第四章 逆神王(2)

 隊を二つに分けていた。

 それぞれ千と千五百の兵を率いながら、クレインとバルアンは溝を掘り進めていた。部隊全員が地のチャクラを練り、無駄のない動きで深い溝を作り出していく。

半数の兵が正面の土を掻き分け、残りの半数が切り開かれた溝が崩れないよう土を固める。その作業を、駆けながら行っていた。同数の精兵が揃っていても、そうやすやすとできる作業ではない。義父が考案した騎馬用戦術のため、何度も調練を続けてきた旧オービル軍だからこそできる作業だった。

 ものの三十分ほどで、オービルの前面には迷路のように複雑な溝が掘り終えられていた。クレインは尚も溝を掘るために駆けながら、冷静に思考を巡らせていた。

(じきに、ガウルは野戦に打って出てくる)

 炎熱騎士団を討伐するだけなら、今の内に城内に攻め入ったほうが確実だった。荒野と比べれば城内の路地は狭く、騎馬隊の機動力を十分に発揮できない。地の利もこちらにあり、敵兵を振り回す方法はいくらでも考えられた。

 だが、相手は炎熱騎士団だった。火のチャクラを得意とし、草原を一日で焼け野原に変える連中である。街中で戦えば、建物だけでなく市民にまで被害が及ぶだろう。そんな戦をすれば兵たちの士気も下がるし、レーディック商会の資源が焼き払われる恐れもあった。

 そこまで考えた上で、クレインは野戦を選択した。

(計算ばかりだな、僕は)

 自嘲めいた思いが湧いてくるが、以前ほど深刻なものではなかった。

 頭の中には、絶えず情報が駆け巡っていた。周辺の地理からガウルの行動原理、炎熱騎士団と叛乱軍の性能差、両者の士気。それらを計算し、有効な策を並べてから、最良の道を選び取る。そうすることで、クレインはようやく王や将らしい選択をできる気がした。

(やっぱり、僕は王の器じゃない)

 だが、自分が最後の王族だった。例え資質がなくとも、自分は自分なりの方法で、王に相応しい行動を取り続けなければならない。そうすることが、自分に命を預けてくれる者たちへの礼儀だと思えた。

 蹄の音が響き始めた。

 クレインは瞬時に合図を出し、隊を方向転換させた。溝の迷路の中心へ移動し、溝から上がって方陣を組む。

 炎熱騎士団が城門から出てきたところだった。総勢は二千五百ほどで、予想通り動けるものを全員動員してきたようだった。

 当然、先頭にはガウルの姿もあった。彼は溝とクレインを見て、嬉しそうに笑っていた。自分が考えた策を、ついにネーデルスタイン相手に試せる時が来た。そういう思いに違いないと、クレインはほとんど確信していた。

 バルアンの部隊は、溝の中に潜んでいた。千五百を五隊に分け、三百ずつで固まって溝の底で息を殺している。それぞれが溝の要所に埋伏しており、騎兵が溝を飛び越えたり覗き込んできたら、戟で突き殺す。そのための配置だった。

 クレインは囮だった。自分の首を餌に炎熱騎士団を引き込んでから、バルアン率いる伏兵が不意を打って包囲殲滅する。それがこの作戦の要点だった。

 この戦は、野戦に見えて野戦ではなかった。いわば荒野の籠城戦であり、そのことはガウルも理解しているだろう。

 複雑に張り巡らされた溝のせいで、騎兵の機動力は著しく削がれてしまう。また、溝を飛び越えてクレインに迫ろうとすれば、溝によっていたずらに隊を分散させることにもなる。

 溝の外からチャクラで攻撃しようとしても、クレインまで火勢を維持することは難しいだろう。騎兵のまま溝の中を駆けるのも愚策だ。機動力は維持できるが、溝の中では前方への突撃しかできない。それでは、横一列に配置された戟兵に刺されに来るだけだった。

 この場における最良の策は――膠着状態を維持しながら、兵の一部を動かして城から油を接収してくることだ。

 さしもの十二神将といえど、油のような燃焼促進剤もなしに、溝の陣全域をチャクラで焼き尽くすことはできない。当然、溝の全域を火で覆うには相当量の油が必要になる。炎熱騎士団が油を接収するような動きを見せたら、決死の覚悟で正面からぶつかるしかなかった。

