第四章 逆神王(5)
地下牢の警備は、思いのほか甘かった。
数人の守衛を斬り伏せると、クレインは彼らの死体から鍵束を奪い取った。守衛の顔には見覚えがある。オービル軍に所属していた、教国民の兵たちだった。何度も顔を合わせて調練し、何度となく悪態もつかれたが、斬り伏せた時には憎しみも同情もなかった。敵だから、殺す。それはほとんど作業のようなものだった。
奇妙に冷めた気分のまま、クレインは地下牢へと降りた。燭台の明かりは燃え尽き、地下には闇だけが充満していた。人の気配はひとつしかない。クレインは迷わず、気配のほうに駆け寄った。
牢の中に、レイシアが座っていた。視線がかち合うと、彼女は目を見開いて涙をこぼした。
「クレイン!」
「無事でよかった、レイシア」
クレインは牢の鍵を開けると、レイシアの拘束を解いた。感極まったように抱きついてくるレイシアを、そっと抱き返す。レイシアの身体は冷え切っていたが、不思議と暖かいもので胸が満たされていく気がした。ようやく、自分を取り戻したような気分だった。同時に、今までの自分がいかに殺伐としていたかを思い知った。
胸の中でぐずるレイシアの背中を撫でながら、クレインは自分でも驚くほど優しい声を出していた。
「大丈夫? 怪我はしてない?」
「うん……ごめん。なんか、安心しちゃって」
「いいんだ。でも……安心するのは、まだちょっと早いかも」
「……まだ、戦ってるの?」
「うん。炎熱騎士団のほうは、バルアン将軍がなんとかしてくれてる。でも……」
「ガウルね」
さすがに、レイシアの察しはよかった。
これまでの経緯を軽く説明しながら、地下牢を出る。レイシアは何度も驚いたり感心したりしていたが、少しでも早く現状を把握すべきだと思ったのか、こちらの説明に口を挟んだりはしなかった。
守衛室の明かりの下で見ても、レイシアには怪我や暴行の後がなかった。それに心底安堵してから、クレインは気を引き締め直した。まだ戦の最中だ。レイシアが無事だったからと言って、気を抜いている場合ではなかった。
レイシアは守衛室に置かれていた曲刀を腰に佩くと、クレインに背を向けた。奇妙に思って視線を向けると、口から歯のような塊を取り出して、無造作に投げ捨てるところだった。
クレインは一瞬、頭が真っ白になった。思わず、レイシアに詰め寄る。
「レイシア! 今の、まさか」
「……なに? なんのこと?」
「とぼけないでよ! まさか、口の中に毒を仕込んでいたのっ!?」
レイシアは少しだけためらったようだが、真っ直ぐにクレインを睨み返してきた。
「悪い? 言っておくけど、あたしはクレインと同じことをしただけだよ」
「僕は、ガウルを騙すために仕方なく毒を飲んだんだ!」
「あたしだって、仕方なかったの!」
レイシアが涙をためた目で叫ぶのに、クレインは気圧されてしまった。
「クレインは、ずるいよ! 自分ばかり危ない目に合って、あたしのことは守ろうとして……そんなの、あたしが喜ぶと思う? クレインが危険な目に合うなら、あたしは安全な場所になんかいたくない。クレインが命を懸けるなら、あたしも一緒に命を懸ける。だって……クレインのことが、好きなんだもん!」
頭を、思い切り叩かれた思いだった。彼女の「好き」が姉弟としてでないことは、鈍いクレインにもすぐにわかった。
顔を真っ赤にしたレイシアが、潤んだ瞳で見上げてくる。クレインは彼女の肩に手を伸ばしかけ、かろうじて止めた。
レイシアの気持ちに戸惑いはしたものの、素直に嬉しかった。だが、クレインの胸にはそれ以上に迷いがあった。
(僕は、彼女の想いに値するような人間じゃない)
ほんの少し前まで、自分は本当に情けない男だった。
バルアンに、ヘクターやメリル。そして、不本意ながら――シメオンと関わることで、ようやく少しマシになった。王としての態度を、軍師としての知略を、将としての武勇を試され続けることで、少しずつ成長してこれた気がする。
だが、レイシアはずっと、自分にそんなものを求めていなかったのだ。今更ながらに、それに気づいた。
(レイシアだけは、僕を王族でも将軍の子でもなく、一人の男として見続けてくれていたのか)
本当に、人の気持ちがわからない男だ。だからこそ、尚更レイシアの気持ちに真正面から向き合えなかった。
クレインの逡巡を見て、レイシアは苦笑したようだった。
「心配しなくても、今すぐ返事しろなんて言わないよ。ただ、クレインが一人じゃないってことだけは忘れないで。クレインが死んだら、あたしは悲しみに泣きくれたりしない。仇を討って、自分も死ぬ。そういう女なの」
「かっこいいな、レイシアは」
「当たり前でしょ? だって、あたしはクレインのお姉ちゃんなんだから」
誇らしげに微笑してから、レイシアは言う。そんな彼女に、クレインは思わず見惚れていた。
「だから、あたしを危険から遠ざけて、守ろうとしないで。一緒に、戦わせて」
「……わかったよ」
本心から、クレインはうなずいた。
レイシアはきっと、宣言通りの行動を取るだろう。今回も、クレインに黙って毒を用意していた。今度また、レイシアを安全な場所に置いて自分一人で危地に飛び込もうとしたら、彼女がなにをしでかすかわかったものではない。
(まったく、困った義姉さんだ)
思いながら、クレインは自分の口元が緩んでいるのを自覚していた。
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