5日間の夏

しおり

序章:手紙

 助けてください。


 そう書かれた一枚の手紙が我が家のポストに届いたのは、中学最後の夏休みに入って、まだ二週間も経とうとしていないある日の夕方のことだった。


「何これ」


 何かの事件か、それともただのイタズラか。

 後者であってくれと願いながら、私──立花 陽菜はその純白の手紙にため息を落とした。

 残念ながら、こんなことに気を配っている余裕は今は無い。周りは完全に高校受験モードだし、私自身この夏休みの殆どを夏期講習に費やすつもりだったからだ。

 だって、それくらいやらないと私はダメだから。

 くしゃり。皺一つなかった手紙に、何本もの線が入る。このまま破り捨ててしまいたい気分だったが、流石にその程度のマナーは弁えているし、万が一何かの事件に関連するものだったらと思うと安易に捨てられないのも本心だった。

 あぁ、そんな事より勉強しよう。

 くるりと踵を返して、どこにでもある一軒家の玄関へ歩みを進める。手紙は乱雑にポケットへつっこんだ。家の鍵を探しながら、頭の中で今日の夏期講習で渡された課題を思い浮かべる。数学がワーク5ページと、えっと、何だっけ。

 と、ようやく鍵を見つけた時だった。


「陽菜、遅かったじゃない」

「お母さん……」


 鍵穴に鍵を挿すよりも先に玄関の扉が開いて、中から見慣れないスーツ姿の母が出てきた。母の仕事は保育士だから、スーツ姿は入学式か卒業式くらいでしか見たことが無い。なんだか新鮮だ。


「どこ行くの?」

「まあ、ちょっとね。悪いけどご飯無いから、自分で作るか買うかしてちょうだい」


 あ、これ機嫌悪いやつだ。

 母は最近、仕事以外でよく出かけるようになった。私がどこに行くの、と聞けば、いつも決まって、ちょっとね、とだけ言う。そしてこれもお決まりで、母はその日の機嫌がすこぶる悪かった。

 正直、私だって受験キツイのにそんなに八つ当たりしなくても、とは思う。ご飯を作らなかったり、少し休憩していただけで丸一日勉強しなかったかの如く怒られたり、八つ当たりの種類は様々だ。

 一体、何をしにどこへ向かっているのだろう。


「行ってらっしゃい」


 母は何も言わなかった。行き先も、何をしに行くのかも。

 けれど私は、何となく察していた。

 最近、父と母が揃っているところを見なくなったから、きっとそれが関係しているのだと。

 もしかしたら、離婚なんて可能性も考えられるのだと。

 そして何より私に「公立一本で受験に挑め」と言った時の母が、あまりにも悲しそうで。

 きっと私立高校を併願する、所謂滑り止めを受けるためのお金すらも無いのだと、本当に何ととなく察していた。

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