 恐らく、ガウルも油のことを考えなかったわけではないだろう。だが、クレインは彼がその手を取らないと確信していた。

(この状況で、退けるわけがないよな)

 良くも悪くも、ガウルは誇り高い武人だった。父の雪辱を果たすためか、父を超えるためか――ガウルがネーデルスタインにこだわる理由はわからないが、ガウルは明らかに八年前の戦に固執していた。

 八年前の戦は完全な野戦で、油を取りに戻れるような状況ではなかった。これだけお膳立てされた状況で、八年前の状況を崩してまで勝ちに行く――そんな真似ができるくらいなら、最初にオービルに来た時点で、ガウルはクレインを殺しているはずだった。

(さあ。乗ってこい、ガウル)

 ガウルが手で合図を出した。炎熱騎士団が五隊に分かれ、縦列を作る。炎熱騎士団の最も得意とする陣形だ。

 縦列の騎兵が火のチャクラを練りながら突撃し、駆け抜けた場所を燎原に変える。それを五隊で行うことで、止めようがないほどの火勢を作り上げる。単純だが、最も効果的に敵兵力を削ぐ戦術でもあった。

 五隊の内、両翼の二隊が溝の外縁を駆け始めた。風のチャクラをまとって目にも留まらぬ速さで駆けながら、火のチャクラを練って溝の中に炎を投げ込む。炎熱騎士団からすれば、それが最も確実に伏兵を潰す方法なのだろう。

 だが、クレインはその攻撃を想定していた。

(やはり、そう来たか)

 緊張を押し隠すように、クレインは口の端を歪めた。

 溝に火を投げ込んでいた二隊が、隊列を乱した。溝の付近に隠した落とし穴に、引っかかったのだ。勢いを止められず、先頭を駆けていた百騎ずつが穴の中に落ちていく。穴は溝とつながっており、当然そこには埋伏が潜んでいた。クレインの位置からは悲鳴しか聞こえてこないが、馬ごと落下して混乱した敵兵が、バルアンの軍に突き殺されているのは容易に想像できた。

 クレインは口の端を歪めたまま、真っ直ぐにガウルを見ていた。ガウルは一層牙を剝き出しにしながら、合図で二隊を引き返させた。

(まず、初手は取った)

 危ういところではあったが、ひとまず二百騎は潰せた。初手としてはまずまずの成果と言えた。

 溝に火を投げ込む戦法は、八年前の父同士の戦いでは行われなかった。当然、ガウルの父がその作戦を考えなかったわけではないだろう。義父に敗れたとはいえ、教国きっての名将の一人である。恐らく、落とし穴の存在を鋭敏に察知し、あえてその戦法を取らなかったのだ。

 父親の判断の意味を、ガウルも理解していたはずだった。にも関わらず、あえてその戦法を取った理由はふたつだろう。

 ひとつは、指揮官が義父ではないということ。実戦経験の少ないクレインが総指揮官なのだ。どこかに詰めの甘さが出る、と考えるのは普通だろう。

 もうひとつは――こちらの布陣が急拵えだったこと。わずか三十分での布陣だった。溝の陣を掘るのに手一杯で、罠まで仕掛ける余裕はないと踏んだのだ。

 実際、罠を仕掛ける余裕などほとんどなかった。落とし穴は、あのふたつだけだ。罠を恐れずに同じ戦法を続けられたら、相当な犠牲を出すことになっただろう。

(でも、お前はそうはしないよな。ガウル・アドルスター)

 クレインは、ガウルに奇妙な親近感を覚え始めていた。

 罠はあった。その事実が、ガウルと炎熱騎士団の動きを鈍らせる。ましてや、相手は毒による奇襲を目論んだクレイン・ネーデルスタインである。罠なしでは戦えない、卑劣な将。ガウルがそう思ってくれれば、こちらの作戦は想定以上の効果を発揮するだろう。

 クレインの見たところ、ガウルはひとりの武官としては豪傑だったが、将軍としては今ひとつ果敢さに欠けていた。むしろ、クレインと同様に熟考する気質のようだった。宿敵ネーデルスタインと対峙しているという思いが、その思慮深さを一層強めてしまっている。そこにこそ、付け入る隙があった。

 ガウルは陣を眺めながらしばし黙考したあと、号令の声を張り上げた。

「下馬」

 炎熱騎士団に動揺が走った。

 真っ先にガウルが馬から降り、周囲の兵を睨む。彼の行動によって、騎兵の下馬が波のように広がっていく。兵たちが馬を降りるのを確認してから、ガウルは溝の中に飛び降りた。

