第四章 逆神王(3)

 ――受け入れろ。

 不意に、声が聞こえた気がした。

 クレインはチャクラを練りながら、意識が広がっていくのを感じていた。肉体というくびきから逃れ、世界そのものへと溶けていくような感覚だった。

 真っ暗な闇の中に、星々の瞬きのようにチャクラの輝きを感じる。ひときわ激しく燃え上がっているのは、ガウルのチャクラだろう。星々の光をいくら集めても、その輝きには遠く及ばない。

 そこでは、クレインの意思などないも同然だった。ただチャクラの塊として、そこに存在していた。地、水、火、風。満遍なくまとまった、凡庸な輝きだった。注意深く見ていると、四色の光が瞬く中心に、別のなにかが存在しているのがわかった。

 深い、闇だった。周囲の闇と一線を画するほど、黒々とした闇だ。闇というよりも、虚無といったほうが正確かもしれない。その巨大な深淵に、クレインは不思議なほど魅了されていた。

 ――己の血を、受け入れろ。

 再び、声がした。

 耳で感じるような声ではない。身体の奥底に眠っていた、血の叫びのようなものだった。ハルディオンの血は巨大な深淵を形作り、凄まじい唸りを上げていた。

(そうか。そこにあったのか)

 奇妙な浮遊感に包まれながら、クレインはようやく理解した。


 ――意識が引き戻される。

 眼前で、ガウルが円月輪を振りかぶっていた。クレインの長剣ではガウルに届かないが、円月輪を投擲されれば、クレインの身体など一瞬で真っ二つにされる。そういう間合いだった。

 不思議と冷静なまま、クレインはチャクラを練っていた。ありったけのチャクラを体内に取り込み、痛みを感じることなく制御する。身体の内から滾々と湧き出しているかのように、ごく自然に世界のチャクラと繋がっていた。チャクラを十分に練ると、クレインはそれをガウルに向かって放出した。

 ガウルの腕が、飛んだ。

 振りかぶっていた左腕が斬り飛ばされ、ガウルは一瞬、なにが起きたか理解できていないようだった。断面から激しく出血しているが、それすら唖然と眺めているだけだった。

 ガウルの左腕を切り飛ばしたのは、チャクラだった。風のチャクラを操る達人は、旋風によって人体をも切断できるらしいが、それともまた違う。それほどの風を集めていれば、ガウルも警戒して距離を取っていたはずだった。クレインの感覚としては、チャクラによって空間に断裂を作り、断裂ができた状態のままで強引に空間を繋ぎ合わせたような感じだった。ガウルの左腕は、それに巻き込まれて切断された。

 ガウルの顔に恐怖が浮かんだ。右手の円月輪を構えながら、クレインから目を離さずに飛び退る。同時に、出血を続ける左腕を猛火で焼き、苦鳴も漏らさずに強引に止血していた。

「……てめえ、それは」

 ガウルがなにか言いかけ、やめた。彼がなにを言おうとしているのか、クレインにはわかる気がした。

 クレインの全身からは、いまもなお黒々としたチャクラが立ち昇っていた。チャクラの総量は、ほとんどガウルにも比肩するほどだった。

(気孔が、開いたんだ)

 自分に起きた異変の原因を、クレインは理解し始めていた。

 人間の気孔は七つあるが、その内まともに使えるのは地、水、火、風の四つだけとされている。だが、ハルディオンの血統には、第五の気孔が開く素養があった。建国の英雄ヴィクター・キア・ハルディオンがそうであったように、地、水、火、風とは異なるチャクラを操ることができる素養が。チャクラを酷使し続けたことで、クレインの第五の気孔が強引にこじ開けられたようだった。

 身体を包み込む黒いチャクラは、どことなくシメオンのそれと似ている気もした。相手を確実に死に追いやる、不吉な鬼気。だが、シメオンのチャクラとは根本的に違うことも、すぐにわかった。シメオンのチャクラがすべての色彩を混ぜ合わせた黒とするならば、クレインのそれは原色の黒だった。

 長剣をガウルに突きつけながら、クレインは不敵に笑う。

「これが、王の力――アカシャのチャクラだ」

 ハルディオン王国建国の祖、ヴィクター・キア・ハルディオンが操ったとされる、空間を操るチャクラ。おとぎ話の脚色だと思っていた力が、今、実際にクレインの中で覚醒していた。

 鬨の声が上がった。

 クレインの反撃で、叛乱軍の兵たちが勢いづいたようだった。雄叫びを上げながら攻め立て、炎熱騎士団を一気に押しつぶしていく。本来伏兵であるはずの兵たちも、雄々しく吠えながら突撃を始めている。咆哮を上げて居所を明かす伏兵など、戦術の上では明らかに間違っているのだが、今はこれが正しいのだと思えた。

 バルアンは兵たちの勢いを殺さないまま、巧みに手綱を握って隊の統率を掌握し続けている。ガウルが重傷を負ったことで、炎熱騎士団にも動揺が走っているらしく、敵の抵抗も先ほどまでと比べるとかなり勢いを失っていた。

 数秒の間、ガウルは燃え滾るような殺意を込めて、クレインを睨んでいた。だが、もはや分が悪いと判断したのだろう。瞬時に身を翻すと、馬の元まで駆け戻る。

 ガウルを追って、クレインも駆けた。ガウルが騎乗して城門へ駆けていくのを見て、クレインは声を張り上げる。

「将軍! あとは頼んだ!」

 バルアンからの返事はなかったが、答えは確かめるまでもなかった。この場の雌雄は、すでに決してる。あとは、どれだけ犠牲を押さえて敵を仕留めるかだけだった。

 置き去りにされた馬に飛び乗ると、クレインは全速力で駆けさせた。城門をくぐり、城内の大通りを駆けている内に、ガウルにはすぐに追いついた。

(追わされている!)

