も平和、山火事になれば厄年。そんな言い伝えもあったはずだが、最近は山火事になっても困るからと、山に火が移らないよう安全第一で軽く行っている。

 神隠しでも誘拐でもいい。とにかく行って、家族に心配されたい。

 本当の家族なら、きっと心配してくれるはずだから。


「……間に合うよね」


 まるで、幼い子供が構って欲しくてイタズラをするように。けれどそれよりもっと複雑で面倒で、嫌な感情をきっかけにして。

 必要最低限の連絡でしか使わなくなった端末と二枚の手紙をポケットに忍ばせて、私はそっと家を出た。

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