 兵たちは驚いているようだが、ガウルの策はそう悪くはなかった。罠に怯えながら溝に火を投げ込んでいても、無駄に兵と馬を消耗させるだけだ。溝の中での歩兵同士のぶつかり合いなら、勝負は歩兵指揮能力によって決することになる。

 ――だが、そこから先はクレインの予想と違っていた。

 ガウルは単独で、溝の中を駆け出した。馬から降りた兵たちの半分は逆方向へ進み、残った半分も少し距離を置きながらガウルの後を追う。

(単独で道を切り開くつもりかっ!?)

 想定外の動きだったが、ガウルの判断は的確と言えた。

 狭い溝を手勢とともに進んでいては機動力が削がれ、いざという時に逃げ場所がなくなる。ガウルのように秀でた能力を持つものなら、単独で行動したほうがむしろ安全だった。背後を取られる恐れはあるが、距離を置いて追ってくる手兵がその対策になっていた。

(さすがに一流の将だ)

 父親が負けた理由を、ガウルは冷静に分析できているようだった。

 八年前の戦で、ガウルの父は溝の中に兵を進めたが、自身は溝の外で指揮に徹していた。だが、いかに精兵揃いの炎熱騎士団といえど、溝の地形を完全に掌握しているオービル軍には勝てなかった。挟撃や側面攻撃を受け、溝に飛び込んだ隊が次々に壊滅していく中、ガウルの父は業を煮やして騎馬のまま溝を飛び越え、ネーデルスタイン将軍の隊に攻めかかった。そして、将軍自身の手によって討ち死にした。

 早くに溝を制圧するか、全軍を一直線に大将へ差し向けるべきだった。ネーデルスタイン将軍という強敵を前にして、慎重な作戦を選んでしまった。それが彼の敗因だった。

 ガウルはそれを踏まえて、あえて自分を最も危険な場所に放り込んできた。溝の伏兵を全滅させてから、クレインを討つ。そういう考えなのだろう。

(つまり、ガウルは僕をまったく脅威と感じていないんだな)

 そのことに悔しさを感じたのが、自分でも意外だった。

 胸に湧いた思いを振り切ると、クレインはバルアンに向けて合図を出した。火のチャクラを練り、炎を何度も明滅させ、明滅の長短で意図を伝える。

(ガウルは引き受ける。バルアン将軍は炎熱騎士団の各個撃破を)

 返事の代わりに、バルアン率いる伏兵達が動き出した。バルアンと離れて行動している部隊も、バルアンの動きに完璧に同調して動き出す。感知できないほど微弱な地のチャクラを溝に伝わせ、バルアンがなんらかの方法で指示を出しているようだ、というのはなんとなく想像がついた。だが、それを実際にやってのけるというのは、クレインの想像を絶していた。

 チャクラを情報伝達に使うところも含めて、バルアン将軍は並外れた指揮官だった。発想自体はそう珍しくもない。遠隔地との連絡などには、火のチャクラや光の反射による符号のやり取りが運用された実績がある。だが、実戦のさなか、連絡相手の姿さえ見えない状態で情報を伝達するなどというのは、この男にしかできない芸当だろう。隊の動きを完璧に統率し、位置を正確に把握しながら適切に動きを指示できる。兵に対する絶対の信頼と、いかなる時でも冷静さを失わない精神力を持ち合わせていなければ、とてもではないが真似できるものではなかった。

 バルアンの指揮によって、叛乱軍は炎熱騎士団を一方的に攻め始めていた。炎熱騎士団は方陣を組み、全方位からの攻撃に対処しようとするが、伏兵の変幻自在の攻撃には対応しきれていなかった。バルアンの巧みな指揮により、炎熱騎士団の一隊に対して、叛乱軍は二、三隊でまとまってぶつかる。当然、包囲攻撃を受けた炎熱騎士団は声で仲間を呼びつけるが、助勢のために駆けつけた隊もバルアンの隊に不意打ちされる。奇襲をかけては離れ、油断したところを更に別の隊が突く。

