第四章 逆神王(4)

 至るところに、炎熱騎士団の埋伏がいた。

 仄暗い廊下を駆けながら、シメオンは襲い来る兵どもを蹴散らしていた。

 包囲して攻めかかってくるものを長剣で切り裂き、離れた位置から火炎を飛ばしてくるものには短剣を投擲する。長剣にも短剣にも、刀身には猛毒が塗り込まれていた。地、水、火、風を複雑に織り込んだチャクラによって、即効性の猛毒を生成する。どんな豪傑でも、ただ一刀で殺し切る自信があった。事実、この毒に対抗できたものはひとりもいない。

 瞬く間に数十人の兵を殺すと、埋伏どもは遠巻きに取り囲むようになった。

 その態度が気に入らず、シメオンは火のチャクラを練る。烈火獣に匹敵するほどの猛火を生み出すと、それを兵の群れの中へ放り込む。猛火はあっという間に人体を焼き焦がし、辺り一帯に不快な匂いが広がった。

(つまらんな)

 精兵と呼ばれる炎熱騎士団を相手にしても、心が沸き立つことはなかった。作業のように、淡々と兵を殺戮していく。

 シメオンは、強過ぎた。あまりに強過ぎて、自分と対等の存在を見つけることができなかった。アルバート・ネーデルスタインですら敵ではなく、面白い男という程度だった。

 ――太平の時代ならいざ知らず、この時代においては、戦うということは生きることと同義だ。

(つまり……戦うべき相手のいない俺は、死んでいるのと同じだ)

 強いということは、途方もなく孤独なことだ。強敵の存在も、並び立つ戦友の姿も見えないまま、ただひたすらに強さだけを追い求める。どうしようもなく無意味だとわかっていても、強くなることをやめられない。

 いつか、自分を殺せる人間が現れるのではないか。運命を握られる恐怖というものを、取り戻せるのではないか。

 その時が来たら、こんな地獄のように退屈な世界でも、かつてのように生きている実感を得られるのだろうか。

 十年以上もの間、自問し続けていた問いの答えに、今日ようやく指先がかかった気がしていた。

(クレイン・ネーデルスタイン……)

 第五のチャクラを操る男。王の血統。天賦の将。そして、最悪の卑劣漢。

 三百近い精兵を羽虫のようにあしらいながら、シメオンはクレインのことだけを考え続けていた。

 期待以上の逸材だった。空のチャクラまで覚醒させるとは、思いもしなかった。空のチャクラについては、シメオンも初めて見る能力だった。正直眉唾だと思っていたが、まさか本当に実在していたとは。

(お前の言う通りだ、アルバート・ネーデルスタイン)

 確かに、クレイン・ネーデルスタインは父親を超える可能性を秘めていた。そしてなにより、優れた王になる可能性も秘めていた。

 だが、シメオンには国などどうでもよかった。シメオンにとって重要なのは、国を興せるほどの英傑を生み出すことだった。

(勇将に、賢王……確かに、あいつはそうもなれる。だが、本質はそうじゃない)

 クレイン・ネーデルスタインは、何者にも化けられる素養を持っていた。

 誰もが、彼に期待を抱いていた。それに応えるように、クレインは変化し続けた。その結果、オービルで腐っていただけの男が、炎熱騎士団を圧倒し、第五のチャクラを呼び起こして十二神将に迫るほどになった。

 国を興すことは、人間をやめることに近い。善悪をともに飲み下し、過酷な状況の中で冷酷な判断を下し続けなければならない。数多の敵を殺戮し、同じだけの味方も死なせる。自らの手で、味方を殺すことだってあるだろう。裏切りに怯えて心をすり減らし、正気さえも失っていく。怪物にでもならなければ、とても耐えられることではないだろう。

 恐らく、クレインはそれを成し遂げる。シメオンにはそんな予感があった。

 周囲の期待に応え続けなければ、生きることすらままならない。生まれや育ちから見ても、クレインはそういう類の人間だった。そうして期待に応え続ける内に、人間の領域を踏み超えてしまう。そういうところも、昔の自分に似ている気がした。

 いつかクレインも、自分と同じところまで堕ちてくる。自分と同等の怪物に成り果てる。それが、シメオンにはわかっていた。

(その時が来たら、奴と存分に殺し合おう)

 昏い悦びを噛み締めながら、シメオンは静かに決意した。

 気づけば、周囲は死体で足の踏み場もないほどだった。退屈な作業を終えても、シメオンには達成感も落胆もなかった。クレインと烈火獣の決戦を見届けるため、移動を開始する。

「……待てよ」

 呼び止められ、シメオンは肩越しに振り返った。

 廊下の奥の暗闇から、烈火獣が歩み出ていた。彼がそこにいることに、シメオンはずっと前から気づいていた。だが殺気がないため、あえて見逃してやっていた。

 烈火獣は、怒りと戸惑いが混ざったような表情をしていた。

「やけに騒がしいと思えば……告死鳥。お前、どういうつもりだ」

「なにがだ」

「なにがって……お前は、教国軍の同士を手に掛けたんだぞ? 国への叛逆行為だ」

「それがどうした」

 淡々と応じると、烈火獣の瞳に苦い理解の色が浮かんだ。

「……クソが。それじゃあ、今までのは全部、お前の手の平の上ってわけか。ネーデルスタインも、お前が動かしたんだな」

「そうでもない。俺はただ、あの男の尻を蹴飛ばしただけだ。軍も、策も、すべてあの男が自らの手で作り上げたものだ」

「随分とあいつを買ってるようだな。冷酷無比のお前が、あいつに情でも移したのか?」

「まさか。見物に邪魔な羽虫を、追い散らしただけだ」

「お前……まさか、ネーデルスタインが俺に勝てるとでも思ってるのか?」

「さあな。勝てば、もう少し楽しめる。負ければ、その程度の男だったというだけだ」

「ハッ! 教国と王国、どっちが勝とうが興味ないってわけか。さすが、死を弄ぶ化物だ。世界中を敵に回しても飽き足りないってわけだ」

「俺に、敵などいない」

 思ったままを答えると、烈火獣は苦虫を噛み潰したような顔をした。

「……そういう奴だよな、お前は。国のことも俺のことも、お前の眼中には映ってないんだ」

 独り言のように言ってから、烈火獣は獰猛な笑みを浮かべた。

「だが、それも今だけだ。必ずお前を超えて、その首を落としてやる」

「そうか」

 期待する気も嘲弄する気もなく応じると、烈火獣は肩透かしを食らったように、間抜けな顔をした。

(本当に殺す気があれば、格上の相手に面と向かって殺すなどと宣言しない)

 来るべき時まで殺意を押し隠し、むしろ友人のように平然と談笑してのける。そういう不気味な厚かましさが、烈火獣には欠けていた。それでは、万の軍を滅ぼすことはできても、国を呑み込むような真似はできない。

 彼に背を向け、今度こそシメオンは歩き出した。闇に紛れ、ただ勝負の行く末を見届けることだけを考える。

 足の先さえ見通せないほど、夜の闇は深まっていた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る