 直感すると同時に、先行するガウルがこちらを振り返って獰猛な笑みを浮かべた。急に駆ける速度を落とし、クレインの横に並ぶと同時に、猛火をまとった円月輪を叩きつけてくる。

 とっさに長剣で防ぐが、反撃する前にガウルは速度を上げて離れていた。片腕を失っているというのに、騎乗での戦いに支障はまったくないようだった。脚だけで巧みに馬を操りながら、何度もクレインに打ちかかってくる。

 クレインも隙を見て、反撃を試みていた。腕を失った左側に回ろうとするが、巧みに馬を操って進路を妨害される。ガウルが離れた時を狙って、空のチャクラを練って空間ごとガウルを断ち切ろうとするが、すべて攻撃を繰り出す前にかわされていた。

(なんて奴だ)

 こちらが攻撃の気配を見せると同時に、ガウルは瞬時に反応して、斬撃の出現地点を離れていた。野生の動物が危険を嗅ぎ分けるような、動物的な直感だった。武芸の才能というのは、突き詰めればここまで至れるものなのだろうか。思わず感心してしまうほどの鋭敏さだった。

(いや、それだけじゃない)

 自分のチャクラの操り方が、下手なのだ。クレインは歯噛みして、それを認めた。

 ガウルと同等のチャクラを操れるようになったが、クレインにはこれほど厖大なチャクラを制御した経験はなかった。しかも、扱ったこともない空のチャクラである。空間に人の頭ほどの大きさを断裂を作るだけでも、かなり無駄なチャクラを消費している。ガウルなら、同じだけのチャクラで百人の兵を焼き払えるだろう。根本的に、実力の差がありすぎた。

 つかず離れずの状態で駆けていると、内城の近くまで到達していた。ガウルは急に馬を加速させると、先に内城の門までたどり着く。

 門を駆け抜ける時、ガウルは門の柱に円月輪を叩き込んだ。石造りの門が崩れ落ち、瓦礫となって道を塞ぐ。クレインはとっさに、瓦礫の前で馬を止めた。

 クレインが立ち止まったのを見て、ガウルはさっさと内城の中へと入っていった。クレインが騎乗したまま瓦礫を飛び越えれば、ガウルはすかさず円月輪を投げつけてきただろう。風のチャクラをまとって変幻の軌道を取る円月輪を、空中で凌ぎきれる自信はなかった。

「くそっ」

 クレインは悪態をついて、馬から降りた。

 凄まじいチャクラを手に入れ、ようやくガウルに対抗できると思ったら、この有り様だ。片腕だけのガウルに、完全に手玉に取られていた。どれだけ自分が弱いのか、改めて思い知らされた気分だった。

 ガウルが迷わず内城に逃げてきたのは、なにも死に場所を選んだわけではないだろう。明らかに、戦意を失っていなかった。炎熱騎士団に麻痺毒を盛ってから、かなり時間が経ってしまっている。回復した兵が起き出し、城の守備を固めていてもおかしくはないだろう。

 そして――恐らく、レイシアもここにいる。

(レイシアを探し回らせて、疲弊させてから殺す)

 自分がガウルなら、まずそういう戦法を取るだろう。先にレイシアを助け出さなければ、人質として使われるだけだ。いずれにしても、手詰まりだった。

「畜生……っ!」

 血が出るのも構わずに、唇を噛んだ。必死に思考を巡らせるが、たったひとりでこの状況を打破できるとは思えなかった。

 視界に、影が差した。

 顔を上げると、目の前に人形ひとがたの闇が降り立っていた。翼を広げた凶鳥のように、不吉な黒尽くめ。青白い肌に浮かぶ闇色の瞳が、微かに嗤っているように見えた。

「随分、荒れているな」

 相変わらずの抑揚のない声で、シメオン・アヴィディアは言った。

 その落ち着き払った態度に苛立ちが募り、クレインは険のある声で問いただす。

「僕を笑いに来たのか、告死鳥」

「それもある」

 消えろ、と吐き捨てたくなったが、クレインはなんとか堪えた。

 シメオンは深淵のような瞳でクレインを見下ろしながら、淡々と続ける。

「このままお前を見殺しにするのが、少し惜しくなった。一度だけ、俺が手を貸してやろう」

「なに?」

「お前の姉は地下牢にいる。陽動をしてやるから、その間に姉を連れ出せ」

 想定外の提案をされて、クレインは猜疑心を隠すことができなかった。

「なにか、裏があるんじゃないだろうな」

「そんなことを気にして、姉を見殺しにする気か?」

「……信用して、いいのか」

「俺を信じるか、姉もろとも死ぬかだ」

 この男らしい二択だった。シメオンを相手にして、クレインに選択肢などあろうはずもなかった。

「……わかったよ。あんたに任せる」

「決まりだ」

 話がまとまると、シメオンはさっさと瓦礫を越えて城の中へと入っていった。

(まさか、あの男が自分から手を貸してくるなんて)

 疑問を通り越して、不気味ですらあった。だが、もう決まったことだ。

 クレインは気持ちを切り替えると、足音を殺して城の中へ駆け出した。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る