 敵の位置を把握しているが故の機動性と、隊同士の絶妙な連携。それが、この変幻自在の用兵を可能にしていた。

 凄まじい戦ぶりを横目で見ながら、クレインもガウルへの対策を進めていた。

 千人の手兵が水のチャクラを練り、空中に無数の水の塊を浮かばせる。それがある程度の量まで達したところで、クレインもチャクラを練り始めた。

 思い出すのは、シメオンに気孔をこじ開けられた時のことだった。暴力的なチャクラの渦に、クレインは抗うこともできずに屈服した。屈服しながら、理解した。

(抗う必要なんてないんだ)

 元々、チャクラなど人間の手に負えるものではない。なにせ、世界そのものの力なのだ。力任せに支配するなど、無理に決まっていた。

 クレインは深呼吸するように、ありったけの水のチャクラを体内に取り込んだ。もうこれ以上は無理だと思っても、取り込み続けた。

 体内を暴れ回る厖大ぼうだいなチャクラに、身体のあちこちが悲鳴を上げ始める。クレインはそれにじっと耐えた。暴れ回るチャクラを操るのではなく、流れを少しずつひとつの方向に導いていく。

 チャクラの流れを束ねると、クレインはようやくチャクラを体外に放出した。空中を漂う水の塊をひとつにまとめながら、クレインのチャクラは空を滑るような激流を形成していく。

 激流が溝の中を流れ始めた。バルアンの隊を攻めようとしていたガウルの背中に、激流が衝突する。

 ガウルの身体が、空中に撥ね飛ばされた。一瞬、ガウルはなにが起こったのか理解できなかったようだった。だがすぐに状況を理解すると、風のチャクラをまとって強引に溝の外に着地した。四肢を地面につき、獣のような体勢でクレインに濃密な殺気を放射してくる。身体にまとった火のチャクラで相殺されたのか、ガウルは激流の直撃に痛みを感じた様子もなかった。

 それを視認しながら、クレインは激流を操り続けていた。味方の背後をつこうとする敵を横から叩き、こちらに接近している隊を力任せに押し流す。火のチャクラで対抗され、あちこちに綻びが生じるが、クレイン麾下の兵がすぐに水のチャクラを練り、激流を補強してくれる。

 八年前の戦では、使われることのなかった戦法だった。だが、クレインは溝を見た瞬間、この陣の本当の使い方はこれだと確信していた。

 複雑に入り組んだ迷路の中を、縦横無尽に駆け回る激流。逃げ道もなく、生半可なチャクラでは押し返すこともできない。ほとんど防御不可能な攻撃だった。

 恐らく、義父も同じことを考えていたはずだった。

(……ホント、無茶なことを考える人だな)

 クレインは意識が飛びそうになるのをなんとか持ちこたえながら、激流を操り続けていた。絶えず補強される激流を操るために、クレインも体内にチャクラを取り込み続けていた。全身がばらばらに引き裂かれそうな激痛に耐えながら、必死にチャクラを制御する。

 ほとんど、荒馬の首にしがみついているような状態だった。何度も落馬しそうになりながら、かろうじて自分の思う方向へと導いている。

(こんなのを制御できるのなんて、十二神将くらいだ)

 アルバート・ネーデルスタインだからこそ、着想できた作戦だった。クレインはおろか、レイシアですら、これほどの水のチャクラを制御し続けることはできないだろう。

 すでに、クレインは限界を超えていた。

 身体中、痛まない場所などなかった。許容範囲を超えたチャクラの酷使が、体内の気道をずたずたに傷つけている。それでも、クレインは苦痛を顔に出すような真似はしなかった。感情と行動を完全に切り離し、冷徹になすべきことをなす。十二神将のような怪物に挑むには、それしかできることはなかった。

 ガウルが動いた。

 ようやく、彼はクレインを脅威と認めたようだった。駆けながら溝を飛び越え、一直線にクレインに向かって駆けてくる。

「動けるものは、俺に続け!」

 吠えるように号令を出しておきながら、ガウルは援護など期待していないかのように、単独でクレインの隊に肉薄していた。

 激流をぶつけてガウルを押し戻そうとするが、ガウルは火のチャクラで押し返してくる。火山が噴火したような、凄まじいチャクラだった。激しい猛火によって激流が相殺されそうになり、クレインはとっさに激流を分離させた。真っ向から迫る激流を牽制にしつつ、二つの支流がガウルの背後に回り込む。

 二つの支流が、ガウルの背中を打擲した。投石機による投石の、倍以上の威力の打撃のはずだった。普通の人間なら背骨を折って死んでいるはずだが、ガウルは眉一つ動かさなかった。眩いほどの猛火で激流を押しつぶすと、まるで蝿でも追い払うように二つの支流を薙ぎ払う。

 ――強すぎる。

 絶望的な気分に打ちのめされそうになるが、クレインの口は勝手に動いていた。

「構えろ!」

 愕然としていた千の手兵が、我に返って戟を持ち上げた。水のチャクラを練り、周囲の気配に感覚を研ぎ澄ます。

 もう一度激流を作っている時間はなかった。ものの数秒の内に、ガウルはクレインのいる島に降り立っていた。

 ガウルは、笑っていた。凄絶な笑みだった。威嚇するように牙を剝き出しにしながら、どこか嬉しそうに口の端が歪んでいる。両手に握られた円月輪には激しい炎がまとわりつき、彼の内から迸る戦意の激しさを感じさせた。

 自然と、クレインも笑っていた。限界を超えて水のチャクラを取り込みながら、抜き放った長剣に水流をまとわせる。少しでもガウルの火勢を押さえ、その隙に包囲して叩き潰す。それができるのならば、クレインには命すら投げ出す覚悟があった。

「行くぜ、クレイン・ネーデルスタイン」

「来い、ガウル・アドルスター」

 ガウルが地を蹴った。同時に、クレインも前に出る。

 猛火をまとった円月輪が、クレインの脳天に向かって振り下ろされる。かろうじて反応し、斬撃を長剣で受ける。

 円月輪を受けた瞬間、ガウルの蹴りがクレインの腹に突き刺さっていた。クレインが地面を転がっている内に、ガウルはもう一方の円月輪をクレインの手兵に投げつける。

 猛火が兵の身体に燃え移り、瞬く間に百人近い兵を火達磨にした。円月輪に切り裂かれ、腕や脚を失った兵も十数人に及んでいる。血を吸った円月輪は風のチャクラに導かれ、ガウルの手元に戻っていった。

 ただ一撃で、この有り様だった。次元が違うとしか言い様がない強さだ。

 ガウルと挟撃をするように、反対側の溝から炎熱騎士団の隊が上がってきた。数は二百名ほどだったが、ガウルの猛攻を見て勢いを得たようだ。戟を構えて叛乱軍に突撃し、突き刺した兵を焼き尽くす。

 荒野が、燎原と化し始めていた。

(僕は、ここで死ぬのか)

 生々しい死の予感に晒されながら、クレインの頭はやけに冷えていた。

 せめて、一兵でも多く倒す。ガウルに手傷を負わせ、バルアン将軍に後を託す。残された道は、もはやそれしかない。

 クレインは長剣を握り直すと、再びガウルの前に出た。ガウルの迫力に圧倒される兵たちを叱咤するように、声を張り上げる。

「烈火獣は僕が止める! 皆は、背後からの攻撃に対処しろ!」

「ですが」

「王命だ! 僕を信じて、命を預けろ!」

 それで、兵たちは反駁することをやめてくれた。クレインに背中を預け、後方からの二百を全力で押し潰しにかかる。

 やり取りを聞いていたガウルが、面白がるように笑っていた。

「王命だと? 叛乱軍を組織しただけで、もう王様気取りかよ。せめて、てめえの国を作ってから言いやがれ」

「困ったことに、本当に王様なんだよ」

「……なに?」

「クレイン・キア・ハルディオン。それが僕の、本当の名だ。生まれてすぐに厄介払いされた、王族の生き残りなんだ」

 ガウルは一瞬だけ間抜けな面をしたが、すぐに腹を抱えて笑い出した。

「ハハハ! やっぱ最高に面白いぜ、お前は」

 ひとしきり笑ったあと、彼は鋭い眼光を向けてきた。

「だが、ここまでだ」

「…………」

「十二神将相手に、よくやったと思うぜ。正直、思ったよりも骨が折れた。だが、お前にはもう打つ手は残ってないだろう?」

 ガウルの言葉に、クレインはなにも言い返せなかった。

 実際、策は尽きていた。ここから先は、完全に気力だけの戦いだった。

 クレインは周囲のチャクラをかき集め、体内に取り込み始めた。がむしゃらだった。地、水、火、風――ありとあらゆるチャクラを取り込み、全身が悲鳴を上げるのも構わずにチャクラを練り続ける。厖大な量のチャクラが全身を駆け巡り、その激痛で意識が遠のいていく。

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